「舊藩主華族の舊封土に歸るは正に今日にあり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「舊藩主華族の舊封土に歸るは正に今日にあり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

舊藩主華族の舊封土に歸るは正に今日にあり

我政府にては明治の初年廢藩置縣に次で舊藩主を東京に召集し其儘これを留め置きて故なく其舊封土に歸ることを許さゞりしが是れは當時の事情に於て人心未だ定まらず藩主の其封土に蹲踞するは政畧上事宜に適せずとの考に出でたるものならん如何にも尤千萬の義なりと雖ども時勢の不變今日に至りては固より左る心配を要する筈なく舊藩主華族の一身上の都合より云ふも又各地方の人の感情より云ふも華族諸君が今に及んで其舊封土に歸住するは事の便宜に適したるものなる可しとは我輩の宿論として折りに觸れて之を論ずること猶豫せざる所なり今諸君の都合の爲めに謀れば東京に在りては車馬第宅其觀を張るらざる可らざるは勿論同族上流の交際繁多なるに從ひ來往應酬年々其冗費も容易ならずして本來家の裕ならざるものは所謂交際倒れの厄運に逢ふの例もあり或は其家人子弟が時に都會奢靡の風に吹かれて名教外に飄逸するの恐もなきにあらず旁々以て東京は華族安宅の地に非ざるなり又各地方の人の爲めに謀れば舊藩主華族の歸住は從來君臣の關係ありし人々の交誼團結を媒して人心を一和するの効あるのみならず華族の生計大小各異なれども是まで東京に居て年々幾千幾萬圓を消費したる其金を舊領地に散ずるときは今の不景氣なる田舎に於て幾分か貧窮士民の〓とも爲るべく或は其華族が有志有福の人にして殖産興業等を奬勵するの塲合もあらば其位地名望の然らしむる所、或は一地方の率先者と爲り保護者と爲るの便利もあるべく或は今より幾年の後内地雜居の塲合を想像せんに各地方到る處貧草窮木の雜然たる其中に西洋百尺の搖錢樹を移して其蔓延枝連に任するときは我草木は其蔭に蔽はれて國土の雨露に霑ふ能はざるの恐なきに非ず此時に當りて地方人民の所望する所は我に亭々たる喬木ありて西洋の搖錢樹に頡頏し其枝葉の獨り跋扈するを防ぐ在るのみ即ち有志有福の華族が其地方に住居するあれば地方人民は内地雜居外國人の追々侵入し來るに當りて頼んでもって其生存を謀ることを得べしと信じて幾分か心を安んずるの便りとなる可し左れば舊藩主華族の爲めに謀るも又其舊封土の人民の爲めに謀るも華族諸君が東京を去りて各々地方に歸住するは一擧兩得の策なる可しと信ずるなり

以上陳述する所は誠に普通の事理にして讀者の能く知る所ならんなれども我輩が爰に差迫りて舊藩主諸君の舊封土に歸住することを勸告する所のものは他に非ず近來我政府にて明治の功臣幾十名を撰拔して新に之を華族に列したる其主意は果して何の邊に在るや我輩未だ之を確知すること能はざれども漫然たる江湖の人の噂する所に據れば明治廿三年國會を開設するに當り政府は此舊華族を以て上院議員の一部文に充るの見込ならんと云ふ果して然らんには我政府にては彼の英國上院の例に倣ひ新舊華族を以て我上院を組織するの底意なりと斷定せざるを得ず斯くて舊藩主華族諸君も上院議員の一部分を占むるの都合なる可しとすれば何は扨て置き先づ全國各地方實况を審かにせざる可らず從來英國の例を案ずるに上院議員の或る部分は所謂倫敦季節の了るを待て各地方を漫遊して或は其領土に歸りて置酒高會勉めて地方人民を?待し談笑遊樂を事とするが如く〓〓〓〓斯く地方人に交際して腹藏なく談笑する其中〓〓〓〓人々の意向を察し或は其歡心を買ふて我が〓〓〓〓〓〓を〓〓せしめんとする等政治上の觀察と〓〓〓〓〓〓せざるが〓〓他日兩院に出〓して意見を〓〓するに當りても〓く其時弊に適中して迂濶の謗を免るゝこと多しと云ふ國事の實際を察し民情の急處を審かにするは立法論政家の要務にして尋常一夕の能く辨ずる所に非ざれば舊藩主華族諸君にして追て席を上院に占めんとするの豫想もあらば今に及んで此要務を講ずるの覺悟こそ肝要ならん事此に至りて諸君の東京に住するは果して此目的を達するの道なるか歌吹海裏民情を察し實務を講するに由なきは今更我輩の贅言を待たざるが故に諸君は今より速に其舊封土に歸り地方の事情を熟考して多年政論の參考に供し殖産興業實務の衝に當りて其經歴の才を磨し追て國事の大任を負擔するに臨んで天晴れ祖先の令名に背かざるの決心あらんこと我輩の今日に渇望する所なり