「國に新舊の差別あり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國に新舊の差別あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國に新舊の差別あり

一國の政府を建てゝ内外に治安を保つは謂ゆる治國平

天下の大道にして甚だ六ケしき事に似たれども古往今

來治平の策は先づ其國の分限を忘れざるを第一とする

なり天下社會の大事を説くは日常些末の茶談に同じか

らむと雖ども人事運動の測量は自から人智の達す可き

區域の内に在るものなれば政治家が其國の分限を測り

て之を犯さゞるの工風も左程の困難には非ざる可し我

輩竊に案ずるに國を治むるは猶ほ家を齋ふるが如し天

下の經濟は大なりといへども其規模を小にすれば一軒

の世帶に過ぎず形に大小の悉隔あれども物の本體に異

問なければ我輩先づ一家の世帶法より之を述べんに抑

も貧富懸隔の人間社會には人の身代樣々にて其分限一

ならざる中にも貧者は貧に處し富者は富に居り自から

安心立命の餘地を得て各自家の分に安んずるときは其

懸隔必ずしも憂慮するに足らず唯だ居家の要は資産豐

かならざる者が無理に富豪を氣取るなきの一點に在る

のみ又家の資産に厚簿はなけれども其世帶の新舊に由

りて家計に著しき難易の差別ある可し例へば甲乙兩家

に毎年の所得收入は先づ同等なりとして扨甲の家には

祖先傳來の家具雜什を其まゝ用ひて差支なき其反對に

乙の家は所謂新規荒世帶にして甲乙互格の交際を張ら

んとするに於ては其家計の難易辨を俟たずして明なり

甲乙著しく千金の收入を得て甲は之を交際の繁華にの

み消費し盡して差支なしと雖ども乙は即ち然るを得ず

其千金の一半を以て家具雜什を新調し一半を交遊に費

す可きのみなれば甲に較べて二倍の歳入あるに非ざれ

ば同等の交際を絶念せざる可からず故に日常人事の交

際に於て貧富の懸隔は其諦らめ就き易くして左までの

心配無用なれども同じやうの身代にて唯だ其世帶に新

舊の差別ある時は新規世帶持ちの苦心用意極めて多き

ものと知るべし

一國の財政經濟も恰も之れに同じものにして若し其

國が彌々貧乏と相場も極まらば貧の一徹に押通して差

支なき次第なれども國必ずしも貧窮ならず唯新規の建

國にて謂ゆる荒世帶を張るに於ては要用と贅澤との板

插に插まれて非常の困難を感ずる者往々その例多し經

世の士人が斯る場合に當り寧ろ外見の繁華を殺くも實

用の部分は決して廢す可からずとして交際上の虚觀か

の事の外面に屬するものは暫く我慢し一方に向て或は

海陸の兵備を足し或は内外の殖産貿易を振作する等の

爲めには費用を吝まず左顧右視して務む可きを務むる

其苦心實に察するに堪えたるものあり左れば西洋にて

も日耳曼の如き伊太利の如き新規經營の邦國は英吉利

に比し佛蘭西に較べて必ずしも大に貧窮なるに非ずと

雖ども如何せん英佛は數百年來成存の古國なれば其社

會に要用なる諸般の制度即ち親讓りの器具雜什は既に

已に缺く所なく文明に伴れて豪侈を張り開化を口にし

て虚觀を飾り悠々として自から人事の燦爛たるを得れ

ども日耳曼伊太利はたゞ其必要の世界に逐はれて不本

意ながらも儉素質撲を守らざる可からず新規荒世帶の

國に於ては豪侈快樂を思ふの道ならざるなり若しも然

らずして日耳曼の陸軍、伊太利の海軍おのおの莫大の

國財を費す尚ほ其上に此二國の官民が相率ゐて英佛の

顰に倣ひ交際の虚觀を張らんとするが如きあらば財用

忽ち缺乏して國の財政に不幸を致すこと亦疑ひある可

からず近頃西洋の或る新聞に日耳曼の宰相ビスマルク

の事を記し彼は伯林に居り恰も交際社會の死人にして

平生宴會舞踏の席に臨みたる沙汰もなく只一年一度皇

帝陛下の〓〓に日耳曼宰相の名義を以て淡泊なる夜會

を開く其外には曾てソワレーを催ふす事さへあらざれ

ば或人其意を語りたるに左ればなり日耳曼の建國今日

僅かに十餘年、兵備擴張の爲めとあらば何事も無駄に

てはなけれども愚案に交際は兵備の助けを爲さゞるを

信じて此社會には顯はれざるなりと返答せしとぞ或は

これも一場の作話なるを知る可からずと雖ども兔に角

に侯の心情を寫して遠く誤まらざるの想像ならん又彼

の伊太利統一の功臣たりし宰相カヴォール氏が百事の

財用を節して專ら危急の備に充て平素國交際の儀式を

誇大にせざりしなれども其威權英佛諸國の上に響きて

遂に墺太利の束縛を脱したるは普く人の知る所なり然

るに英佛の政治家は概ね體裁を殊にして先づ交際の事

に忙はしく此處の舞踏彼所の夜會と奔走の其中に國政

を左右するの裕餘あるは何故なりや我輩の所見を以て

するに是れ即ち新舊その國状を殊にして一は要用足り

て贅澤の遑あれ共他は贅澤を爲すに未だ其要用を終は

らざるの相違に外ならず英佛の政治家決して日耳曼伊

太利の政治家に及ばずと云ふに非ずと雖ども時と所と

勢ひを異にすればこれも亦是非なき譯けならん知らず

日本朝野の政治家は英佛の政治家を以て自から居るか

將た維新の日本國は日耳曼伊太利の運命に似たりとし

て國の世帶の一事に就ては日伊の政治家に倣はんとす

るか我輩の開かんと欲する所のものなり