「外國の商賣は不景氣を知らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外國の商賣は不景氣を知らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外國の商賣は不景氣を知らず

日本の商況の不景氣は既に其極度に達したるもの歟

或は尚ほ一段の甚だしきに進む可きもの歟、何れにし

ても回復の期は容易に見る可らざるものゝ如し扨その

不景氣の有樣は如何と尋るに生産者が物を作り出して

も之を買ふ者なく商人が商賣品を仕入れても賣捌の道

なきが爲めに職工も手を空うし商賣人も閑居して生活

に苦しむのみならず資本家も共に其禍に罹りて次第に

兼弱の色を現はすと申せば本來日本は東洋の一國にし

て他の例に洩れず人口多く資本少なくして金の利子甚

だ低からず非常の高利は格外の事とするも尋常の場合

に於て一年一割以下に下ることはなかりしものが近年

は工業起らず商賣振はずして資本不用なるがために一

割は扨置き七八文にも六箇敷く本年に入りては先づ五

分内外を以て目數にするものゝの如し實に古來例もなき

低利にして資本家の收入より見れば恰も其身代を半減

したるに異ならず前年なれば五萬圓の元金を運轉して

五千圓の利子を得たるものが今日は五朱利付の公債證

書を百萬圓の割合にて買入を一年の所得二千五百萬圓に

足らず誠に氣の毒なる次第にこそあれ依て我輩が竊に

案ずるに今の不景氣に逢ふて商賣品に賣捌の道なしと

は唯日本國内に其途になきのみにして外國に向ては都て

の取引むかしに變りある可らず我開港場の貿易は舊の

如くして近年は其輸出の法も次第に手慣れたることな

れば日本の資本家も俗に所謂馬鹿直を出して公債證書

を買ひ空しく其身代の力を半減して自から苦しむより

も眼を轉じて外國の商賣に手を出すこそ得策なる可し

と信ず事の細目は他日の説明に讓り今こゝに大体の利

害を述べんに

第一近年日本の職工役夫は仕事なくして賃錢非常に下

落したるが故に外國へ輸出す可き品物は製作品にても

天産物にても其の賃錢の下落したる割合に低賃なる可

し而して外國の市場に於ては日本國の賃錢が下落した

りとて之が爲に日本品の値を落すに非ず其間の利益

は自から我輸出商人の手に歸すること勘定に於て明白

なる數なり

第二日本の商況活溌にして金利一割以上の時節にも輸

出商賣には相當の利益を見たることなりき然るに今日

我資本家は五分の利子に甘んじて他念なき有様なれば

爰に着手する輸出商賣に付き資本金に對する利子は一

年百分の五なりと覺悟を定るときは賣買の上の利益は

必ず大なる可し如何となれば前年は金利を一割以上に

計算しても尚ほ利益を見しものなれば今日の商賣に前

年と同じ首尾を得れば五分の利益は利子の差よりして

恰も別途に入るの姿なる可ければなり

第三近年は外國にて金貨頻りに騰貴し同名の金銀貨に

て其差凡そ三割以上に達したり故に日本にて輸出品の

仕入は都て銀貨(紙幣も銀に同じ)を以てして彼の國の

市場にて買上げ代價は金貨を受取ることなれば日本にて

百圓と唱ふる品を原價の唱に從て其まゝ百圓に賣るも

既に三割の差を見る可し固より商賣の事は活動にして

日本にて百なるが故に必ず外國にても百なる如きにあ

らず臨機應變時に隨て大利もあらん小利もあらん又時

としては失敗もあらんと雖ども兔に角に今の金銀貨相

場の時節に當りて銀貨國の品物を金貨國に賣るの利益

は決して少々ならず假令へ正しく三割の利を見るなき

も取引の事都て苦情少なくして容易なる可きの便利は

疑もなき事なり

右は專ら輸出の利益を記して我輩の斷じて疑はざる所

なれども輸入の方にも亦見込みなきにあらず常に時勢の

變遷に注意して内外の需要供給を觀察したらば外國に

意外の物を生じて内國に意外の所要もある可し北亞米

利加の麥、熱帶諸國の米、輸入す可らざるに非ず日耳曼

に山鹽あり或は以て日本の鹽田を壓倒す可し、濠太剌

利に羊毛あり日本の地を撰んで大に織物の製造所を起

す可し又或は日本人が近來頻りに西洋の衣食を悦び上

流の部分に手は漸く西洋奢侈の風を學ばんとする者あ

り一國經濟の利害はイザ知らず商人の身と爲りては自

から利するの外に論説ある可らず世人が奢侈に赴かん

とするこそ幸なれ隨時西洋諸國に流行の珍品を輸入し

て紳士貴女の贅澤心に投ずるか又は其眼前に珍奇を耀

かして贅澤の情を誘導して以てますます之を賣るの工風

こそ專一なれ輸入の商賣社會尚ほ餘地あるものと云ふ

可し

右は今日の商賣上誠に眼易き事情にして内に資本の所

用なければ外に向て之を用ると云ふに過ぎず苟も自家

の資産に損得の考あらん者は人の言を俟たずして自か

ら奮起す可き筈なるに世間に其沙汰を聞くこと稀なるは

何ぞや畢竟我日本人は數百年來封建鎖國の空氣の中に

養はれて政治の風は開國に決したれども國民の頑陋は

骨に徹して動かす可らず不景氣の影響初めは間接なり

しものが漸く其處を轉して直接の禍となり遂に其身代

の力を半減せらるゝに至りても尚ほ之を免かるゝの道

を求めず有爲の才力有爲の資本を所持したがり坐して

困却して更に一説なしとは我輩の解し能はざる所にし

て失敬ながら日本の資本家は封建の遺民にして利を知

らざる者と云はざるを得ざるなり