「支那外交官に一言」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「支那外交官に一言」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那外交官に一言

恩に報ゆるに恩を以てし怨に報ゆるに怨を以てするは今の世界の外交政略なり國の交際頻繁なる其際には恩の關係を生ぜざれば怨の關係を生ずるは勢の自然なるが故に外交の局面に當るものは成る可き丈け其交際國の歡心を失はず平常我を徳とするの念を起さしめて他日有事の時に其報酬を得ることを謀らざる可らず勿論國交際上には名譽の張り合ひ利益の取り遣り、國民の意氣地にて引くに引かれぬ塲合もあり怨を結ぶと知りつゝも口に沫を吹き額に青筋を張らすのみならず或は騒々しき取組合をも為さゞる可らずと雖ども人の目前にて態と肩で風を切りヲツに咳拂ひを為して詰らぬ所に力瘤を膨らし所謂折介根性を滿足せしめんが為めに直打もなき怨を結ぶなどは文明國交際上の禁句なりと知る可し目下西洋諸國の外交略は恩と怨との關係を以て組織するものにして東隣の強きを恐るれば常々深く西隣に結び置きてマサカの時は其應援を借り、借りたるものは之を徳として他日之を返さんとし貸したるものは其返報の來るを待つ又我に無禮するものあれば事宜に困りて直に其怨を報ぜざるも其國の隙あるを見て追て怨の意趣返へしを為すが如き恩と怨との性質次第にて骨髄に徹して永く相忘れざるなり一飯の徳、睚眦の怨、應報目前に決する者もあり斯くて恩の關係を以て交際するものは一旦緩急我味方を為す者にして怨の關係あるものは笑中劍あるを免かれざれば一國の外交官たるものは戰時の中立應援等の大事は勿論平常の音問贈答等の禮數に於ても禮を重んじて他の歡心を破らず成る可き丈け恩の關係を以て交るの間柄と為らんことを勉めざるを得ず西洋文明國の外交官が此點に關して其注意の特に緻密なるも亦謂れなきに非ざるなり

右の如く述べ來りたる處にて扨て日本と支那との交際如何と云ふにこの兩國は共に東洋の獨立國にして地理上より云ふも形勢上より云ふも其交際の頻繁なる可きは言を俟たず交際頻繁なれば恩の關係か或は怨の關係を生ずるは勢の自然と申すべし近年兩國の交際上には臺湾事件琉球談判を始めとして前後朝鮮の事變等あり其時々双方の人心を激して不平の〓もありしかども要するに睚眦の怨にして深く骨髄に徹する程の事にも非らざれば今日までの處にては格別の恩も怨もなしとして扨て今後の交際如何を豫想するに支那は特に恩の關係を以て日本に交らざる可らざるの事情ある者の如し支那若し如何樣かの行違にて今後再び先年の佛清事件の如き者を惹き起すことあらんに其際日清の間柄不和にして日本が支那の相手に向い應援加勢を公諾或は默諾して船の修繕、薪炭の供給、負傷者の療治等を許したらば支那の困難は如何なる可きや國の存亡に掛けて容易ならざることならん左れば支那の外交官は平常日本の歡心を買ひ置きてマサカの時の便宜を謀らざる可らず例へば今度長崎に起りたる支那水兵の暴行一件の如き其曲、分明水兵に在るが故に被害者たる日本人は事實取調の上相當の要求を爲し支那の外交官は事實に對して其要求を滿足すること勿論ならんと信ずれども萬一支那にて我要求を滿足する能はざるが如き素振りもあらんには事件の小なるにも拘はらず大に日本人の好意を失ふことなしと云ふ可らず斯くて此等の事情の度重なる時は支那と日本との交際は或は互に怨を以て報ゆるの關係とも爲り支那の爲めに謀りて如何ばかりの國損なるやも知れず盖し今回の長崎談判は後來に向て斯かる塲合の先例を於くものなれば我國にては十分の要求を爲すこと勿論にして支那の外交官は後來兩國の關係を推想して此際大に我を滿足せしむべき返答を爲すに相違なかるべし我輩は念の爲めに當局者等の注意を促して今より其處置如何に刮目し居るものなり