「兌換銀行券」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「兌換銀行券」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

兌換銀行券

日本銀行は日本帝國中央の大銀行なり其條例第十四條

の明文に依て兌換銀行券を發行するの權利を有し去る

明治十七年の七月一日以降今日まで滿三年の間絶えず

兌換券を流布せしめて經濟社會の融通を助けたる効驗

は既に世人の熟知する所となれり蓋し日本銀行はその發

行の兌換銀行券高に對して相當の銀貨を準備し以て引

換の需に應ずる者なるが故に何人にても日本銀行の本

支店に右の銀券を持參すれば銀行は其兌換を拒むこと能

はざるの法則なれども日常の授受に重きらしき銀貨を

使用するは極めて不便なるに付き容易に兌換を求めず

して融通の點より言へば政府發行の紙幣に比して別段

變りあるに非ざるなり然れ共兌換銀券は既にその名の

示す如く不時交換の責任を有するとすれば其發行の方

法に於ても或る丈け此の責任を遁れしめざるやう注意

工夫も無かるべからず又銀券の用は日常授受の不便利

を避けんとの目的もあるものゆえ若しもその通用の際に

餘計の手間を費すが如き苦情もあらば銀券は充分に其

効用を盡したるものと云ふ可からず即ち一方に銀券の

發行者が交換の義務を盡さずして濟むと同時に他の一

方に其使用者が授受の際何かの不便を感ずる組織にて

は兌換銀行券の効用を願はさゞる者と評して不可無か

るべし

兌換銀行券條例に據るに銀券の種類は一圓五圓十圓二

十圓五十圓百圓二百圓の七種にして日本銀行は大藏省

の指定に從ひ之を發行する筈なれば七種の銀券中價格

何圓のものを最も多く流通に附く可きやは當局者が經

濟社會の實地を見計らひて後ち決着する事ならんなれ

ども侑々今日の實地を見るに日本銀行の兌換券には價

格一圓の種類最も多數にして夫れより五圓夫れより十

圓と段々階級の進むほどに其發行次第に少數となるが

如し是れ單に我輩が局外よりの所見に非ずして實地の

商人又は銀行者などが常に口にする所の有樣なれば假

に之を事實なりとして我輩が爰に銀券の發行者に向て

其注意を促し廣き次第と申すは右の如く銀券の價格が

細かに分かるれば又隨て多人數の手に渡りて恰も持主

の數を細かに分つの姿となり其無數の持主の中には銀

券も不換紙幣も同樣の通貨と思ひ其通用の際何とも心

付かずして授受する者多からん又田舍の翁媼守錢一

方の主義にて貴き一圓銀券を深く筐底に藏むる者もあ

らん何れにしても此銀券は交換の道に遠ざかるものと

云はざるを得ず扨又銀行に於て爰に一千萬圓の銀券を

發行するとして其受取人が悉く兌換を望むとあらば一

千萬圓の銀貨を準備し置かざる可からずと雖ども世人

の信用厚く何時にても交換は容易なりとの安心あるが

故に平成の準備金は割合に少くして濟む譯なり兌換銀

行券條例に日本銀行は銀券の發行高に對し相當の銀貨

を置き其引換準備に充つべし云々とあるは乃ち此意味

ならんなれども相當と云ふ文字の見解は甚だ六ケしき

事にて或は發行高の三分二を要すと云ひ又三分の一に

て宜しとも云ひ或は半額は無かる可からずなど西洋に

ても經濟學者の所説區々にして確定するものなし、夫

れは兔も角も日本銀行に於ては其發行の銀券に對し謂

ゆる相當の程度まで準備金を用意して要用に應ずるの

覺悟は問ふまでもなきことなれども其準備金の用意は

發行銀券の種類の大小に由りて緩急ある可し銀券の種

類大にして其通用の區域狹ければ交換の需も自から急

にして準備金を要すること大なりと雖ども一圓銀券の

如きは前節に云へる通りの人情にて其流通又貯蓄の有

樣、全く大銀券の反對にして交換急ならざるが爲めに

發行者の地位に居る人も自然に安心の情を催ふし銀券

の交換に來らざるは畢竟この信用の厚きが故なりと自

認して圖らずも相當の外に發行するの誤なきを期す可

らず斯くて平時は誠に穩にして何等の差支もある可ら

ずと雖ども商賣社會の活劇は殆んど人智を以て豫め測

量す可からず一旦突然の恐惶を來たすの不幸もあるに

於ては銀券の持主は瞬間の猶豫を許さずして交換を要

求し發行者として始めて當惑せしめたるの談は西洋各

國の銀行史上往々見る所の事實なり

又右の議論は別にしても元來銀行發行の旨趣は商業上

の融通を助け又其便利を促すの主眼にして政府發行不

換の紙幣とは聊か區別無かる可からず然る所前に云へ

る如く此節發行の兌換券は一圓札最も多額にして商業

上の不便利の苦情無きにあらず例へば百圓の銀券十枚

を授受して濟むべき處にも一圓の銀券一千枚を並べ立

てゝ計算するは煩勞も甚だしく商機活用に忙はしき其

時間を潰ぶす許りにても折角なる銀券の効用を見ず今

日の處にては政府發行の不換紙幣も銀行の兌換も信用

通用に異なる所あらざれば商賣社會に於て銀券を視る

こと紙幣に等しく何の風情もなしと云ふ西洋諸國銀行

の兌換券は政府發行の紙幣若しくは金銀貨に比して券

面の金額大なるが故に人々これを便利として通用する

のみ、若しも是れが尋常の通貨に等しき券面のものな

らんには兌換券の妙處なしとて悦ばざることなる可し

例へば英國中央銀行のノートの如きも以前は二十磅即

ち金貨一百弗以下の銀行券を發せざる定めにして爾後

更に此價格の制限を引下げたれども尚ほ一枚五磅即ち

金貨二十五弗以上に非ざれば銀行券を出す事能はざる

の法則なり銀行の爲めを謀りたらば五磅の制限を超え

て一磅なり半磅なり隨意に小價格の券面を發行する事

利益あらんと雖ども斯くては又一般の社會に其關係も

尠なからずとて右の制限の起りたる次第にてもある可

し日本と英國とを同じ此例に論ずるは無理なれども去

り迚今日の如く一圓札の兌換券を多くしては實際に益

する所も無きに似たれば更に最低の價格を五圓位に引

上げて一圓券を廢止にするか或は廢止にはせざるとも

發行者自身の注意にて成る丈け其發行を減じては如何

にと思はるゝなり