「法官の正廉を維持するの説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「法官の正廉を維持するの説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

法官の正廉を維持するの説

今の日本の法官の正廉潔白にして私利に迷ふことなきは内外人の普く許す所にして稀に或は例外の塲合もあらんなれども全體を平均して世界萬國比類なしと言ふも決して溢言にはあらざる可し抑も我日本國に限りて獨り此美風を存する其原因は何れよりすると尋るに畢竟その人を撰び得て然りと答るの外なきが如くなれども法官のみ特に廉潔なる可きに非ず他の官途に在る者とても等しく尋常一樣の日本士人にして其職に在て等に汚れたるの沙汰少なきは概して之を日本士族遺傳の氣風なりと云はざるを得ず既に其氣風の中に生育すれば事に當て故さらに廉潔ならんことを務め苦しんで自から戒しむるに非ず本來不廉不潔の何ものたるを知らずして之を犯さんとするも其方法に心付かずして云はゞ惡事汚行に漠然として不案内なる者と評するも可ならん盖し日本の士族は數百年の久しき世祿に養はれて士流相互に權力名聲を爭ふの念は甚だ熾んなりしと雖ども其名聲なるものは正しく利益と相反對して利を求れば名を得べからず名を成さんとすれば利を棄てざる可らず當時の士人にして苟も利を言はんか、名聲忽ち去る可し况んや賄賂等の汚行を犯すに於てをや一度び之を犯して世に公然たるが如きあれば其身は恰も社會の死物たるのみならず身と共に家の名をも汚して禍を子孫に遺すの例さへ少なからず即是れ日本士族の眞面目にして其凛然たる氣風は子々孫々の骨に徹して容易に除き去る可きにあらず左れば今日の法官たる者も多くは此士族の末流にして今尚ほ祖先の餘澤に浴して遺傳の美風中に生々するものなれば其職に居て汚れざるも偶然にあらざるなり

然りと雖ども事の裏面より觀察を下すときは舊時の日本士族に一種の氣風を存し常に士の名を重んじて利を輕んじたるも本來その家に屬する世祿の利ありしが故なり人生既に衣食の虞なし次で名聲榮譽の念を生じて之を重んずるも亦自然の道理なれば其常に利を語らざりしと云ふも左まで驚く可きに非ず恰も之を語るの要用なきものなればなり若しも當時の士族に附するに唯士族の名義のみを以てして其名に伴ふの利禄なからしめなば人生の至情、必ずしも利心なきものにもあらざる可しと雖ども其然らざりしは單に世祿に養はれたるの功徳と云ふ可きのみ然るに今や天下に士族の名は存すれども世祿の利は既に絶て痕なし名稱は花にして利禄は實なり實なきの花にして能く人生の徳心を維持するに足る可きや我輩これを保證するを得ず左れば彼の法官が今日は尚ほ祖先の餘慶に由りて士人の面目を失はずと雖ども社會の人文漸く繁多を致して錢の働は次第に其勢力を逞ふし居家處世の人事都て錢に依頼するの風俗に移り行く其最中に私に自から省れば其身の官に在る間こそ先づ以て安樂なれ共官員の身の始中終は〓家に謂ゆる幻の如きものにして病氣死亡の談は姑く擱き一朝何かの事變に遭へば其免職非職は今日とも知れず明日とも知られず吾れや先き、人や先き、後れ先だつ者は本の雫末の露よりも繁し斯る墓なき身の上にして〓て己が地位を見れば天下公衆一個人の利害に直接して片言以て他の浮沈を制す而し千年の遺傳徹骨の廉耻心は容易に消〓す可きにあらざれども詞訴當局の輩は一念たゞ勝利を求るの外なくして其これを求るの術策は千變萬化虚實窮りなければ浸潤膚受、知らず識らず何時しか賄賂の沙汰に及ふか或は之を知りながらも一身の私を謀り老後死後の家事を思ひやりて目を瞑して之を貪るの塲合なきを期す可らず我輩の今より過慮して深く恐るゝ所のものなり抑も此賄賂の行はるゝ内情は兎も角も其事實を見れば甚だ惡む可きに似たれども人生の徳義心なるものは之を一個人の相對に責む可きのみ平均の多數に向て徳心の働を豫期するが如きは今の文明の程度に居て無益の談なりと云はざるを得ず故に我輩は今より數年後の時勢を推察し我法官を責るに徳義の厚薄如何を以てせずして寧ろ其徳心を厚からしむる所以の手段を講論せんと欲するものなり其手段如何す可きや唯其人を利益の範囲内に包羅して安心の地位を得せしむるの一法あるのみ人生利心あり又徳心あり利は百徳の本にして其徳心の發達し得ざるは利の爲めに遮らるゝものより外ならず苟も利益の確なるものあらんか徳心も亦隨て其働を逞ふするを得べし尚ほ實際論は之を次に開陳せん(以下次號)