「演劇改良論續(昨日の續)」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「演劇改良論續(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

演劇改良論續(昨日の續)

人事の變遷は往古より徳川の時代に至るまでもすでに著しきものあり然るに我日本は嘉永の開國より次で王政維新以來舊物を一掃して文明開化の新世界を開きたるものにして有形の物、無形の事、一として變化せざるはなし事物の變化は取りも直さず人心變化の影響にして今の日本人の氣風は開國前の日本人に異なり然かも其異なるや源平時代と徳川時代と相異なるが如き些少の變遷にあらずして人心の根底より顛覆したるものなれば尋常一樣の觀を為す可らずと雖も其變遷の性質に至ては文明進歩の定則に違はず濃厚急劇より淡泊優美に移りたるの跡を見る可し明治の戰爭激烈なりと雖ども人の私有を犯さず敵の降りたる者を殺さず、法律一度び改まりて罪の及ぶ所は本人の一身に限り、拷問を廢し、肉刑を止め、無証據の罪人を捕へず、罪に由て私産を没入せず、顧みて世間を見れば復讎の沙汰なく殉死又は果合の奇談を聞かず尚ほ之よりも廣大なる變化は廢藩の一擧に於て見る可し封建の制度を廢して全國三百處に行はれたる君臣の關係を斷ち君既に君に非ざれば臣も亦臣に非ず既に古風の君臣あらざれば所謂忠義の働も大に其筆法を改めざるを得ず藩政廢して四民同權とあるからには門閥も香からず貴族も貴からず今日となりては仮令へ族稱爵位の事を重ずる者あるも唯低聲に其〓益を語り僅に一家の私言たるのみにして其事が果して社會進歩の為に必要なりとの理由をば敢て公言するを得ず如何となれば門閥爵位等の光明は唯愚民を照らして耀くのみ苟も中等以上文明の思想ある者の〓を以てすれば其光明も愚民の愚と共に愚にして見るに足らず而して文明の世界は文明の人の直接間接に支配する所なれば其人に向て愚の利を公言する能はざるも亦謂れなきにあらざればなり社會を離れて家門に入りても其趣は亦舊時に異なり子に向て子たる可きを責れば父も亦父たらざるを得ず夫にして夫たらざれば婦に向て婦たる可きを責るを得ず父必ずしも嚴ならずして常に子を愛し母獨り慈ならずして父も亦慈なり夫婦恰も一体を成して終生一日の如く子女幼にして團欒相親しみ長じて獨立妨げられず滿門和氣の悠々なる春の海の如くにして復た昔年の家法凜然窮窟なるものにあらず今の日本の文明社會に於ては其家風漸く此邊に赴くもの多し男尊女卑の弊風は既に文明の為に厭ひ盡されて天下一人として其主義を保護する者なし或は私に舊弊風を利して凡俗世界を瞞着し以て快樂を買ふの媒介に用る輩もあらんと雖も瞞着す可らざる者は文明の慧眼にして如何なる才子も如何なる老練家も敢て一言を發して其眼光を遮らんとする者なきが如し

以上は我開國以來人事變遷の大略にして今日既に此塲合に達し尚今後我後進生の勉強と共に内地雜居等の事行はれて文明國人に交ることいよいよ繁多なるに於ては國運の進歩文明の變遷實に想像の外なる可し然るに今人事の實相は斯の如くなるにも拘はらず時人の氣風を寫し出すと稱する演劇が獨り舊套を改めずして古來自家の習慣に安んずるとは我輩は唯その因循無智に驚くの外なし之を喩へば新聞紙が時事を報道して時の與論を寫すと唱へながら古典を講究して古事の繰言を語るが如し文明の世界に誰れか斯る陳腐敗紙を讀むものあらんや新聞紙にして斯の如くならば今の演劇も正しく封建の世界に適當したる者にして其仕組の陳腐なるは古典の再演に異ならず其濃厚急劇なるは儒教武士の精神を寫し其〓猥にして厚かましきは下郎社會の醜体に彷彿たり文明の人にして誰れか之を見る者あらんや讀者若し此に疑あらば試に今の劇塲に今の日本政府の裁判所に關する事を演し徳川政府初代の人民を蘇生せしめて其見物人たりと想像したらば見物人は如何なる評を下す可きや科人に代言人とは何事ぞ、政府の吟味糺問を公衆に傍聴せしむるとは何事ぞ、堂々たる役人の申渡したる判決を訴訟人の身分として不服を申立て尚上等の裁判所に訴るとは何事ぞ、政府も亦態と其越訴の道を開いて之を取上るこそ奇怪なれ政府の威光は地を拂ふて恰も人民と相對し曲事を犯したる者共へ勝手次第の我儘を差許すに異ならず我板倉周防守松平伊豆守の如きは則ち然らず糺問裁判の秘密は一人の方寸に在て存し天下萬民皆その恩威に服せざるはなかりき吾々娑婆世界を見ざること久し僅に二三百年の間に世は澆季に移りて演劇の趣向までも斯の如し之を見るも忌しとて必ず大に不平を鳴らすことならん如何となれば徳川の初代と明治今日とは人事の實相を異にし舊事相に慣れたる眼を以て新事相を見れば一事一物,一より十に至るまで悉皆我意想の外に出でて却て情を動かすに足らず唯殺風景の觀を為すの外ある可らざればなり然らば則ち今日漸く西洋の文明主義に養はれて漸く其精神の淡泊優美を致し思慮緻密にして心氣劇しからざる種族の人が今日の劇塲に遊び殿樣の尊嚴家來共の卑屈を見物し、忠臣の忠義奸臣の奸惡を見物し,其計略の疎漏にして其欺かるゝの容易なるを見物し、其戰闘の劇しくして其勝敗の不思議なるを見物し、孝子の孝は身を苦しめて無情の木石の如く、烈婦の烈は容易に自害して平氣なるが如くなるを見物し、結局に至り盗跖は誅に伏して顔淵は長壽を保ち以て目出度く當日の幕を終るを見物したらば如何なる評を下す可きや事の顛末不揃にして然かも無味殺伐なること小兒の戯に等しとて不平を鳴らす其状は元和寛永時代の人が彼の明治裁判所の作ものを見て不興を催ふすよりも尚ほ甚だしきことならん幸にして今の看客の中には尚天保時代の故老を存するが故に封建の殘夢中自から懐舊の情を催ふして興に入る者もある可しと雖ども文明の後進多數の子女は殿樣の何ものにして家來共の何ものたるを知らず、古代の忠孝貞節の筆法を知らず、其爭闘の劇しきに驚き、其狼狽の甚だしきを訝かるのみか或は書卸し新狂言など稱して新に工風したる脚本を演するものにても其作者が天保時代の筆を以て濃厚に彩色するが故に外面厚かましくして情は却て深からず其極端に至ては唯田舎者を悦ばしむるに足る可きのみにして文明都人士流の眼を以てすれば猶彼の蛇遣火吹竹の見世物を見ると一般、興を催ふすは扨置き赤面の汗に苦痛を覺え一度の見物に懲ごりすることならん左れば演劇は決して空想より生ず可きものにあらず正に其時代に行はるゝ人事の實相に伴ふて始めて能く看客の情を悦ばしむること爭ふ可らざるの事實なれば封建の時代人事の濃厚急劇なる世に演劇の趣向も亦濃厚急劇なる可く明治の今日人心次第に淡泊優美に赴くの時に當ては又これに應ずるの手段なかる可らず況んや日本の文明は今正に進歩の中に在て駸々止まざるの最中演劇も亦其時勢に後れずして速に淡泊優美の新装を着ること緊要なる可きなり(畢)