「有形の進歩を遮る可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「有形の進歩を遮る可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

有形の進歩を遮る可らず

文明の進歩に有無兩形の區別あり無形の文明とは人文知識の發達したる倫理道徳の高尚したる或は又學問教育の開けたる皆此に屬する者にして元來其形體の目に視え手に觸るるあるに非ざれば隨て進歩の程度を認むること困難なりと雖も獨り有形の文明に至りては家屋の宏壯、器什の美麗、衣服飮食の贅澤なる等日常生活の状遇より人事交際饗宴往來總て物の外形に顯はれて其美を裝ふもの悉く進歩の實を表せざるなく一見して覺り易き者なり盖し國の文明を進ましむるの方便は多樣ならんと雖も就中其功の著明なるは外形の事物を假りて人心を啓くに若くものあらず西洋文明の東漸したる其次第も始めには外科醫術の如き次て武器玩弄品の如き次て蒸氣船車電信等の如き孰れも有形視るべきの事物に端緒を開き遂に今日の社會を作りたる者にして其間機微の關係至妙と云ふの外なし然りと雖も今我國の文明を以て之を西洋諸國に比較すれば彼我進歩の速力に著しき懸隔ありて駟も尚ほ及ばざるの有樣なるが故に今の日本人は决して今日までの進歩を以て甘んず可きに非ず將來ますます其規模を大にしてますます外形の文明を輸入し無形の人心を啓發して彼れと歩を爭ふこと肝要なる可し或は永遠の策を考へたらば國民の教育知識を進歩せしむることを主眼として專ら無形の一邊より改良を圖るの方法不可なきに非ずと雖も斯る事業は學者の職分にして其功を收むるに年月を期す可らず故に經世家が國の文明の進歩を謀りて有形より無形に入らしむるの道を開くは臨機の好方便と云ふべし

右の如く有形の事物を以て國の文明を促すの手段は大切なりとして偖何人が其模範を示すの任に當るべきやと云ふに鄙見を以てすれば民間有力の人人が率先して相與に其進歩を奬勵するより外策あるを知らざるなり或は政府こそ一國の高處に居て人民の望を屬する中點たる可きものなれば之をして文明の方向を示すの責任を負はしむるは行はれ易き事業にして例へば官邊の文事を文にし其土木建築を盛にするなども自から一種の方便たるに似たれども是れは前號にも云へる如く政府は財を生ずるの府にあらずして唯費すの一方のみなれば入るに苦勞なきものが出るを爲すときは人情の自然、知らず識らずの間に濫用に流れて其歸する所は民力の餘裕を殺ぐの恐なきに非ず左ればとて官家に節儉を主とし其主義を民間に及ぼして一國の風景を粗野にするも固より面白からず唯我輩の願ふ所は民間の有志者をして文明豪奢の事を逞ふせしめ政府にも憚らず他人にも遠慮せず獨立獨行各自の隨意に任して以て世の率先たらしめんとするの一事のみ此邊の意味も前日の紙上に大略を記して既に讀者の一覽を煩はしたる所なれども人或は謂らく人民に豪奢を恣にせしめて其制限法を如何す可きや左なきだも人生は侈に流れ易きものなり然るを傍より制止せずして却て之を勸るが如きは無限の慾に有限の財を費さしむるものにして唯徒に民力を疲弊するに足る可きのみとの説もあれども我輩の所見に於て斯る婆心は到底無益なりとして謝絶せざるを得ず凡そ人生の擧動を支配するものは自利の心より有力なるはなし人民をして漫に有形の文明に熱心して無用の豪奢と狂奔せしめんとするか文明豪奢身に快樂なりと雖も如何せん其事を行はんとするには錢を要し其錢は額に汗して始めて得らる可きものなれば他人の勸告奬勵に由て容易に之を棄る者はある可らず快樂を求めんとすれば錢を失ひ、錢を守らんとすれば快樂なし此際に裁判を司どるものは本人の方寸に存する一片の自利心のみにして過るともなく及はざることもなく正に其中庸を得せしむるの妙機は人力にあらず殆んど之を天意と云ふも可ならん是即ち我輩が口を放て民間の豪奢を勸め敢て顧慮する所なき由縁なり又或は維新以來既に世間の風潮に狂奔して誤て家を亡ぼしたる者も多からん各地方の有志者が公共の事務に周旋して多く錢を費し其事いまだ成らずして負債既に山を成したる者あり或は萬金の富豪が郡吏村吏の名を榮譽と思ひ縣官の驥尾に就て意氣揚揚たる其中に祖先傳來の家産を空ふしたる者あり是等は皆文明の風潮に吹倒されたる者なれども其風潮は何れの方角よりして如何なる勢力のものなるやと尋れば陰に陽に官邊より吹來りて社會の全面を靡かしたるものにして民間の卑屈なる部分の者が其影響を被りたるのみ之を名けて獨立の豪奢と云ふ可らず左れば政府を以て一國文明の中心とするは啻に不生産の散財のみならず偶ま之に影響せらるる者までも人生利他心の則に從て運動するを得ざるの極に至ることあり何れの點より觀察を下すも民間の文明は獨立獨歩ならざる可らず我輩の固く執て動かざる所の持論なり