「中山道東海両道鐵道緩急論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「中山道東海両道鐵道緩急論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

中山道東海両道鐵道緩急論

我政府にては去る明治十六年の末上野の高崎より美濃の大垣まで中山道の一線を通じて鐵

道を敷設するに決し中山道鐵道公債證書を發行し其全額二千萬圓は昨十八年の九月までに

て悉皆募集濟みと爲りしが是より先に中山道鉄道論あるに當りて東海道の鉄道は如何との

説もあり然るに東海道は沿海の線路にして軍事上の地理より觀察すれば一旦不慮の變、敵

の上陸して之を遮斷するの恐など云へる異論もありて扨て中山道鉄道を敷設するに決して

既に其工事に着手し高崎以西横川まで十八英里間を開線したれども面に當りて忽ち碓氷峠

の險難あり隧道以て之を貫かざる可らず齒車以て之に〓らざる可らずなどいふやうの事よ

りして鐡道工事の當局者も爰に聊か瞠若たるの實なきを得ず夫れ是れの事情に由りてか近

頃東海道鉄道論の再燃を催ふしたるものゝ如し今其説を聞くに中山道は峻峯嶮山間の一線

にして其間碓氷峠鳥井峠法福寺峠等の横たはるあり此一線に鐡道を通ずるには隧道十一英

里を開鑿し一英里半の橋梁を架設せざる可らず且つ人烟稀疎にして二里に一村、三里に一

落、鶏犬の聲相續かず往來五六里の間に一二名の旅客を見るが如き塲處多くして日本國中

にても最も淋しき街道なり、扨て又東海道の一線には富士天龍大井等の大川ありて橋梁凡

ろ五英里もあるべく日〓及び〓〓谷峠は或は隧道を以て貫くときは其長さ凡ろ一英里もあ

るべし今鐵道工事上の割合より計算するに〓〓と隧道とは其費用殆んど相同じき由なれば

鐡道〓〓の費用に至ては中山東海大抵伯仲の間に在りと雖ども東海道は日本國中人烟最稠

密の地にして通行人も亦割合に多く平日一宿の間にて百數十人の旅客に逢ふを常とし〓〓

の東西地稍平坦にして沿道に繁盛殷富の都會乏しからず又此中山東海両道の線路成りたる

處にて此線路を通じて東京より西京に達するに中山道よりそれが山谿の間自然上り坂の多

きが爲め二十時間乃至二十五六時間を要し東海道よりそれは僅かに十二時〓〓外にして達

す可きが故に陸路両京間を往來する人の爲めに謀れば東海道鐡道の方何程便利なるや知る

可らず且つ中山道鐵道は國の中央を貫通して両海岸を去ること遠ければ軍國の計策として

先づ此鐵道を急にせざる可らずと云へど此線路は危禍嶮崕の間を通ずれば不時の〓或は〓

石の壓〓する所と爲るか嚴冬雪深くして〓〓〓くは〓〓の爲めに埋没せらるゝことあれば

人里〓〓〓〓にて之を〓〓し之を掃除すること容易ならず其〓〓むを〓〓鐡道の通行を中

斷するやうの事なれと〓す〓〓〓〓日ならば尚可なり一朝兵馬多事の際比不都〓ありたら

んには軍〓の掛引上由々しき大事を生ずることならん又東海道鐡道は海岸に沿ふて走るが

故に敵の〓〓する所と爲るの恐ありと云へど日本の如き狭くして長き國柄にて敵來らば海

岸にて撃ち掃はざる可らず一段敵をして上陸せしめ東海道の線路を遮斷せしむるが如き塲

合もあらば中山道なりとて亦之を頼むに足らず東海道鐡道と中山道線路との間に幾十里の

隔りある可きや此に敵に破らる、安んぞ彼れに敵を拒ぐことを得んや軍國の事は成る丈け

堅固に豫算すること肝要なれ共敵の上陸して遮斷することもあらんかとて東海道の鐡道を

後にするが如きは取越苦勞も亦餘りに甚しからずやとの説ありて其當局の人々も得失如何

と目下之を較計熟慮し居る由なれども我輩は一議に及ばずして此疑問を決せんと欲するな

り(未完)