「人往かざれば船も亦往く可らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「人往かざれば船も亦往く可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人往かざれば船も亦往く可らず

我輩が我日本國人に外國行を勸むるは獨り貧民に限りて行けと云ふにあらず商賣工業の人が彼の國に往來して利する所あるべきは無論の事にして特に之がために喋々するにも及ばず唯今日の時勢にては或は貧民の外行が多數を占むることもあるべしと雖ども是れさへ憂るに足らず貧富混同頻りに往來する其中には自然諸外國の地方に日本人の跡を稠くして内外の交際上に又商賣上に大なる利益ある可し左れば貧者の外行を見苦しとて之を嫌ふの餘りに其論鋒が兎角一切の外出を妨るの弊なきにあらざるが故に其邊は今少しく度量を大にして事の成跡を數年の後に期すること肝要なる可し外交は次第に親密繁昌せんことを願ひながら日本人の外國に行くことは甚だ面白からず即ち内外人の相近づき愛親しむは甚だ願ふべくして其交際は甚だ願はしからずと云ふに等しくして優柔不斷の厭ふ可きものなれば寧ろ一方に決斷して眞實に交際の道を開く可しとの次第は前日の紙上にも之を陳べたりしが今この緒に就て世人の所望の不都合千萬なる一事を語らんに近來わが國の海運も漸く開けて日本沿海の渡航には差支あることなく漸く其航路を延ばして上海にまでは往來すれども扨其以外には一歩を進ること能はず舊三菱會社が私に香港への航路を開きたれども是れさへ何か止むを得ざるの事情に迫まられて中止し東の方太平海を望めば唯外國船の翻々たるのみにして絶て一隻の日本船を見ず是に於て我國經世の有志者は大に不滿の色を顯はし日本に西洋流の航海術の開けたるは其紀元最も早くして今を去ること三十年前に在り今日に於ては航海に關する器械も技術師も更に差支なくして其實際の景况如何を尋れば日本の沿海を離るること能はず洪大壯麗なる汽船を以て東京神戸の間を往復し遠くして長崎尚ほ遠くして北海道を限りとし日本形の親船と雌雄を爭ふのみにして其汽船が曾て外國行を企てたることなしとは畢竟海運營業の當局者が職務を怠るものなりとて其罪を責る者ありと雖ども我輩の所見を以てするに此一〓に就ては責めらるる者に罪なくして責る者の無理なりと云はざるを得ず本來海運の營業は船客を載せ荷物を運送するの業にして全く他人の依頼に應ずるものなれば客なく又荷物なき地に往來す可らざるは言はずして明ならん然るに今我航海汽船が世界中の何れの方角に向ふたらば日本人に逢ひ又その荷物の運送を委托せらる可きや米國の桑港には日本人の寄留する者最も多しとのことなれども是れとても目下尚ほ六百名に過ぎずして其中に就て商店を開き商業を營む者などは先づ一人もなしと云て可なり桑港にて斯の如し紐育に行くもボーストンに求るも皆同樣にして日本人の影を見ず左れば太平洋を渡りて英佛その他の海國は如何と尋るに時として日本の留學生か又は役人などを見るのみにして未だ曾て商人に逢はず或は稀に日本商人が生糸蚕卵紙など携へて往來したることもある由なれども僅に二人か三人萬里外初旅の田舍漢が道路の東西さへ分らず旅宿に籠城して不案内ながら少々づつの賣買を試るのみ斯る淋しき有樣なるに日本の汽船が突然その地方に渡航して海運の業を營まんとするも船客は何處より來る可きや積荷は何處に求む可きや其手持無沙汰なるは難船の漂着したるものに異ならざる可し例の道理上より論じたらば汽船の運賃さへ安ければ世界各港到る處に客あり荷物ありと云ふ可きなれども實際は決して左るものにあらず凡そ何れの國の船にても海外の諸港に往來して能く營業するものは先づ以て其港に本國人の住居し往來し双方交際の親密繁多なるありて恰も東道の主人に乏しからざるが故なり試に英國の商船を見よ世界中その船の到る處に先づ英人の在らざるはなし佛船の到る處に佛人あり蘭船の到る處に蘭人あり近くは支那の招商局の汽船が日本に來ると云ふも日本の諸港に支那人の商業を營む者を便りにして企てたることならん左れば海外の渡航を奬勵せんとならば先づ以て自國人の外行又移住を奬勵せざる可らざるや明白至極の道理にして事の順序なるに然るに今國人の外行は成る丈け防ぎ止めんとして樣々の苦情不平を鳴らしながら一方には我汽船に向て千里も萬里も雄飛せよと命ずるは我輩これを評して無理なる注文なりと云はざるを得ず不平論者の注文通りにしたらば日本國の富商大賈のみが海外に出掛けて立派に商賣を營み其勢の盛なる處へ日章旗を飜がへしたる日本の大汽船が出入往來するを以て滿足するなるべし至極好き注文なれども是れは前にも云へる如く人事不如意にして左樣には參り難し富商往けば貧乏人も亦往く如何ともす可らざるなり既に其如何ともす可らざるを悟りたる以上は貧富にも智愚にも論なく唯その往くに任せて兎角外國の地に日本人の跡を稠くし事の盛大を數年の後に期すること經世の要なる可しと我輩の信じて疑はざる所なり