「日本社會論(前號の續)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本社會論(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ドクトルシモンズ原文 伊吹雷太譯

凡そ人生の初期即ち幼年の間の教育は其人將來の性質を鑄冶するものなれば甚だ大切なることは世人の普く知る所にして余が言を待たざるなり而して此初期間の教養訓練は全く母の手に成るものなれば即ち將來第二世の男女たるものの性質の善惡は主として其母の性質如何に關するや亦明なり即ち之を第四の定義に從て論理を結ぶときは一國社會の良否も一國政府の善惡も其國人民の母たる者の性質如何に在りと斷定せざる可らざるなり而して今この論結と前に述たる人の子女たるものが其兩親に對して恭順なることは甚だ大切なるを以て其恭順の徳を微弱にするものは其物即ち一家を害し社會の秩序を亂だすものなりとの議論と兩樣の主意をして★太★過なからしめなば今日日本人が外國の風俗習慣を模倣して一個の新文明國を組織せんとする際にも能く注意して其家族の仕組をば成丈け保存して决して破壞す可らざるなり

上來の説は日本人の一般に心得居る事柄にして數百千歳の久しき之を保存し之を履行し來りたることなれば特更に余が喋喋の辨を要せざるに似たれども鄙見を以てすれば今や日本人は歐米文明の外相に心醉して彼國國の事物とさへ云へば善惡得失の差別もなく漫に眞似せんとして底止する所を知らざるものの如し其の餘勢の波及する所、遂に彼の學理的より論ずるも經驗上より見るも甚だ尊重す可き自國家族の仕組をも破壞せんとするの實蹟あるは如何にも悼ましき次第にして是れ即ち一片の婆心余をして默默し止むを得ざらしむる所以なり

日本の紳士には其令孃をして早く歐米の風俗習慣を學ばしめ洋食を喫し洋服を裝ひ洋琴を彈じ洋舞を學び時に或は踏舞會塲電燈燦爛瓶花鮮妍の其中に得得して僅に其面を知り、未だ其名を聞かざる程淺き交りの美紳士と兩兩纖手を交へて■(あしへん+「扁」)■(あしへん+「扁」)胡蝶の舞を爲し、舞罷んで相對して洋椅に寄り笑語喃喃葡萄の美酒に醉ひ玉顏紅を漲らして秋葉を欺き唱歌聲朗にして春鶯に似る等純然たる西洋貴孃の爲に習はしめんとて心を煩す人もありと聞きしが余は此等の人人に問はんとす君が君の女兒をして僅僅數歳月の間歐米の教育を受け外國の風習を習はしめたる其結果は果して如何なる思想、如何なる擧作を養成し得たるや從前よりは一層兩親に對して恭順なるや、一層自家の生活に滿足を感ずるや、母を助けて家事に鞅掌し弟妹を愛撫して之を教導するの状は從前に倍して神妙なるや、世の流行を遂て奢侈に奔るの弊なく能く自身の物數寄を節して經濟の美徳を養成したるの實蹟あるや、即ち語を換へて之を略言すれば今の女兒は後年家に居て今の彼等の母よりも更に優りて良妻善母たるの見込あるや

余は實に氣の毒ながら否と云はざるを得ざる其次第は今日の女兒等は業に既に恭順の徳を微弱にし自家の有樣に不滿を抱く者あるが如し時に或は彼等の慈母が洋服を購ふは暫らく猶豫すべし、寶玉を飾るは餘り驕奢なり、青年の男子と手を交へて共に遊戲するなどは餘り宜しからず云云とて穩に教訓せんとすれば女兒は忽ち憤怒の聲を放て其母を嘲笑し馬鹿馬鹿是れ即ち文明の流行なり天保年間の老人豈能く之を知らんや上等女學校の講堂に入て蟹字を學ばず何何貴女會の社員と爲りて踏舞を習はざる者にして何ぞ能く當世文明の女子を教調掣肘するを得べけんや恭謙從順は古風陋習なり今や權理を尊び自由を重んずるの世界なりなど云ふ甚だ不遜不始末なる奇話は屡屡余輩外國人の耳朶にも達する所なればなり

左れば日本の父母たる者が長く此誤信を繼續したらんには唯後來の不幸を其當局の女兒に蒙らしむるのみならず家内の秩序を亂だし平和を害し遂には悲嘆憂悶の中に一家を沈め愁涙灌いで川を爲し未だ年ならざるに富峯の雪を頭上に戴くの悲境に陷りて始めて昔非を悟るも巳に及ばざることなれば其過の未だ深からざる今日に當り眞成の文明は其國民智徳の發達に在りて衣服飮食慣習の差別に在らざるを知り後日臍を噬むの悔なからんことを勉るは甚だ大切なりと信ずるなり

耶蘇宣教師等の設立して日本の女兒を教育する諸學校に於ても彼の日本人が更に實用に頓着することなく寧ろ有害なる外國の風習を眞似して年少の子女を刺衝眩惑せしめ以て其行路を誤らしむるの狂態を視て時勢の恐る可きを知り近來は特に注意して自家の生徒には斯る過失なからしめんとて甚だ勉ることは余が親しく知る所なり

左れば余は日本人に向て連呼して忠告せんとす注意せよ注意せよ注意して决して日本特有の家族の仕組を壞破し殊に婦人の教育仕付等に關はる古習舊慣を放棄するなかれと、此仕組中婦人の言行を規制する慣行は歐米の風習に比して其外見聊か苛酷なるに似たるものあれども其内面の實際は必ずしも然るに非ず其積弊を除いて事の本體に還れば主義は美にして(一二の例外はあるとして)は居家に大切なるもの多きが故に若しも一朝にして其根底より破壞するあらんには必ず一家の平和秩序を危ふするや疑ある可らず是れ余が敢て斷言し得る所なり

「不品行ものは唯男子」とは西洋の諺なるが此句は實に能く日本の今日の有樣に適中する言にして日本男子頂門の一針なり日本の與論慣習が婦人に望む所の其同じ謹直なる徳行を男子に責めずして如何なる不品行をも其ままに差許し等閑に看過して更に規制せざるは實に甚だしき缺典にして婦人に對して此上もなき不正不敬なりと云はざる可らず

故に余は今この議論を結ばんとするに當り日本の男女に向て一言せざる可らず日本國を眞成に改良して眞成の文明國となし歐米各國と對等の交際を得んと欲せば男子たる者が自から其品行を正ふし彼の花柳の■(くさかんむり+「大」+「犯」の右側)に奔りて妓に戲れ妾を擁し公然醜行を恣にするの惡習を洗除し盡して人生に至大至重なる婚姻嫁聚の大禮を重んじ婦人に望むの道徳は男子の身先づ自から之を修めざる可らず而して婦人の方に於ては男子の此の醜行を規制して倫理の路を履ましむること固より其權理とも稱すべきものなれば正當なる方法にて自身の爲め又子孫の爲め此權理を棄てずして之を實施すると勉めざる可らざるなり              (畢)