「今後支那帝國の文明は如何なる可きや」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「今後支那帝國の文明は如何なる可きや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今後支那帝國の文明は如何なる可きや

支那人に對する交際は最も謹愼を加へ剛柔の處置を誤

ることなくして事を未だ起らざるに鎭壓するの用意あ

らば數年の間は幸に無事なるを得べし苟も支那人にし

て國交際に平和の貴きを合點したらば必ず我輩の冀望

を空うすることなかる可しと雖ども爰に眼を轉じて支

那帝國の内情を觀察し其大勢の運動を卜するときは我

輩は更に又大に心配する所なきを得ず其次第を云はん

に本來今の支那人が西洋流に從て得々たりと云ふも其

西洋流とは唯西洋文明の武器を利用するまでのことに

して錢を以て買たる文明に過ぎず其人の心身を支配す

る文明の主義に至ては毫も此國に入らざるのみか陶虞

三代孔孟の道尚存して自尊卑他謬信惑溺の精神は依

然として舊に異ならず甚だしきは斯道を以て五洲の民

を化せんなどの語を放つ者さへ多しと云ふ、内に此精

神あり發して外國交際に現はるれば中華洋鬼の体裁と

爲り、伏して内政に行はるれば陰陽五行天神地祇の妄

説と爲り、長上の壓制と爲り、裁判の不公平と爲り、散じ

て民間に在ては收斂と爲り、賄賂と爲り、民心の卑屈と

爲り、數千百年の習俗これを洗ふて除く可らず其文明

の主義に於ける全く相反對するものにして此邊より見

れば西洋文明の元素は支那全國を擧げて一點の痕跡な

しと云ふも可なり然りと雖ども習俗能く人の天性に勝

ち其外交なり内政なり又民間の事實にても外人より評

論すればこそ驚く可きに似たれども支那の自國に於て

は上下共に怪しむ者なく各その分として其處に安すん

じ曾て疑を起すことも無くして恰も全社會の平均を成

す以て其秩序を紊だることなきは東洋固有の立國法に

して其趣は我日本の北條又は徳川等の政府が儒佛の道

を本として社會の秩序を定め以て天下太平の治を致し

たるものに異ならず其時代に在ては強ち咎む可きに非

ざるなり左れば支那人は方今錢を以て西洋文明の利器

を買ひ周公孔子の子孫をして此利器を執らしめ護國の

器械を西洋にして治國の精神を支那にし以て能く其外

交内治を維持す可きやと尋るに我輩は斷じて否と答へ

ざるを得ず蓋し人の居は志を移すの諺に違はず凡そ人

として物を見れば其物の由來を求るは自然の情にして

輕々之を看過すること能はざるを常とす況んや其物を

用ひて其利を知るに於てをや決して之を不問に附せず

して其由來を問ひ、其製作法を問ひ、其製作者の人物を

用ひ、其人物の履歴を問ふと共に其國の民情風俗を問

ひ、尚進んで教育世教の風は如何、政治法律の仕組は如

何、人民と政府との關係は如何を問ひ、遂に大に發明す

るものある可きや人心の働の定則にして違ふ可らざる

ものなり即ち其大に發明する所のものは西洋文明の大

主義にして一度び此境界に達するときは心情の根底よ

り頻〓して今吾復た古吾に非ず顧みて自國の社會を見

れば中華果して華ならず天朝必ずしも天ならざるのみ

か社會百般の事物一として意に適するものなく一とし

て安心す可きものなし是れも改めざる可らず夫れも除

かざる可らずとて物論漸く沸騰して之を制止すること

易からず即ち維新の先驅改革黨發生の萌なり是に於て

中央政府は此改革論に從はんか所謂舊弊を一新せざる

可らず然るに其舊弊なるものは文明の主義より見れば

こそ弊害なれども上は滿清の宮中朝廷より下は廣く群

臣庶民の私に至るまで二百五十年來の慣行にして容易

に之を動かす可らず若しも此慣行を舊弊なりと云はゞ

支那の君臣上下は恰も舊弊に依頼して生活する者なる

が故に其弊を除去するとは取りも直さず生活の根本を

頓覆するに異ならず、改革論斷じて採る可らざるなり

、左れども一方の改革黨に於ては啻に其器械を西洋に

するのみならず其精神も亦既に洋化して文明の武器を

買ひ又之を製作し鐵道を敷設し電線を架し内地の交通

は次第に便利を増して外國人との交際は日に親密を致

し其言を聞き其書を讀み或は著書に新聞紙に傳へ又傳

へて黨類の日に月に増進する其有樣は春の野に草木の

發生するよりも盛なれば今更これを國害なりとして中

止せんとするも勢に於て叶はざることならん斯る事の

勢にして國中に守舊開進の二流を分つのみならず現に

其朝廷と名くる小區域の中にも新舊老少の兩派を生じ

て軋轢を催ふす可きは我輩の今より期して違ふなきを

信ずる所なり故に今日支那人が軍艦銃砲を利用して其

効力に心醉し又隨て鐵道電信等の利を利せんとして汲

々たるが如くなれども最初より其國家の大變革を豫期

しての事なれば即ち可なり若しも然らずして周公孔子

の子孫が君子を以て自から居り洋鬼の工風を器にして

之を用るなどの考案ならんには一般の軍艦一門の大砲

も夫れ丈けは舊弊の除去を促し、十里の鐵道百里の電

線も其架設に進歩するは即ち改革の事變に近づくもの

と知る可し舊習慣の團結、解かんと欲して解く可らず、

新主義の流行、留めんと欲して留む可らず、其極度に達

して異常の運動ある可きのみ舊習の蒲團に坐して新主

義の手を動かさんとするが如きは人間世界に行はる可

らざる事なり事例遠からず近隣の日本國に在り明治の

維新より爾後の變革を見て知る可し我輩曾て云ふ支那

一變して日本に至らんとは蓋し此邊の意味なり然らば

則ち支那社會の大變革は早晩免かる可らざる事として

之を豫定し其時に際して我日本は如何す可きや今より

大に思慮を運らして覺悟する所のものなかる可らず故

に我日本が支那に對する交際法は今日既に繁多なりと

雖とも他年一日の事を思へば尚更に繁多にして重大な

るものある可ければ呉れ呉れも等閑に附す可らざるなり