「去就進退を決すべし」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「去就進退を決すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

去就進退を決すべし

我日本人が始めて西洋を知りし以來今に三十年日夜唯文明に進むを勉めて餘念あることな

し左ればにや今日にして全國社會の面を見渡すに政事と云ひ學事と云ひ〓事と云ひ技藝と

云ひ文明進歩の證として數ふべきもの〓〓物に乏しからず日本は一個の日新國なりと云ふ

て〓て其實を失はざるものと信ずるなり然るに此日新の社會に在りて獨り日新なること能

はず只管〓守沈滞の責あるものは商工社會是れなり明治の天地は天保の天地に異なり文明

の社會は封建の社會にあらず世は〓く明治文明の世と改まりたるに獨り彼の商工社會中何

の一物か天保封建の遺物ならざるものありや何の一物か文明の商工事なりと名づくべきも

のありや商工者中〓は彼の銀行、鑛山汽船運輸、貿易品賣買等の事を〓して文明の商工事

なりと云はんとする者もあらんかなれども我輩は此等の新事業を見て其名誉を日本本來の

商工者に歸すること能はず寧ろこれを士族書生輩の功勞として稱せんとするのみ唯此中に

て貿易品賣買の一事に付ては士族書生輩の知らざる所多くして其實權は尚ほ本來純粹の商

人の手中に在て存するの趣もあらんかなれども從來日本の所謂貿易商なる者は我開港の地

の居留する外國商人に就て外國品を買取り内〓品を賣込む丈けに止まるものにして其手數

の未開〓〓なる内國〓りの〓商賣にも及ばざるものあり〓〓〓する外國品〓〓れの國何れ

の地に産し産地の相塲は〓〓なるや我賣り渡す内國品は何の用に供する爲めに〓との地に

持行き其地の相塲は何程なるやなどいふが如き商賣上第一初歩に知らざるべからざる最も

簡單なる事例さへも貿易上に無用の問題なりとして曾ての詮索を試むるものなく唯〓〓外

國商人の顔色如何を窺ふて賣買を決し我身代を賭するもの滔々たる賣込を引取り商人社會

の〓〓是れ〓〓と云ふも可ならん〓間に流行する人相〓〓〓〓〓の小〓あれば無學無〓無

信の人にても直ちに以て貿易を營むべきが無し何ぞ斯る業務を稱して文明の〓〓〓りと云

ふを得んや古來近江伊勢の商人を呼んで全國〓一流と稱せり封建未開の世の中に在ては此

〓〓は〓〓を得たるものならんかなれども今日文明の眼を以て見れば此流の商人の爲す所

寧ろ兒戯に類するの嫌ひあるを免かれず決して商人の眞面目を得たるものと云ふべからざ

るなり試みに見るべし嘉永開國以來三十年此流の商人にして何の爲す所ありしや何の文明

の事業にして此流は商人の管理するものありや多數の中或は一二の指を屈すべきものなき

にあらざるべし唯我輩が今日までこれを見聞することを得ざるを遺憾とするのみ第一流の

商人にして既に斯の如しとすれば其他の見るに足らざるは當然の事と云て適當なるべし

斯の如く商工社會は今の日新の時勢と相伴ふことを思はずといへども時勢の進歩は商工社

會の因循を恕して故らに其速力を緩うするものにあらず近來は殊に進歩變化の著しきもの

あり又或は後日實に大變化を來さんとするの徴候ありて社會人事の忙はしき今日より甚だ

しきはなし東洋の國事は近年漸く西洋諸國の注意する所と爲り佛國は安南を取り英國は緬

甸を滅し近日露國は支那の背後を廻りて朝鮮を併呑せんとするの勢あり或は東西に汽船の

新航路を開き或は太平洋に電線を沈め或はパナマの地峽を開鑿し或は北米の鐵道組織中よ

り一線を延べてベーリンの海峽を開鑿し或は北米の鐵道組織中より一線を延べてベーリン

の海峡に來らんとする等日本國外文明世界の進取進歩の迅速にして時勢の日に變遷し又た

切迫し來ると共に日本國内の氣運も近來大に進歩變遷し全國人心の向ふ所單に政事上の改

良を希望するのみならず社會上一切の事物を改良せんことに熱心し徃々にして進歩の跡の

見るべきものあり國會開設は三年の後に在り全國開放内地雜居は時運既に熟し今より三四

年を出でざるに其實行を見るべく鐵道は一寸も長からんことを欲して到る處に其工事を急

ぎ衣食住改良論は全國を風靡して洋服洋食の流行甚だしく英語は都鄙に行はれて第二の日

本國語たらんとするの實勢を示す等歴々目前に進歩を見ると同時に後來の大變化を證する

の兆候國内に充滿するを認むべし斯る時勢に際しながら彼の商工社會の人々は尚ほ依然と

して祖先傳來の舊慣を固守し安然世を渡ることを得べしと信ずるが如き有樣あるは甚だ不

審なり本來の商人何程世界の事に不通なりといふともマサカ日本國内の事物にまで不明な

るの理あるべからず一家一身に適切なる利害の在る所彼等既にこれを熟考してこれに應ず

るの策を求めたるに相違なかるべしといへども其未だ所業に現はれずして明治の今日天下

唯天保の商人を見るのみの觀あるは盖し商工者の臆病心十分心に悟る所あるも未だこれを

事に施すの勇なきによりて然るものならん文明劇變の今の乱世に當り一歩を誤まる者は終

生の悔を遺す商工者諸氏が念に念を入れて遂に臆病人の名を取りしは強ち咎むべからざる

が如しといへども用心臆病にも自から其程限あるものにして若し其限を超過すれば徒らに

以て身に禍するに過ぎざるのみ臆病も人に笑はるゝの〓は尚ほこれを救ふの望みあり一旦

人に憐れまるゝの日に至りては時機既に去りて回復の望みなし開化日進の今日進んで文明

の世界に榮んか退いて天保の遺業に死せんか我國本來の商工者は目下早く思案して去就を

決すべき時節なるべし