「獻金の本意」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「獻金の本意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

獻金の本意

今度海防費の獻納は日本國民の分としてかりそめにも家に猶豫あらば多少に拘らず上納す

るこそ本意なれども抑も舊幕府時代より日本人の心に染み込みたる久しき習ひにて獻金と

云へば名こそ獻金なれ其實は無理往生に金を取らるゝことゝ思ふ輩もある可きなれども是

れは大なる心得違ひにして今の日本はむかしの日本にあらず文明開化自由自在の政事にし

ていかで人民の心にもなき其金を無理に政府に取立るなどの事ある可きや聞くも忌しき話

しにこそあれ政府の趣意は唯國民が此日本國を大切に思ふ心の深きに任せて其深切のまに

まに多少の金を獻上するも餘の義にあらず此獻金だけは受取る可しと申すまでのことなり

尚ほその上にも政府の注意の深きは斯く獻金を許されたる上にて若しも人民が熱(幸+丸

+、4つ)心の餘り自から力を計らずして金を出し其跡にて却て難澁することもあらんか

と夫れ是れに心配せられ先づ中以下の者共は斷念するやうにとて千圓以下は聞屆けられぬ

内規のよし左れば今度の獻金こそ眞實に人民心任せの獻金にて東京は勿論各地方に至るま

でも政府の筋より之を強ゆるなどは夢にもなきことなり假令へ或は其筋より説諭すればと

て其説諭は唯今の日に當りて海防の大切なる次第を述べ隨て有福なる人は獻金も然る可し

政府は之を拒まずして却て賞譽することならんと其大體の旨を示すまでのことなれば人民

の方に於ても能く能く其旨を解して誤ることなく家計に餘りある者は國の爲め又隨て自分

の家の爲めと思ふて多少に奮發すること我輩の固より賛成する所なれども本來自分の心に

も思はず又其内實に力量なき者が世間の附合同樣に無理なる金を出して竊に不平を唱ふる

などは以ての外の事なり人々の家の貧富は他人の目に分るものにあらず富豪大家の如くに

見へて内實の苦しきものあり内實は有福にても表向きの質素なるものあり又或は相應の身

代にても家族の有樣、商賣の都合等に由りて金を出すに甚だ困るものあり何れも主人ひと

りの方寸の中に知る所にして他人より彼れ是れと論ず可きことにあらざれば唯主人の心に

任せて如何樣にも决斷す可きのみ故に今度の獻納は世間に評判なき人にて大金を出す者も

あらん或は多年富豪の名高き人にて存外出金の少なきこともあらん我輩は固より大奮發し

たる人々を譽め囃して止まずと雖ども左ればとて家の内實の都合次第にて出金少なき者を

賤しむの意なし假令へ或は全く獻金せざるとて少しも咎む可き筋のものにあらず裏より云

へば大惡事を爲したるものは固より之を惡み罵りて止まずと雖も左ればとて他に惡を働か

ざる者あるを見て特に之を譽む可きにあらざるが如し此道理を考へずして世間好事の人が

妄に他人の家の私を評し誰れ彼れの獻納は分に過ぎたりと云ひ又は分に足らずと云ふが如

きは今度の事の眞面目にあらざるなり陰にも陽にも勸めもせず勸められもせず眞實正銘本

人の本心より出たるものこそ明治年間の獻金にして舊幕府時代に異なる由縁なりと知る可

   海防費に付て一言

海防費下賜の聖詔一度ひ下りてより近來續々獻納出願者の多きは實に盛なる事にして流石

に我日本國民の純良なる平日は何か不平がましきことを申す輩にても斯る大事に當りては

誰れ彼れとなく申合せたるが如くに各々私財を捐てゝ愛しむなしとは吾々の感心するのみ

ならず亦諸外國に對しても我日本人民が愛國心に富むの實を示すに足る可し昨今のこの勢

にては全國の獻納金は幾百萬圓に達す可きや必ず吾々の豫期したるものより多かる可きは

又疑を容れざる所なり然りと雖ども顧みて爰に海防事業の實際を見れば其金を要すること

實に際限ある可らず僅に一艘の鐵艦一座の大砲にても日本國の財政より見れば容易なる金

額にあらず况んや其軍艦なり大砲なり又砲臺なり西洋の軍略戰法の進歩と共に年々に改良

し隨て改れば又隨て新工風を要し恰も事物の流行に等しくして其流行に從はざれば軍國の

用を爲さず之に從はんとすれば無限の資金を要す此時に當りて國民の海防獻納假令へ吾々

の望外に出ることあるも未だ以て滿足す可らざるなり就ては過般貴社新報の論説に唯節減

あるのみとの一編を見て聊か所感なきを得ず但し今月今日政府の大改革など申しても所謂

言ふ可くして行ふ可らざる空論なれば姑く後日の沙汰に差置き扨吾々が目下の着手に先づ

元老院より始めては如何と思付たる其次第は從來元老院にて國家の重要事件を議するは大

切なるものならん之が爲めに幾分か政事を潤飾して其施行を滑にしたるの効もあらんなれ

ども俗に所謂脊に腹は易へられぬの意味にて方今我日本國に元老院と名くる官衙が廢する

とも差向き軍國の急を缺くこともなかる可ければ先づこれを廢して是れまで其院費に充て

たるものを海防費に轉用する方得策なる可しと吾々の竊に信ずる所なり元老院の費用一年

三十萬圓に近し故に毎年この三十萬圓を海防に用るか或は一時大に資本を要することあら

ば三百萬圓の内外債を起して之を集め其償却法は五分利付にして年に十五萬の利子を拂ひ

殘十五萬圓をば元金の償還に當れば毎年利落の勘定にて十幾年の間に元利共に皆濟たる可

し僅に一局の元老院を廢しても三百萬圓金を得ること易し若しも政府が之を試みて滑に行

はれたらば尚ほ其外にも追々廢して差支なきものを見出すことならん或は教育勸業等の政

事に付ても隨分止めて止む可きもの多かる可し外には人民が意を熱(同前)して獻納を勤

め内には政府が心を冷にして政費を省き内外相應して海防の事に從ふたらば或は聖意の萬

分一に報し奉ることもあらんか身不肖ながら敢て一言を時事新報に呈して記者足下の高評

を乞ふ    芝   一書生

  時事新報記者足下