「文明の事物は文明の錢を以て買ふ可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「文明の事物は文明の錢を以て買ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

文明の事物は文明の錢を以て買ふ可し

文明開化とは意味廣き文字にして樣々に解釋する中に就ても經濟上の文明開化とは如何な

るものぞと尋るに人力を用ること最も少なくして人の便利を達すること最も多きものを謂

ふ大八車を挽くは人力を用ること多くして汽車の便利なるに若かず蒸氣器械を以て機を織

るは手織の勞働に優ること萬々なり故に大八車と手織の法は不文にして蒸氣の使用は文明

の事なり啻に有形の器械に文不文あるのみならず一國政治の組織より商賣社會運轉の方法、

人民居家の習俗に至るまでも力と時とを費すこと少なくして人々の勞働に便利なるものは

文明開化の現相として見る可し左れば文明開化とは國の人口の割合にして人間有用の物を

作ること多く、之を運轉すること迅速圓滑にして國財を蓄積すること容易なるの義なり即

ち人々に就て云へば貨殖の易くして資産に豐なるの義なり

斯の如く一國の人民が皆能く貨殖して家計に豐なるときは快樂を逞ふするも亦自然の數に

して其家計の厚薄に從ひ平生貨殖したるものを投じて快樂を買ふ是れ亦文明の事なり美食

を食ひ美服を服し交際宴樂自由自在にして一擲千金も亦愛しむ所なし即ち之を文明の快樂

と云ふ左れば文明開化とは器械の用法を便利にして社會の運動を圓滑にし以て大に貨殖し

ながら一方には又大に財を散して人生の愉快安樂を逞ふするの意味に解す可し即ち俗に之

を解釋すれば大に金を儲けて大に金を遣ふことなり即ち有る富を費すに非ずして無き富を

作り出して之を費すことなり即ち文明の方便に由て得たるものを文明の快樂に用ることな

り例へば西洋諸國人の如きは常に文明の學術を研き文明の殖産法を工風し年々歳々貨殖し

ながら又一方には之を消費して止まず而して其費用の由て來る所を尋れば一錢の金も文明

の門よりせざるはなし以て今日の盛大を致して今後尚ほ盛大に進むの進歩最中、永久無盡

の文明と云ふも可なり

以上立言の旨に從へば文明開化とは財を積むと財を散すると兩樣の意味に解す可き文字に

して此解釋果して違ふことなくんば我日本國近時の文明開化は如何なる性質のもの乎これ

を吟味するも亦無益のことならざる可し開國以來日本の文明は大に進歩したりと自からも

信じ他國人も亦これを稱すと雖ども經濟上の文明に就て其成績を求る時は我輩未だ其進歩

の跡を見ず農に工に商に如何なる文明の方便を用ひて如何なる新利益を収めたるや農業は

舊に依て米麥野菜の収穫に過きず生糸製茶新に大に興りたるが如くなるも今日尚ほ農業の

一小部分たるのみ西洋流の工業の如きは強ひて之を設立して物を製作せんとするも固より

舶來品に競爭す可きに非ずして失敗せざるはなし或は國益など稱し政府の保護を以て起工

し又は政府の舊工塲を買受たるものもあれども創立以來の所失所得を綿密に計算したらば

〓〓〓亡に〓するの數を見出すことならん又彼の商法に至ては其幼〓も亦甚だし著名なる

商人が外國人と取引するに自國の開港塲に〓りて海外に出たることさへなく外國の語を知

らず外國の歴史地理を知らず坐して外〓〓〓〓を待つのみ文明の商賣法にあらざるなり之

〓〓〓る〓我殖産の社會は我〓〓ふ商品こそ或は新奇〓〓〓もならん〓れども其氣風は依

然として天保〓〓〓〓〓〓に異ならず氣風〓なれば其財を積むの法も〓〓〓〓〓〓〓に〓

〓ざるを得ず即ち百〓は舊時の〓〓〓〓田地を耕へし職人は舊時の道具を用ひて手先きを

動かし町人は舊時の帳面十露盤を以て祖先以來の家業を繼續し幸に頓に破産せざれば次第

に衰勢に赴くのみ全國の農工商を平均して其十中の八九は皆斯の如し之を要するに開國以

來我日本の經濟は今日尚未だ文明開化を利して金を儲けたるものに非ず稀に貨殖したる人

あるも其財の由て來る所の本原を尋れば大概皆不文の路よりせざるはなし然るに文明の一

方として財を散するの景况如何を視察すれば其程度甚だ能く上達したるものゝ如し政府に

て海陸軍を張り警視の法を設け教育を盛にし農商を觀め港を築き燈臺を建て工塲を作り工

業を起す等何れも文明散財の事にして盛大ならざるはなし尚ほ細件に亘りて彼の流行の洋

服洋食洋室等の如き或は人事の便利衛生の主意に出たるものもある可しと雖ども近年天下

の無事と共に世の中は次第に文華に進み西洋流の衣食住も既に其便利の關門を通り越して

漸く豪を競ふの境界に入り夫れには官民紳士貴女の交際と云ひ風俗改良と云ひ花鳥風月夜

會蹈舞會と云ひ錦繍を衣にして珠玉を飾り其美麗優長なる有樣は實に文明開化の風流にし

て一見、人をして心醉せしむるに足ると雖ども扨其華豪の費用は何れより來るやと尋れば

出處の甚だ殺風景なるを發見す可し或は公債證書の利子又は諸株券の配當を以てするか公

債證書の利子は國庫より出で國庫の金は不文至極なる農工商の手より出るものにして株券

の配當は不景氣なる商業社會に生じたるものなり一夕の宴會その所費幾百圓と云ひ内君令

孃の洋服其價幾千圓と云ふも主公の月俸は何百圓より多からず二箇月の俸を空ふして僅に

ダイヤモンド一粒の代價の當るのみ是れさへ既に經濟の本道にあらざる尚その上に月給の

由來出處を想像して其手より手に移りたる道筋を尋れば不文も亦甚だしくして轉た厭惡の

情を生ずるに足るもの多かる可し我輩の甚だ樂しまざる所なり

左れば我輩は文明の散財を好まざる者にあらず彼の頑翁守錢奴を學んで質朴祖野を誇る者

にあらず財を集るは山に上るが如く財を散するは山を下るが如し能く此山を上下して集散

共に文明の道に由らんことを欲する者なれども今日の日本社會は未だ上らずして先づ下る

ことを始め祖先以來僅に有る富を費すを知りて新に無き富を作るを知らず不文の錢を以て

文明を買ふ我輩は其永久を期すること能はざるのみか今の所謂文明人が山を下るの極は終

に貧富相率ひて構堅に轉ずるの日あらんことを恐るゝものなり