「新聞難」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「新聞難」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞難

新聞紙は文明世界の一大利器なり人事の廣き其際限を見ず人事の多き其數を盡すべからずといへども凡そ人間社會の事物として一も新聞紙の關係を免かるゝものなし既に新聞紙に關係を有すれば多少其勢力を感ぜざること能はざるは無論の事にして今の文明世界に於て人間發見の諸物中特に新聞紙の効力の大なるを見るは甚だ其理由のあるものと思はるゝなり盖し新聞紙の記載する所のものは千差萬別瑣事要報或は實事あり或は虚傳あり忽々に記し去りて忽々に讀み去り一たびこれを讀めば再たびこれを讀む者なく今日の記事にして明日尚ほ人の記臆に存するものは甚だ稀れなり然れども多き記事中には或は一笑を催すべき奇談あり或は知識を增進すべき緊要事ありて世上幾千萬種個々別々の人の其地位と思想とを異にするにも拘はらず毎日の新聞紙面何程空漠たるものと思はるゝものにても其中に就き必ず一二事位我意を引くに足るものを見出し得ざるは甚だ稀にして我適意の記事を讀むの序に我不適意の記事をも一讀し知らず識らずの際に何時か其新聞と同感同説の人と為り其感其説は遂に發して社會の人事と為るを尋常の例とするがゆえに學校の教育も寺院の説法も政府の命令も新聞紙の前に立ちては大に其力の薄〓にして及ぶ所の狭きを感ずるは今の文明世界の常態なり然れども其は所謂文明國の事にして他は然らず我日本の如き尚ほ未だ文明に不足する所あるか今日まで未だ曾て斯る事實を目撃したることなしと覺ふるなり日本新聞紙の無力なる記事の乏しき記事の雑駁ならざる記事の境界の狭隘なる未だ以て新聞紙の本文を盡すものといふべからず我々當局者の常に慚愧する所にして近來少しく新聞紙の勢力の世に現はるゝを見て文明世界の事に不案内なる老人等の竊かに大に狼狽するの事例なきにしもあらずといへども誠に云ふに足らざる小勢力にしてこれを歐米文明國の新聞紙が執る所の權柄に比すれば雲泥の相違も啻ならず實に恥かしくも亦歎はしき次第なりといふべし新聞紙の新聞紙たらざる其罪固より我々當局者に在りて敢て他人の與り知る所にあらずといへども然れども退いて我日本社會の今の有樣を熟察すれば此罪の全部を取て直ちにこれを新聞當局者の負擔に歸せんとするは或は聊か過酷に過ぐるの情實もあるべく我輩の未だ甘服する能はざる所なり此程新たに歐米より歸朝したる友人あり一日我輩を訪ひ内外の時事を談ず勇氣凛々心身すべて文明ならざる所なし談新聞紙の事に亘るに及んで友人口を極めて日本新聞紙を罵り我輩を責めて措かず曰く日本新聞紙の紙幅の小なる、其價の割合に大なる、記事の乏しき、電報の寥々たる、報道の遅き、外國の記事に精しからざる、廣告の少なき實に言語道斷なるものなり曰く日本新聞紙上特に寄書の記載なきにあらず其論ずる所公明正大にして天地に愧ぢざるの名論も少なからざれども何故にや自家の姓名を明記したるものは殆んど絶無なり歐米にても新聞紙上の寄書に悉く姓名を明記するにはあらざれども原文には仮號の外に姓名住所を明記して其記事の妄ならざるを證す否らざれば新聞社に於てこれを漫書とするを例とす日本新聞紙には未だ斯る例を〓ざるが如し曰く社會の新出來事にして世上到る所喋〓これを論談し苟くも世事に心を寄する程の人にて最〓〓れを知らざるものなき程の公然たる事柄にして新聞紙上曾て其記事を見ざること多し何ぞ探訪の迂濶なるや又世人の大に注意する事柄にして新聞紙上日々精細なる記事を見る折柄一日突然これを癈し彌後其音も香も聞かざること多し何ぞ怠惰の甚だしきや曰く日本新聞紙上の論説甚だ卓絶高妙にして歐米大新聞の社説とするも决して恥かしからざる名論の甚だ多きにも拘はらず兎角行文字句の間甚だ曖昧模糊として其論旨の果して何邊に在るかを知るに苦しむもの概して皆然らざるはなし文章は婉曲を貴ぶなどいふは支那の専制政治の下に養はれたる老儒者輩の卑屈説にして今の繁劇多忙なる世の中に通用すべきものにあらず文明の文章は簡単明白一讀即通するを要す吃辨者が金の無心を言ふが如きやうの文章は新聞論説の文體とすべきものに非ざるなりと此等の言一々皆道理至極なり然れども友人は文明世界を知て未だ日本社會を知らざる所あるがゆえに唯日本新聞を責むるを知てこれを恕するをしらざるなり第一日本新聞紙の小くして記事の不十分なる等の事は新聞紙の罪といはんより寧ろ社會公衆の罪なりといはん方適當ならん何となれば新聞紙も一個の營業にして其第一の目的は利に在り社會の人未だ新聞紙を讀むの必要を知らず隨て新聞紙の賣るゝこと少なければ到底其新聞紙を擴張するの工風なきなり若し日本の新聞紙にしてせめては歐米新聞紙の發行高の三分の一即ち毎號三四萬乃至七八萬位も賣るゝことゝならんには忽ちに其面目を改めて所謂文明國の新聞紙たる資格を具ふるに至るなるべし又友人は寄書者の姓名を明記せざるを責むれども日本の新聞紙條例には筆者翻譯者なども編輯人印刷人と共犯を以て論じ嚴罰に處すとありのみならず新聞紙に記載したる事項に付官署より其出所の訊問を受けたるときはこれを證明すべし違ふ者は罰すとあるより寄書者は萬一の塲合を慮りて其姓名を明記せざるのみならず内々新聞編輯人丈けに通知することさへも好まず依て編輯人は止むを得ず出所不分明なる寄書報告をも時に之を紙上に記載し後に其出所を證明すること能はずして罰に處せらるゝの例甚だ多し又既に世の談柄となりたる公然たる出來事にて新聞紙上に其記事を怠り又は中途にして其記事を停止するやうの事あるは新聞紙條例に陸海軍大臣は軍事に付外務大臣は外交上の事件に付特に命令を下して記載を禁ずることを得とあるが為めなり此等の禁令は普通警視廳管轄廳の手を經て達するを例とし一たび禁令下ればこれを嚴守するが新聞記者の義務にして其事柄の果して軍事又は外交事件の範圍内に在るや否やを判別するは新聞記者の權内にあらざるなり此等數多の事情のあるが為めに新聞の論説中にも自然含糊吃辨の文章多く新聞社會以外の人は之を讀んで其論旨を判別するに苦しむが如き塲合もあらん畢竟記者輩の未熟なるに由るとは雖ども亦自から止むを得ざるの情實あるものと知るべきなり今や日本も國會は開け内地雑居は始まり海運の交通も日に益便利ならんとするの時勢に際したれば新聞紙が眞成の新聞紙と為りて其本分を盡すを得るも亦必ず遠きにあらざるべく我輩は後來に向て少なからざる希望を抱くものなり