「先づ綿小麥の耕作を廢すべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「先づ綿小麥の耕作を廢すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

先づ綿小麥の耕作を廢すべし

日本は舊國にして人口の稠密は國に沃野千里の未開地あるを許さずと雖ども國中幾多の原野尚ほ開拓して桑田と爲すべきの餘地尠からず或は未開の原野を開かずとするも今の水田をも其儘に利用して桑を植ゆるの得策なるは毎度我輩の陳辨する所にして米作の利益畢竟養蠶に及ばざるの遠きは事實に於て爭ふ可らず方今文明國民が生絲を消費するの額は逐年増加してその需要少しも減ずべき見込あらざるのみか寧ろ其供給の不足に苦しむ次第にして例へば合衆國の一邦土のみにても此十年間に消費の額一萬俵より今は昇進して三萬五六千乃至四萬俵に達するの勢ひあれ共向後年々の需要尚ほ以て切迫ならんと云へり斯かる次第なるが故に日本今日の養蠶事業を彌々以て奬勵しその額を二倍にし三倍にするも世界の市塲敢て生絲の過産を感せざるべきは當然の理にして日本國中の未開地は有らん限り之れを見出して一時も早く開拓を加へ現在の稻田亦悉く潰ぶして與に桑田となすの必用は素より議論を要せずと雖どもこれは永遠の大計として暫らくその論を預り置き差當り不經濟なるは綿及び小麥の耕作ならんと信ずるなり盖し綿小麥の二物が日本特有の國産にして之を外國に仰ふぐこと能はざるの品物ならんには自國の耕作、大切なれども商賣貿易の自由なる今日の世界に處しては大に他の分別も無かる可らず氣候風土の議論は偖て措き日本如き〓爾たる小國にして綿小麥など容量のみ嵩みて價格の至廉なるものを耕作するは第一に經濟の法則を外れたる次第にして獨り夫れのみか日本には蠶絲といふ最と最と貴き物を産する地味氣候を専有しながら此れを捨てゝ彼れを取るは喩へば猶ほ正宗の銘刀を以て薪を割るが如く貴重の利器を可惜疎末の所用に充てんこと偖ても不條理の話しに非ずや日本國中現在綿作に使用するの地面凡そ八萬二千餘町同じく小麥作に使用するもの三十九萬一千餘町孰れも豊沃無雙にして之れに植ゆるに桑を以てし曩きの綿小麥を耕作する農夫をして總べて養蠶に從事せしめなば其功を收むる速かにして利益を穫るの大なるや明白なり水田を畑地に變じ未開地を開地にして養蠶を奬勵するの必要は元より論を要せざれども今の畑をその儘ソツクリ桑田と爲すの捷路なるには若く可らず我輩は先づその近き處よりして遠きに進まんことを祈るものなり

畑地を其儘桑田に使用するの利益は素より疑ふべからずとして爰に取り敢へず綿小麥の耕作を第一に廢止すべしと謂ふ所以は外ならず今日にても自國産の綿花を以て我日本人の供給を充たすに足らざるは勿論、支那印度若しくは合衆國より入る所の綿絲年々に増加して自國の供給次第に減少を見るの勢ひなるは第一に日本如き小國にて綿を耕作するの不利益を指示す證據に非ずや支那或は東印度若しくは合衆國の如きは沃野千里不用の土地多きが故に綿花如き疎大の品物を耕作して相應に利益のあるべきは當然にして且つ印度は申すまでも無く支那亞米利加の製綿地方は南方温暖の風土にして中には年に兩度收穫の者もあるべし日本に於てこれを相手に競爭して勝利を得ば誠に以て妙案ならんと雖ども地面狭く地價の高き箱庭同然の菜園に此等の疎大品を耕作せんとするは根本よりして既に誤まれりと申すべきなり又小麥は合衆國の特産にして一箇年海外への輸出額凡そ八千萬圓を下らずと云へり特に日本の如きは一衣帯の水を隔てゝ汽船交通の今日東西相呼應するの間なれば從前の小麥耕作を全廢し其供給を彼岸の米國に仰て差支へ無かるべきは勿論、その代りに日本に於ては倍々以て蠶業を隆盛にし、米國の小麥は日本これを仰ふぎ日本の蠶絲は米國これを使用せば両國與にその輸出を促して交互の利益を進むべきや疑ひある可らず或は日本の農品中綿小麥を外にして其耕作を廢止し代ふるに蠶業を以てして利益ある者も少なからざる可し第一の米は申す迄も無し大麥大豆の類に至りても同斷なれども一は其改革容易に行はれ難く一は又外國よりその代品を仰ふぐことの容易ならざる品々なれば暫らく後段の話しに讓り眼前綿花の耕作の如きは日本全國を通じて一箇年の平均産額實綿凡そ一千四百萬貫にして其價額を繰綿の相塲に概算すれば五六百萬圓ならんと云へり然して當時外國より入る所の綿類は重もに唐絲金巾と稱するものなれ共其價額亦八九百萬圓を下らず但し一は繰綿一は綿絲等の相違こそあるなれども今日大體の處に於て國内の需用半額の綿類は都べて外品に依頼するものと看て間違ひ無かるべきが故に此五十歩の程度を更に百歩に進めて綿の供給は悉く外國に仰ふぐものとし更に代ふるに蠶業を以てせば其の蠶絲業に得る所の利益を以て綿耕作に失ふ所の損害を償却して差引き餘剰あらんこと我輩の確信して措かざる所なり此餘剰の大小は乃ち養蠶利益の大小の尺度にして此尺度實際の長短は今豫じめ知る可らずと雖ども兎に角に利益あるは爭ふ可らず最も小麥の一品は當時にては外國より來るの分量も極めて少なく、國中一箇年の産額凡そ二百五六十萬石之れを悉く外國より仰ふぐとせば年々凡そ八九百萬の大金を拂ひ出さざる可からざるの道理なれ共これも綿の耕作と一般にて前申す通り苟くも代ふるに養蠶を以てして實際に餘剰ある見込ならば少しも其變更を意とするに足る可からず論者或は綿小麥の耕作を廢して蠶業を盛んにするの説は一應是なるにもせよ世界蠶絲の需用は果して能くこれを許すべきや市塲の大勢をも察せずして漫然と養蠶の説を主張するものに非ずやなど其邊に疑ひを挾むの人もあらんかなれども我輩の持論決して斯く輕卒なるものならず尚ほ此一事に關しては更に我輩の意見もある事なれども差當り養蠶の業を盛んにすべき一捷路を案出して先づ之れを我國民に勸誘するのみ