「鐵道を布設するの政府を煩はす勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道を布設するの政府を煩はす勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道を布設するの政府を煩はす勿れ

日本の資本家は連年の不景氣甚しく爲る事爲す事として損毛ならざるなきに懲り果てゝ疑

心暗鬼を生じ草の葉の風にそよぐ音にも腰を拔かすばかりなれば天下貨殖の道唯公債證書

を庫に藏めて一心一向にこれに依頼し他の一切の邪念を拂ふに在りと爲し商賣工業の如き

は初めより無縁のものと諦らめ居れば態々其損益窮通等の有樣を問ふの用もなく無閑散の

天地に生息して家運の偏へに長久ならんことを祈り居りしに昨年に至り圖らずも整理公債

證書發行の命令天降りて年六分以上高利の公債は一切五分低利の公債に引換へらるゝこ

とゝなりしより資本家の驚き一方ならず萬代不易の家産なりと頼み切つたる公債も人間世

界の風波に連れて上下同搖するを免かれざるものなりと知りては子孫長久の計は勿論我生

涯間の事さへも中々油斷なるべからず爰に始めて長夜の眠りも少しく覺めんとする心地せ

られ漸く先づ一歩を進めて全國内外の形勢を察するに人間世界决して事無しといゆべから

ず商事にあれ工事にあれ人の來て遺利を拾ふを待つもの枚擧に遑あらず中に就き今の日本

國内に於て文明富強を進むる第一の必要具にしてこれに要する資金の大なるも他に比類な

く而して尚ほ其資本者に對して相當の利潤を與ふべき鐵道事業の在るあり何は兎もあれ先

づ此鐵道を布設するこそよけれとて全國の四隅遠く山河を相隔るも人心の歸する所に變り

なく西は九州より東は奥羽地方に至るまで到る處として鉄道論ならざるはなく九州鐵道、

播州鐵道、攝河泉鉄道、四日市鉄道、八王子鉄道、両毛鉄道、常陸鉄道の如きは其最なる

ものなるべし實に盛んなりといふべきなり我輩は各地資本家の斯く自から大に奮發して又

其着眼の所の甚だ其當を得たるに感服し國家公私の爲めに大に賀すべきの事なりと云はざ

るを得ざるなり然れども此際我輩が尚ほ少しく滿足する能はずして資本家諸氏の爲めに聊

か遺憾を免かれざるの一事は諸氏が此有益有利の事業を企つるに當りて其决意安心の所尚

ほ未だ十分に堅固ならずして鉄道を視ると第二の公債證書たるが如き有樣ある事是れなり

各地鉄道布設の發起有志者動もすれば曰く某地より某地に至るまで何十何百里の線路に鉄

道を布設すべし此費用概算何百何十萬圓なりこれを何萬何千株に分ち此株金總額に對する

一箇年何分の利子は政府の保證を請願すべし云々と是に於てか賛成者雲の如く起り株金の

申込みは豫算總額の幾倍に達し府縣官有志者等奔走徃來の有樣は殆んど一塲の戰爭を見る

が如く然るなり而して又其鉄道を布設するの方法は如何と尋ぬるに彼の有志者の單鉄道工

事等の細項目には甚だ漠然として嘗て心頭に掛くる所なく動もすれば曰く我々地方の有志

者は唯鉄道布設に入用丈けの資金を募集するを擔任するのみ資金既に集まれば之を擧げて

其筋(多くは鉄道局を指す)へ指出し工事一切の事を依頼するのみと即ち鉄道布設の測量

より軌道を布き橋を架し停車塲を設け汽車を徃來せしむるの事に至るまで一切の事務を擧

げて其筋に依頼し株主は唯銘々引請けたる丈けの株金を才覺して之を其工費に供し然る後

は年々坐して曩きに政府に請願したる年何分の保證利子を請取らんとするの〓算なるが如

し若し果して斯る趣意より賜りたる鐵道論なるが如し若し果して斯る趣意より賜りたる鐵

道論ならんには有志者諸氏は寧ろ初めより鐵道論を云はずして單純明白に公債應募とか授

産金請願とか觸出さん方自他共に無用の煩勞少なかるべしと思はるゝ〓〓〓〓〓〓いて思

案すべし公債證書に等しき利子を政府に保證せしめて鐵道を我住居の郡村に布設し我れは

これが株主たるべし汝も亦國民の義務として幾株を負擔すべしなどと事騒がしく奔走した

りとて誰れか其志に感服する者あらんや廣く世人の感服せざるのみならず其鐵道布設の計

畫に最も緊要なる保證金頂戴の如きも必ず政府當局者の爲めに拒絶せらるべきや明白なら

ん保證金は失ひ世人には嘲けられ結局幾十里の鐵道も永く圖畫の上のものたるに止まりて

其實物を見るの期なきに終るが如きは我輩が有志者諸氏の爲めに取らざる所なり然りと雖

ども今の日本の鐵道事業は必ずしも政府の保證利子を要せず又此鐵道を布設するに必ずし

も政府の技術師を煩はすを要せず最初の工事より爾後の營業事務に至るまで一切政府の保

護干渉を煩はさずして獨立に業を企て十分に其利を見ること亦甚だ容易なるべし我輩は日

本の資本家有志者等が今日の如く鐵道に熱心し又其布設を急ぎながら何故に政府の保護外

に立て事を企て一切の技術師を外國より雇ひ來りて政府が念に念を入れて百里の鐵道に三

年を費やすが如き悠々主義に倣はず咄嗟に事を辨じて東京大坂間の鐵道の類ひは一年を出

でずして見事成功せしめんとするの勇氣なきかを疑ふなり彼の公債證書の代りに保證附の

鐵道株券を所持せんとするが如き兒戯一般の殖産論は我輩の悦ばざる所なり