「商賣社會の勝敗は正に今日に在り」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「商賣社會の勝敗は正に今日に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商賣社會の勝敗は正に今日に在り

足利の末葉天下乱れて麻の如し英雄諸國に割據して興る者あり敗るゝ者あり昨日は馬上に

三軍を叱咤したる者も今日は敵地に幽囚の身となり昔年の奴僕今は則はち一國の主なり其

の榮枯の速にして明白なること武門の進化優勝劣敗の事實を現はすものと云て可なり此時

に當りて天下の男子に治亂を喜憂せざる者はなかるべし而して其治を喜ぶは如何なる種族

なるやと尋るに恆の産ある農商の多數と武家なれば國既に安く家既に富みて前途に大望を

抱かざる部分の者に限る可きや勢の當然なれども之に反して苟も武邊に心掛けて功名の志

あらん者は竊に此亂を喜ばざるはなかる可し豊臣秀吉の英資も元龜天正の亂世に遭はざれ

ば尾割の一小農夫たるべきのみ徳川将軍家康も治世に生れたらば僅か三河の貧弱地頭たる

可きのみ故に此種の英雄のたれに謀れば乱世こそ天與の僥倖なれ天下亂れざれば功名成ら

ず劣者倒れて優者起る可きなり

右は兵馬治亂の事相なれども人間社會の治亂は兵馬のみに止まらず政治に經濟に時々其變

化ある有樣を形容して仮に言葉を下すときは政治經濟の治亂と云ふも可ならん方今我國は

太平無事にして固より兵馬の亂なし又劇しき政變もなくして至極静謐なれ共獨り經濟の一

事に至りては太平無事と云ふ可らず明治十三四年の頃一時の景氣にて物價日に騰貴し賃銀

も昇りて都鄙の人民恰も極楽世界の生活を爲したるものが爾來俄に反對の事相を顯はし不

景氣また不景氣とて年々歳々底止する所を知らず製造家は品物を製造して消費者に逢はず

商賣人は賣品を仕入れて販路を見ず製造衰へ商賣行はれざるときは資本も無用に屬し金利

の下落するは自然の勢にして全國の金滿家は其私有金の用法に苦しみ左れば地面を買はん

とするも穀物の價下落すれば地面も亦面白からず乃ち政府發行の公債證書又は諸會社銀行

等の株式に眼を着けて次第次第に買ひ進み七分利付の公債證書が百十餘圓の相塲を現はす

に至れり其他諸株式等の價も之に準じて非常の價格を現はし今日の處にて日本の金主は一

年凡五分の利子に甘んじて平氣なる者の如し想起せば六七年前七分利の證書は其相塲七十

圓より下りて一時は六十圓に近づきたることもあり僅に六七年間に同一樣の品物が六十圓

より百十圓に飛揚り殆ど半分の相違とは驚入たる事共ならずや今資本金なるものゝ性質を

畫き利子を産する一種の噐械として視るときは六七年前は一年に百分の十一二を生ぜし器

械が其力を失ふて今は百分の五より多く生ずること能はず即ち資本家の力を半減したるも

のなり其半減は尚ほ忍ぶ可しとするも爰に忍ぶ可らざるは不景氣落日の時勢に當り貸金は

滞ふり仕入品は賣れず田地の價は下落して小作米の取立は難く是等の災難の積重なりて先

祖傳來の家産を破り昨日の富豪今日の赤貧たる者國中到る處これを見ざるはなし其有樣は

戰國の世に英雄豪傑が諸方に割拠し時運の不幸に逢ふて日に敗滅するの状に異ならず經濟

の變亂も亦甚だしと云ふ可し扨爰に滅する者あれば同時に興る者ある可きは當然の數にし

て兵馬の治亂に於て其事例明白なるにも拘はらず今日の經濟社會には唯敗滅する者のみ多

くして興起する者は稀なるが如し甚だ怪む可きに似たれ共我輩の竊に推測する所にては決

して然らず人間社會は甚だ廣くして其事は甚だ繁多なるが故に今日經濟の變亂に當りて何

人が大に興りたりと未だ其姓名こそ聞かざれども天下既に其人あり又漸く其人を生ず可き

や明なり如何となれば武門の興敗は兵馬の治亂に由り工業商家の盛衰は經濟の變に由る可

きの道理分明なればなり今や日本國の經濟は變動の劇しき時運に際したり此時に當りて理

財上の英雄は必ず竊にこの時運を喜び商工の功名手に唾して取るべし、彼れの事業取て代

はる可し、其れの〓窺ふて乘ず可しなどと〓算既に成りて今日正に其方略を施こし居る人

物もあらん又明日より思付く人もあらん誠に由々しき時勢にして理財壇上幾多の秀吉もあ

り又家康も現はれ優勝劣敗の成跡を世間に明にするは盖し遠きに非ざるべし唯憐れむ可き

は世上多數の無智凡庸社會經濟の原理を知らず人事通俗の形勢を解せず耳目の聞見する所

に逐はれて揚々自得する者是なり此輩は常に默して無説なるか又時として淺き説を作すこ

とあれども畢竟經濟の治に慣れて安んずるものなれば其變常の塲合に到着するときは果し

て狼狽失敗するも是非なき次第にこそあれ之を小にしては其人のたれに氣の毒なり之を大

にしては天下のために憂ふ可きなり