「言ふ可くして行はる可らざる乎」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「言ふ可くして行はる可らざる乎」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

言ふ可くして行はる可らざる乎

人民を導て殖産の道に入らしむるの法は近くは識者の説諭、遠くは後進生の教育に在りと

云ふと雖ども何れも存外に無効なるものにして先づ我開國以來况に至るまで人の説諭に依

て業の進みたるを聞かず况や教育の如き從前今日までの教育法にては實業の擧らざるのみ

か教育を施して却て殖産に不適當なる人物を作り出したる例こそ多けれ誠に頼むに足らざ

るなり左れば勸業の要は説諭にもあらず教育にもあらず我輩の所見を以てすれば唯自利の

成跡を以て之を促がすの一法あるのみ人生、利を好まざるものなし利の在る所には促か

さゞるも之に走る可し而して民業に利を得せしむるの法は如何して可ならんと云ふに人民

社會に資本を缺乏せしめずして其自由自在に任せ自から利するの心を以て自から働かしむ

ること何よりの肝要なれば今政府と人民と相對して政府に入るものを減すれば人民に資本

の餘る可きは睹易き數なるが故に我輩がこゝに殖産の一方に就て思ふがまゝを吐露すれば

大に政府の歳入を減ずるの法を講ぜざるを得ず今日歳入を減すること甚だ易からず或る塲

合に於ては之を増すの要用を感ずることさへある處に却て減少とは頗る困難にして時勢に

行はる可らざるを恐るとは雖ども民間の殖産を目的にして其繁盛の道を求め次第に論究す

れば遂に歳入減少説に達せざるを得ず或は此説を外にして別に妙案もあらば我輩の悦んで

教を乞ふ所なれども世間に是れと立論もあらざれば先づ鄙見に從ひ扨いよいよ歳入を減す

ると决するときは同時に大に歳出を節するより外に手段はある可らず第一番に政府の事務

を縮小すること必要なる可し官員の數は今日の五文一にするも事務の取扱を簡單輕便にし

て官員その人の全力を活用するときは日本政府の政權を維持して政令を施すに差支はなか

るべし諸省の中に大藏省内務省外務省陸海軍省の如きは缺く可らざれども農商務省文部省

逓信省は之を廃して施政に不自由なかる可し元老院の廢すべきは勿論にして司法省も或は

不用なるべしとの説あり宮内省に至りては固より省と名くべき性質のものにあらず諸省を

離れ單に帝室と仰ぎ奉りて至當の事ならん此外に省略すべきは警察の事務なり縣廳の數な

り郵便汽船の事なり勸業衞生等の事なり廢すべきものは悉く之を廢して總て官途の体裁を

簡易に組織し衣食を薄くし交際を質朴にし官吏の俸給も今の半にし又三分一に減じ酷に云

へば上は大臣より下は小吏に至るまでも徒歩腰辨當にて官省に出入するとまでに英斷實行

したらば中央政府の歳出を減するは三分の一以上にして地方費の如きは三分の二を節する

ことも難からざる可し今の國民が政府の筋に納むる國税七千五百餘萬圓地方費三千二百餘

萬圓の内より凡そ五千萬圓を輕くして數年の間之を民間に殘したらばその五千萬圓の金は

國民殖産の資本と爲りて年々に増殖し民政次第に厚きに從て工業も次第に興り販路廣くし

て商賣に利益ある可きは必然の勢なり民生既に厚し即ち政府の事業の後槍にして兼て期す

る所の文明の事を行ふに安心の餘地を得べし但し此數年の間は恰も政府の事業を中止して

民間に移すの日月なれば其際に官途は必ず〓々として淋しきことならん免職の〓官吏は野

に滿ちて彼の廢藩士族の如くに零落し〓〓の〓員も俸給厚からずして職務繁〓なれば甚だ

〓しかざることならん啻に官途の淋しきのみならず例へ〓〓〓〓中の如き等も官員を目的

にして〓賣を營む者の〓〓〓〓に於て〓官途と共に商賣の衰微を致し官も民も寂々寥々遽

に其外面を見れば人事總て粗野鄙陋に陥り文明開化の退歩と認るより外なきことならん然

りと雖ども退て事態の内實を察すれば一時官邊の粗野鄙陋は其形を變じて民間生氣の資と

爲り一陽既に其殖産に來復したるものなれば官民春を共にするの日は遠きにあらざるを知

る可きなり

以上は我輩今日の説にして之を外にして日本國の財政回復の道はある可らず今の此衰頽の

まゝに進みたらば他年一日大困難の山に突き當りて進むに進む可らず退くに既に晩しと云

ふが如き切迫に陥ることならんと思へども扨天下の勢は机の上に論するが如く自由なるも

のにあらず千差萬別の關係もあり情實もありて事の利害は分明なるも之を顧るに遑なきの

常なれば迚も我輩の思ふが如く實際に行はれざることならん且この事たるや政府の事業を

扣目にし其費用を節減するの趣意にして甚だ面白からざる次第なれば如何なる金言も忽ち

反對論に逢ふて衆口の爲めに銷さる可きは我輩の素より期する所にして之を名けて天下の

形勢、國の運命と云ふの外ある可らずむかし織田信長が竊に大志を抱きながら巧に當時の

英雄に事へ辱を忍び垢を甞め臆病武士と云はれても尚ほ平氣の顔色して他を瞞着し遂に天

下を掌握したるが如きは實に大勇の事にして大胆能く臆病を裝ふたるものといふべし左れ

ば今我國に於ても一時政府の組織を縮小するときは其外面の粗野鄙陋なること見るに忍び

ざるものもあらん世界の分明に對して嘲弄せらるゝこともあらん其苦痛は戰國の武將が臆

病者の名を取るに等しかる可しと雖ども唯大勇大胆の士人にして之に堪ゆ可きのみ知らず

天下に其人あるや否や