「政變は猶ほ驟雨の如し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政變は猶ほ驟雨の如し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政變は猶ほ驟雨の如し

近來我政治社會の樣子を見るに何となく平生の無事にあらずして或は何か珍らしき政變にてもあらんかと人人の心に待設る其趣は田夫漁人が空合を■(めへん+「永」)めて晴雨を卜するものの如し扠政治家の身と爲りて考れば一國の政權を握りて平生の志を事の實際に行ひ以て國民の苦樂喜憂を制するは此上もなき快樂にして其事情を喩へて云へば俳優が劇塲に藝を演じて夥多の看客を泣かしめ又笑はしむるものに異ならず僅に數百數千人の感情を左右せんが爲めにとて殆んど身命を擲つまでに熱心勉強する者は俳優なり然るを况んや政治家の伎倆は俳優よりも大にして之を演ずる塲所も廣く看客の數も啻に百千人ならずして政法の一令一改は日本國中三千何百萬の人民をして泣かしめ又笑はしむるに於てをや其熱心の熱度は之を俳優に比して同日の論にあらざる可し凡そ世の中の事物に就き之に熱すること甚だしければ其得失に際して執念深きも自然の勢にして既に政治社會に得たる地位は固く之を守りて失ふことなからんとし一度び失ふたるものは力を盡して之を回復せんことを勉む即ち世界古今政論の爭は大抵皆この事情に原因し政治社會の天に快晴の日少なき由縁にして殊に我日本は宗教學問商賣等の事よりも政治の事を重んじて政論流行の國柄なれば其熱度も特に劇しきものと知る可し左れば近日世間にて取り取りに噂する政變も人の待設るが如く容易には行はれざることならん仮令へ行はるるも秋天に片雲を見て忽ち雨に逢ふなど云ふ淡泊なる次第にはあらざる可し如何となれば日本の政治社會は總て熱度高くして執着の念深ければなり又一方に政變を祈る者の爲めに謀りても今日その期する所は大なるも變後の實際に至りては存外に然らざることも多からんなれば其邊は今より覺悟ありて然る可きことなり今日より考れば此の事は斯の如くして彼の事は云々し此の利を起して其の害を除くなど滿腔の妙案涌くが如くにして黄金世界の想像畫き得て美なりと雖ども扨實際に臨んでは種種無量の困難に逢ひ是れも意の如くならず其れも心に任せずして今日の妙案果して妙ならず黄金の世界遂に黄金ならざるの奇談もある可し如何となれば政治社會は日本國の一部分にして其部分の變化は以て俄に日本全體の變化を致すにたらざればなり斯民や徳川時代の重税貧窮に生じ文明改進の殖産に就かんとして資力なれけばなり斯民や數百年來の教育に〓へられ俄に文明の事を聞くも思想輕躁にして動もすれば主義の極端より極端に走るの弊を免かれざればなり斯民や身を〓するに公權政權を貪るを知て私權人權の重きを知らず以て他を壓制するにあらざれば他の壓制の下に安んずる者なればなり斯民の男性は人倫を輕んじて品行を愼まず禍を家族の内に起して惡例を天下に示す者多ければなり此種の積弊を計れば枚擧に遑あらず何れも皆社會改良の路に横はる困難なれば今の政治家が政變を祈り其變後を想像して多を期するが如きは我輩の感服せざる所なり

事の次第なれば世の中には寧ろ政變なくして千年も萬年も無事を祈る可きやと云ふに我輩の所見は全く然らず文に無事太平の四字を熟語に用るもの多けれども人間社會の實際は動もすれば之に反して無事の間に太平を維持せんとするは甚だ易からざるものの如し唯樣樣の小事變の機に投じて天下の人心を一轉し此れより彼れに換はり右より左に變ずる其變換の小時間を偸み其時を集めて幾年月の長を成し之を太平の年と名く可きのみ即ち政治社會新陳交代の如きは人間の小事變なれば假令へ變後の實際に大に利す可きの見込みなきにもせよ單に其事變に由て人心を一新するの利益のみにて既に大なりと云ふ可し之を喩へば人間の政變は天時の驟雨の如し炎暑中の一雨一雷以て夏を變して秋と爲すに足らずと雖ども一夕の清凉を催ほして人氣を爽にするの効驗は甚だ大なり我輩の持論は本來政治社會の交代を手輕に視るものにして其期限の長きは甚だ願ふ所にあらず唯僅に三五年にして一新を催ほし一新又一新その小事變に乘じて天下の人心を清凉ならしめ以て太平を持續せんと欲するのみ我國脈こそ千萬歳に傳へて無窮なれども其國人の集合したる政治社會は一時の集合なり如何なる主義のものにても其萬歳を祈るが如きは我輩の敢てせざる所なり