「 巨文島抛棄の事如何 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 巨文島抛棄の事如何 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 巨文島抛棄の事如何 

英國が朝鮮の巨文島を占領したるは一昨明治十八年三月初旬の事にして當時英國は阿富汗の事よりして既に露國と戰端を開かんとする勢に立至りたる時なりければ先づ取敢えず同島を占領して露國の極東諸港を差押へ一旦開戰を告ぐるの曉には露國の軍艦をば一歩も之より西に下らしめじと期したりしものならん然るに幸にして英露の交渉は破裂に至らずして止みたるも英國は依然同島を據有して之を持主に返付せんともせず海岸には砲薹を築き港口には水雷火を埋めなどして却て益々其守備を嚴にし永久之を占有せんとするの氣色なりしに昨年來は頓に趣を變ゑて或は之を抛棄せんとするの意あるやの噂、往々世に聞えしが近頃に至り同國は愈々抛棄のことの决したるものと見へ現に長崎よりの報道によれば英國は愈々巨文島を棄るに付是迄同島に建築したる建物等を公賣するの廣告をなしたりといへり前述の如く巨文島抛棄の噂は久しく世間に聞へ渡りたる處にて昨年の暮頃には英國にては同嶋を支那に讓渡すとの風説さへありたりしが今回の報道によれば之を他國に讓渡す事をなさじして唯持主に返付する事に决したるものなりといへり此事に就ては世間の臆説區々にして若し英國にて永久同島を據有するに於ては露國も勢、何れかの地を占領せんとするが爲に之を抛棄したるならんといひ又は朝鮮の中立を受合ふ露清兩國の約條整ひたるを以て英國は同嶋を抛棄したるならんなどの説あれども何れも信を措くに足らず抑も英國が此島を據有したるは一昨年の三月英露事件の折に際し一時の急に迫り取敢へず占領したる次第なれども聞く所に據れば英國の海軍省に於ては同嶋の位地形勢に就ては既に十數年前より考察を遂げたることあり又故パークス氏の如きも東洋に在勤中同嶋の事に就ては其政府に勸告したる事もありたる由なれば英國にては兼てより同嶋を以て東洋の一要地と認め一旦緩急の時には之を占領するの覺悟ありし事ならんされば同國が之を占領したる上にて永久之を據有せんとしたるも偶然にあらずして亦永久之を據有するを以て必要と認めたるものならん然るに今回遂に之を抛棄せんとするには何か其理由の存する所なかるべからず世間或は此報に接して英國が同嶋を抛棄するは東洋の平和を謀るの好意に出づるものなりとて喜色を呈するものなきにあらずと雖ども英國が今日に至りて遽かに前日の非を悟り巨文嶋を占領したるは朝鮮は勿論、日清兩國に對しても無遠慮の次第なりと心付て穩に之を持主に返付する氣になりたる譯にもあらざるべし又目下東洋の關係は甚だ靜穩なるを以て英國は同島を據有するの必要なきを以てこれを抛棄する事に决したるやといふに近來バルガリヤ事件よりして歐洲列國間の交際甚だ滑かならず春暖を待て戰端を開かんとするなどの風説喧しき今日なれば英國が東洋に於て露國に備ふるの戒心は一日も怠るべき時にあらずされば今回の抛棄は世状正さに太平なりといふより外に何か他の理由なかるべからず我輩の聞く所に據れば英國支那艦隊の將官等は先頃より頻りに説をなして同島の要害を堅固になし十分頼むべきものとなすには非常の入費を要すべしさりとて之を十分にせざれば事あるの日、頼みとなすに足らず、よし又之を十分になしたりとて英國海軍の爲に左程の利益をなすに至るまじと主張したる由なりされば英國政府にても兼て同島をば東洋の一要地と見込み居たるも之を占領したる上にて實際の經驗より十分、頼みとなすに足らざる事を發見したるを以て其説を容れて扨は抛棄と决したるものならんか然れども今日の形勢に於て英國が露國の極東諸港を扼する爲めに朝鮮の巨文嶋又は日本の對馬近傍に於て一の海軍碇泊所を所有するの必要は敢て前日に異なることなく殊に近頃は露國が朝鮮の永興灣又は北青地方を占領せんとするの風説さへあり又歐洲の關係も頗る困難なる折柄、その必要は益々前日より切なることなるべきに今日突然英國が同島を抛棄したるは或は其更に同島より大なるものを望むの意に出でたるやも知るべからず今日世界の大勢と英國の利害とより見れば東洋極端の二三島嶼、之を取るも之を捨るも何等の遠慮會釋をも要せざる有樣なれば今日巨文嶋を捨つること恰も敝履を脱するが如くなるは明日他の之より大なるものを取ること恰も亦落葉を拾ふが如くなるが故ならんか彼の巨文嶋は一昨明治十八年の占領以前より英國の胸算に於ては早く既に之を自家の所有と認め居たるものなり日本の西、朝鮮の近海、港灣島嶼其數頗る多し思ふに其中或は既に英國胸中の版圖たるものもあらんかと思はるゝなり