「外交の輕重は實利に在て存す」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外交の輕重は實利に在て存す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外交の輕重は實利に在て存す

西洋の人が東洋諸國に徃來するは貿易商賣を利するの外あらざれば其國を輕重する標準も文物の前後兵備の強弱等に在らずして單に其貧富を見るものゝ如し況んや交際應對の巧拙に於いてをや東洋の人が禮を盡すも深く喜ぶに非ず禮を失えばとて中心に怒るに非ず西洋人の眼中には東洋の文物兵備見るに足る者なし其文、學ぶに足らず其武、憚るに足らず其非禮も容るに足らず唯東洋諸國を見渡して何れの國と商賣したらば利益あるべきやと其利益の大小を〓算して輕重の品評を下だすべきのみ例えば今日本支那朝鮮の三國を〓べて西洋人が之に對する交際を重んずること言わずして明なり朝鮮の小弱にして不文なるは論外にして之を〓き文事武術の點に於いて日本と支那とを比較すれば世界萬目の視る所にて先ず日本に指を屈せざる者なしと雖ども國交際の輕重を吟味する時は西洋各國何〓も皆支那の交際を重んじて日本をば却って其亞流に置くは何ぞや西洋人が支那に對する商賣の利害は甚だ重大にして日本の商賣の比に非ざればなり例えば支那人が外交事件に就いて西洋の國を敵とすることあるも容易に兵備を開くことなく仮令え一國が之を開くも他の一國は之を傍觀する〓、然らざれば〓に支那の便利を助くることもあるべし如何となれば西洋人が支那人を親愛するにも非ず敬畏するにも非ざれども其商賣の關係廣大繁多にして支那國の治亂は直に西洋諸國人の利害に影響を及ぼし兵端一度び開くときは支那の物産を輸出せんとする者は其路を塞がれ支那人へ物を賣らんとする者は忽ち得意を失い其損害を蒙る者西洋諸國中に少なからざる其上に從前の取引約條等に就いて入組たる貸借差引も一時の騒〓の爲に紛亂して容易ならざる困難を致す可ければなり之を今日我日本に對する貿易の有様に比すれば同日の論に非ず今之を〓に就いて云わんに千八百八十四年の調査に支那の海關輸出入物の金額は一億九千百六十五萬圓餘にして日本に輸出入の髙は六千二百萬圓に足らず且支那には雲南地方、露西亞の邊境等に陸上の貿易も少なからざる事なれば其大數を我貿易高に比して三倍よりも多し即ち西洋の人が支那に利する利は三にして日本に利する利は一なるが故に彼等が日支兩國人に對する交際の重量も正しく三と一との相違を爲して支那の交際を重んずること三なれば日本の交際を輕んずることは一なる可し人間世界の錢は以て權理を生じ以て人情を生じ以て徳義を生ずる〓物にして其錢に因〓〓き支那國なれば其國人の權利を助くるのみならず情を以て之を憐み徳義を以て之を庇護するの重きも亦日本に對するものに比して三倍の相違なきを得ず人事の表面より見れば義を先にして利を後にし錢の多少を云わずして智德の前後を論ずる者多しと雖ども此主義は稀に一個人の私に行わるゝのみにして苟も其人を集めて一社會と爲し一國と爲して全体の働を視察するば人間〓事錢のために運動せざるものなきが如し西洋諸國の人が日本の交際を重んぜざるも亦謂れなきに非ず近くは今回長崎事件の如き諸外國人の意見は未だ詳に知らざれども今後その様子を見たらば亦以て〓言の中たるか中たらざるかと證するに足るものある可しと我輩は〓目して之を見る者なり

右の所記事實に相違なきに於いては我日本國人が國の文明の尚未だ幼穉なるを憂い、文事未だ進まず武備未だ足らざるが故に外國人の輕〓未だ免がれず、自國の國權未だ振わずとて日夜苦心して止まらずと雖ども其然る所以は差向きの處にて文にも在らず武にも在らず唯錢これが原因たるのみ如何となせば錢に薄〓なる國の交際は西洋人の重んぜざる所にして時としては其國人を輕侮し其國權を無頓着に附すること自然の道理なればなり左れば今この輕侮に免がれて苟も自國の權理を伸べんとするには我國人が殖産の道に志して外國の貿易を盛大ならしむる外に妙手段ある可からず我れに餘るものを出して足らざるものを入れ有餘いよいよ多ければ不足を覺ることも亦いよいよ甚だしく出入共にいよいよ増加するは即ち外國貿易の増大したるものにして其増大するに從い外國人が日本の貿易に利害を感ずる熱度も亦一層の高きを加え仮令へ其本心に日本を重んぜざるも自家の利害の重きが爲めに日本の交際を名けて重しと言わざるを得ず唯これを口に言うのみならず實際に當りて暗々裏に我外交の圓滑を祈り仮令へ有形の力を以て之を助けざるも德義上に應援を貸す可きは論を俟たずして明らかなり即ち利益より德義を生ずるものにして之を今世の人事に徴して爭う可からざるの事實なり我殖産漸く進歩して我貿易日に繁昌し日本國は恰も東洋貿易の當源なりと認められゝに於いては外國の應援は之を求めざるも彼れより來て應ず可し國權重からざらんと欲するも得べからざるなり外國交際は〓實相半すと云うと雖ども實の利益を外にして〓るものある可からず宴席茶話の間に一個人の〓心を買い以て外交を維持せんとするが如きは我輩の取らざる所なり