「廢府縣の説行はれ難きに非ず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「廢府縣の説行はれ難きに非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

廢府縣の説行はれ難きに非ず

府と云ひ縣と云ひ將た又郡區町村等の別を設けて今日大小の施政其宜きを得る所以は古來の習慣人民これに因襲して皆其便に安ずるものに外ならずと雖も抑も其習慣の源に溯りて始めに斯る大小の區畫を設けたるその標準を何物なりやと尋ぬるに全くは距離の長短往復の便不便を本として之を定めたること疑ふ可らず或は土地狭隘なるも人口特に稠密なるが爲め一時行政の都合を以て之を別區域と見做したるの例もあらんなれ共是れは僅に一小部面の話しにして其大體より論ずれば府縣郡區以下大小政治上の區畫は皆運輸交通の便否如何んを察して之を制定したるは事實に於て明白なる所なり往日我國にて汽車船の設けなきは勿論、馬車人力車の便利さへも開けざりし以前に在りては駕籠に乗り馬に跨り終日陸行して行程僅々十里を踰ゆる能はず江戸長崎の間四百里にして四十日の道中も交通不便の當日にありては人情これに安んじて怪まざりしかども汽船開通の今日と成りては船中に逸坐して僅々五日を費すのみ之を二三十年の昔に比較すれば今の東京長崎の距離は恰も八分の一に減じて四百里の行程忽ち三百五十里を縮めたるに異ならず實に驚くべきの變化なれ共交通の便尚ほ之に止まる可らず現今起工中なる東海山陽九州三道の鐡道線路聯絡を通ずるも數年の後に在りとすれば其曉には東京より二晝夜内外にして長崎に達することも容易なるべし汽車の二日は汽船の五日に比して又々三日を短縮したる者なり此の如く他の方向にも同じく鐡道の便利開けて國中殆んど軌條の蛛網線を見ざるなきの時に至らば日本如き〓爾たる小國は八十餘州津々浦々何れの所として往來自在ならざるはなく行客寧ろ其行程の足らずして興なきを訴るの奇談もある可し文明の世界に在りて距離の長短は里數を以て計らずして之を通過する時間を標準にするの例なれば例へば東京より長崎までの間を二日に通過すれば之を四百里と云はずして二日と稱し大坂は一日に足らずして名古屋は何時、埼玉千葉神奈川等の如き近縣地方は或は時を以て計るに足らずして何分時間と名け今日日本橋區の人が歩して淺草區に行くよりも近きことならん我國の前途遠きも十數年を出でずして斯る運命に際會すること今日より期して待つべきものなれば之と同時に社會凡百の事物は必ず其面目を一新して隨て彼の行政區畫府縣治の別の如きも大に其趣を變更せざれば不都合なるの事實を見出すことならん今日こそ前々よりの仕來りにて地方行政の區畫にも左まで不便利なきが如くなれ共文明大勢の進歩する其速力は非常なるものにして遠からず府縣分置の實際に益ならざるを見出すこと必然なるが故に我輩は經世遠大の策を案じて爰に廢府縣の説を開陳せんとするなり

今の地方行政區畫は一廰三府四十一縣より成るものなれ共北海道は未だ無人の荒地にして數年以前開拓使廢止の後ち一時縣治の制を設けたるも實際の不便を發見して遂に全道を其廰の管理に任せて廰政の所向内地と同日に論ず可らざるものあらんなれば姑く擱き残る三府四十一縣の區畫に至りては必ずしも之を存せざるも敢て差支なきを信ずるなり王政維新の前後までは三百の諸侯全國に割據して藩々其政を異にしたるの趣は封建郡縣の相違こそあれ恰も日本國中を三百餘の府縣治に分割したる者にして藩籍奉還の後に至り更に八十の府縣廰を設置したるは以前の數に比して著しき減少なれども大政統一中央集權の治行はれたるの當日なれば三百の藩政が八十の廰治に歸して少しも不都合なきのみならず後ち倍々之を減じて遂に今日に至りて四十の府縣治に縮まりたるは非常の變遷なれども去迚之が爲めに地方の行政に澁滞を生じたるの例證もなく人民も亦その不便を感じたりとの談を聞かず唯其地方分畫のいよいよ減ずるに從て諸般の政務のいよいよ統一を致したる効迹は蔽ふ可らざるのみ八十の府縣を半減にしたる同じ其筆法を以て今の四十府縣を更に又全廢に附せんとするは唐突の説に似たれ共漫然今の府縣治の數を減ず可らずと爲すの論こそ無稽なれと申すは既に前にも述べたる如く元來地方行政の區畫を定むべき其標準は距離の長短往復の便不便に在ること爭ふ可らずとせば鐡道電信郵便汽船運輸交通の便利此上なき今の時勢、後の運命、國政一統の下に復た又地方の小區畫を必要なりとする理由なかればなり既に現今にても東京近傍及び鐡道通達の數縣を併せ之を中央に統轄して何等の不都合あるべきや獨り其不都合を見出す能はざるのみならず之を廢するこそ却て煩を去り費を省くの法にして官民の便利是より直接に大なるものなかる可し日本全國交通の次第に便なるに從ひ府縣分轄の要用なきに至るの時期遠きに非ずとすれば廢府縣の一説今日より之を斷行するの用意あるも大早計にはならざる可し

右の如く地方分轄の制度を廢止すること要用なりと云ふも我輩は唯府縣治の區畫に限るのみにして以下郡區の組織に至りては素より之を動すの意なきのみか彌よ彌よ府縣治を廢するの時節に際せば其廰の事務分れて中央政府に歸するものと郡區役所に渡るべきものと自から區別ある可ければ其責任其權限にも亦變更する所なかる可らず其邊の考案は之れを他日に譲るとして取敢へず我輩は廢府縣の得失を讀者諸君に質さんと欲するものなり