「 生絲需用將來の望み」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 生絲需用將來の望み」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生絲需用將來の望み

日本の外國貿易品中將來に望あるもの一にして足らずと雖も他は姑く差措き生絲茶の二品はその需用盛んにして今後年々輸出の額を増加すべき模樣なり故に我國に於ては倍々その業を盛んにして之を日本の特有物産となし永く海外の得意を弘めんこと此上に無き上策なるべしといへども偖て茶と生絲と別々にして論ずれば茶の産地には支那の如き印度の如き廣漠の邦土ありてその製出最も多く歐洲の市塲は殆んどこれに専賣を占められ日本産の製茶を以て競爭を試みて十二分の勝利を制せんこと容易に望む可らざるの色あるが如し唯米國の市塲丈けは日本の緑茶を以て得意を占め將來の望み亦大なるに似たれ共外國競爭者の地位を考へ又日本生産者の利益より算用したらば製茶の業の養蠶に及ばざるべきは明白の事實にして即ち日本の國産は生絲を第一座にして茶は即ち第二等なること爭ふ可らず其第二等なるものは今暫らく之を論ぜず爰に専ら生絲に就て言はんならば國中諸般の農作業中其利益の大なるは當時養蠶の右に出づべき者なくして假令へ直接に養蠶を業とせざるも只單に桑を植え葉を售るの利益にてさへ尚ほ通常の農事より多きが故に現在養蠶の盛んなる地方に在りては故さらに田地を潰して桑園と爲すもの此々皆な是なりと云ふ况して本業の養蠶に至りては其利益これに比して一層に多かるべきは當然の道理なれども世の中には又更に今後の事をも案じ煩らひ徒にその生産を多くせば隨て値段も下落して養蠶の利益次第に減じ遂には不捌けの生絲市塲に溢ふれて恐るべき損害を醸さんとて甚だ生産の増加を悦ばざるの人無きに非ず此れ丈けの心配ならば兎も角もなれども時に我輩が國を擧て桑田になすべし抔云ふ説を述ぶるに於ては只漫りに奇を售るの怪談と稱して取合はざる人さへある可ければ聊か此流の人に向て辨ずる所のものなかる可らず抑も物の多きは其値段の廉なるべき原因に相違無けれども元來其數の多少と申すは買手の多少に比例したる言葉にして日本の貿易未だ開けず國産の生絲たゞの一梱も外國に出でざるの昔しに比しては今日輸出の年額は五萬梱より少なからず其數の差は一と五萬の相違なれども今日外國貿易の市塲に在りては少しも其數の多きに苦まずして又その値段の廉なるにも究せざるなり否な尚ほ此上に今の五萬が十萬に増し十萬が二十萬に殖えたる事あらんと雖も歐米諸國にて生絲の需要も亦年々に増加して之と與に進歩すれば其價格決して下落すべきの恐ある可らず要するに今後將來生絲の相塲は日本限り生産の多少に因て獨り變動すべき者には非ず歐米市塲需要の伸縮實に之を支配して已まざる者なれば其歐米の需要にして減ぜざるが、日本生産の其額は多々倍々辨じて敢て價格に差し響きあらざるを信ずるなり

他の一面より論ずれば價格の不廉は乃ち今日生絲需要の未だ歐米に拾ねからざる所以にして若し日本より續々其輸出を試みんとならば隨て其價格をも引下げざるを得ざる情實無きにも非らず或る養蠶家の説に生絲の相塲凡そ今の半額に下落するまでは養蠶して尚ほ引合ふ筈なりといふものあれとも是れは寧ろ極端の相塲にして〓〓〓百圓のものが五十圓まで低落するも差支へなしとするの議論なれば我輩に於ては容易に此れを信〓〓又實地實際今日の生絲相塲がいよいよ何れの邊まで下落して米麥其他の農事に比して尚ほ利益あるべきやは我輩に於ても未だその確聞に接せずと雖も熟ら熟ら歐米將來の生絲市塲と推察し俳せて之を既往の成迹に照らし見るに、價格下落云々の心配は現時に於て第一に無用に屬するのみか今後の景况はその需要益々切迫して日本の蠶業特に大に其望み有るを發見するなり現世紀千八百一年より同八十五年に至る伊國ミラン府の生絲相塲を見るに毎五箇年の價格一基(我二百六十六匁強)の生絲に就き凡そ先づ左の如し

年度 最低價格 最高價格 高低平均價格

一八〇一より一八〇五 六四フランク 六九フランク 六六、五フランク

一八〇六より一八一〇 五七 六三 六〇

一八一〇より一八一五 五六 五九 五七、五

一八一六より一八二〇 七五 八八 八一、五

一八二一より一八二五 五九 七四 六六、五

一八二六より一八三〇 五五 六一 五八

一八三一より一八三五 五七 六五 六一

一八三六より一八四〇 七〇 八一 七五、五

一八四一より一八四五 六四 七二 六八

一八四六より一八五〇 五九 七〇 六四、五

一八五一より一八五五 六九 八二 七五、五

一八五六より一八六〇 七六 一〇二 八九

一八六一より一八六五 七七 九六 八六、五

一八六六より一八七〇 一〇六 一一二 一一四、

一八七一より一八七五 八二 九七 八九、五

一八七六より一八八〇 六五 八九 七三

一八八一より一八八五 六二 六六 六四

今假にミラン府の生絲相塲を以て歐米一般の平均價格に大相違無きものとせば既往八十五年間の變動尠からずと申べきなり即ち千八百七十年前後の相塲最も高く千八百十年前後の相塲最も低く其高低の差一と二との懸隔あれども七十年の前後には普魯西、墺地利の戰爭より繼で佛朗蘭、日耳曼の交兵にて人心洶々歐洲の養蠶地方が特に其産額を減じたる臨時の原因あり又同十年の前後は年に豊歉無きにしも非ざりしが一般豊作の景氣にして其價格隨て亦廉なる者なりしといふ故に此等は特種例外の事實として其他にも尚ほ年度の狂ひはあれども皆亦其時の養蠶の豊凶に基くものにして其大體千八百一年以後の價格を以て千八百八十五年までの相塲に比するに歐洲生絲の價に差したる昻落無く今も昔しも相變らず一基六十法内外の所に居据はりて動かざるは何故なるや凡そ此八十餘年間には世界生絲の産出額前後相對して實に著しき相違のあるべきに拘はらず其價格依然として斯く輕重なきは是れ歐米の市塲にて生絲需要の進度が其産出額の進度よりも速力早きか或は又早からざる人口の増殖、文明の進歩よく其需要を促して其産出の増加をも苦にせざりし證據に非ずや我輩は一歩を進めて其價格と産額の關係如何を次號にて論ぜんとするなり(未完)