「移住は我國に利益ありて弊害なし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「移住は我國に利益ありて弊害なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

移住は我國に利益ありて弊害なし

我國目下の形勢より見るに人民をして海外に移住せしむること實に第一の急務なることは

我輩の首唱する所にして世間或は移住以て人口を減ずると聞き恰も國の所有を失ふが心地

して悦ばざる者もあらん盖し我輩は往古の經濟家を學ぶ者にあらず國に人口の多きを以て

富強の根本と認め全國を擧げて一大貧院と爲し以て得々滿足する者にあらざれば漫然たる

世間の人が人口の減少を恐るゝが如き痴言は之を顧みずと雖ども稍や上流の學者社會に於

て移住の害を陳べ移住は本國の資本と壯丁と併せて之を失ふものなりとて西洋學者の或る

部分にても竊に之を忌む者ありとのことなれば其啓蒙の助けにもと思ひ西洋諸書を引用し

て一言を呈すること左の如し

獨逸學士ロスチエル氏の曰く海外に移住する者を見るに僅に財産ある強壯の男子最も多し

とす其財産なき貧民に至ては海外に赴くに旅費なく既に海外に赴くも土地を購ひ家屋を建

るの資本なければ態々遠地に餓死を求むるに似たるが故に貧民には移住するの氣力なく假

令へ氣力あるも其資本を得ずして止むのみ又老幼羸弱及女子に於けるも同樣なれば畢竟す

る所、海外に移住する者は本國に於ても實際に入用なる人物最も多かれば盛に人民をして

海外に移住せしむる時は其本國自から衰微して農工商業共に退歩すること有る可しと此説

を賛成する者は其例證として獨逸列邦メツクレンボルグの歴史を引用するを常とす昔時該

邦より多く海外に移住せしに該邦の農業忽ち退歩せしは即ち強壯男子多く本國を去て其跡

に殘る者は皆老幼羸弱及び女子なりしに由ると云ふ又ロスチエル氏の曰く右の如く無用の

人物が社會に多くして入用の人物なき時は窃盗詐欺などの惡事盛に流行するのみならず女

子の數、男子より多くして忽ち人々の内行を傷ひ更に恐るへき惡事も之に伴ふて流行する

を免かれずと此説を賛成する者は其例證として左の一事を引用することあり獨逸列邦ワル

デンボルグにて千八百五十年以來人民が多く海外に移住したるに付六十五年には女子の數、

大に男子より多くして女子既に婚期に達しながら未だ良人を得ざる者凡そ其六分の一なり

しと云ふ

以上、海外移住を非難する者の根據とする所にして誰にても海外移住の利害を考ふる時は

直に此弊害を見出す可しと雖ども又一方より反對の諸説を案すれば左まで恐るゝに足らず

盖しロスチエル氏の言ふ所を分析すれば第一海外に移住する者は強壯の男子最も多しと爲

すが如しと雖ども之を米國の移住に徴するに海外各國より多く米國に移住せし以來男女の

割合を見れば平均男六十二人女三十八人の割にして其中支那人は男子甚だ多くして女子甚

だ少く平均男九十三人女七人なれば此人數を差引するに其餘移住人民男女の割合は左まで

差異なくアイルランド人の如きは男五十五人女四十五人の平均なり又年齢の割合を見るに

移住男女百人に付十五歳以下凡そ二十五人、十五歳以上四十歳以下六十人、四十歳以上十

五人なれば強壯の男女割合に多きが如きも亦支那人を差引するに左まで其割合に多少ある

を見ず是に由て觀ればメツクレンボルグ及びワルデンボルグの如きは之を非常の一例と云

ふ可きのみにして必ずしも常に移住に伴ふの弊害とするに足らざるなり第二海外に移住す

る者は聊か財産ある者とするが如し是れ誠に然り彼の赤貧洗ふが如き者は國内に於てすら

一歩も東西に運動する能はず况して海外に赴くことは此輩に望む可からざれども若しも財

産に富む者が資本を投じて此輩の移住を促がすときは其富人も亦移住より生ずる利益の一

部分を得るの日ある可きが故に獨逸などにては利を目的として此種の會社を設立する者あ

りと云ふ且今日まで米國へ移住したる人民を見るに其本國を去る時に所有したる財産は毎

戸主平均八十圓なり此八十圓の財産ある者が米國に來れば數年ならずして平均八百圓の家

を成すと云ふ故に貧民の移住には唯僅に少數の路銀を費すのみにして富有の種族は徒に墳

墓の地を去りて異郷の辛苦を求るものもなかる可ければ移住の爲めに本國の資本を失ふと

の心配は先づ以て無用の沙汰なり

斯くの如くロスチエル氏の立言に根據とする所のものは既に實際に於て證す可らざるが故

に此移住のために農工商業退歩の懸念もなければ亦社會に惡事流行の心配も無用なり加之

ならず農工商業共に移住の爲めに盛大を致すことなきにあらず其故は人民が海外に移住す

るも猶本國の風習を保存するは自然の勢なれば隨て本國の物産を需用し貨幣を海外に得て

之を本國に費し工商兩業を奬勵するの一端となるを常とす又我日本の如き農國に於て農事

の改良進歩を謀るには農夫に十分の耕地を授けて隨て其生活を厚ふするの工風なかるべか

らず限りある耕地に限りなき人口を増殖せしめて徒に貧民の群集を成すが如きは農政の巧

なるものにあらざるなりアイルランドにても前年は人口多くして土地の狭きを患ひたりし

が爾來その人民が漸く米國へ移住せしより大に農事の面目を改めたるの事實ありアイルラ

ンドの耕地反別は千八百四十三年には千三百四十六萬四千ヱークルにして農民の毎戸平均

二ヱークル半に當り其収穫の價値二千三百七十五萬八千ポンドなりしが其後大に農夫を減

じて跡に殘る者共は漸く耕作の區域を廣くし隨て餘財を得るが爲めに農具も改良し荒地を

も開拓して千八百七十六年には耕地反別千五百三十四萬五千ヱークルとなりて毎戸平均四

ヱークルに當り其収穫の價値三千六百四十七萬ポンドに上ぼれりと云ふ亦以て一事例とし

て見る可きものなり左れば人口過多なる國に於て移住を勸るは直接間接共に本國を利する

ものと知る可し