「廢府縣後の成迹亦憂ふるに足らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「廢府縣後の成迹亦憂ふるに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

廢府縣後の成迹亦憂ふるに足らず

日本全國の運輸交通を便利にして府縣廰を廢するも實際に差支へある可らずとの次第は前日の紙上に於て既に其大意を陳述したる所なるが偖いよいよ之を廢するとして以後の始末を如何にすべきやと云へば我輩の所見に於ては中央政府と地方人民との關係を直接ならしめて治者被治者双方與に不都合なかるべしと信ずるなり今其次第を述べんに縱令へ府縣廰を廢するにもせよ郡區以下町村の制度に至りては之を今日の儘に存すべきは無論にして更に實際を顧みたらば今の郡區制度にては或は大に過ぐるもあらん或は小に失するもあるべくして其組織權限に至るまで多少の變更もなかる可らず一歩を進めて論ずれば町村の制度と雖もこれに均しく實際不適當の所あるべければ孰れも改正を要するものにして其手段方法は當局者の考案に存すべき事なれ共此等は一に地方自治郡區町村の獨立と稱すべきものにして例へば學校教育の事の如きも之を郡區に任せ隨意經濟の支辨を爲さしめて中央政府より之を監督するものなりとせば中間に居る府縣廰にて特更に地方の學事を世話するの必要もなかる可し或は一郡一區の經濟に於て地方事を辨ずるに足らざる塲合には聯合共同を許すの方法もあるべし其邊は一切民間の便利自由に任せて政府より之を總轄すれば何等の不便あるべしとは思われざるなり

又府縣廰を廢すると同時に從來これに屬したる事務の省く可きものは勉めて之を省きいよいよ止むを得ざるものを残して中央の直轄に歸し例へば農工商殖産の事は農商務省に衛生の事は中央衛生局に徴兵の事は陸軍省に收税の事は大藏省に其他各々所屬を以て事務を政府に隷屬せしむるときは事は簡にして官民の間に繁文の苦しみを免かるゝの利益ある可し例へば些々たる一片の願屆けにても人民と中央政府との間に府縣廰の存するは恰も人の家を訪ふて二重の門に遮られ其門にも名札を出し又面會の目的たる主人の方へも同樣の名札を出して取次を頼むが如く願屆けの書面を二樣に認むるは隨分煩はしきことなり又時としては其書面の扣として各二通づゝを作りて四通となり尚甚だしきは町村郡區の諸役所を經る事もあり或は警察の方へ關係の事もありて同一樣の意味の書面を八通も十通も認るが如きは今日の慣行にして尚その上にも書面には書式ありて式に合はざるものは意味の通不通を問はずして却下せられ之が爲め幾度か役所に往來して時を費し又心配するなど實に繁文に堪へ難き折柄、府縣廰の一門にても之を除き去りたらば是れのみにても餘程の便利なる可し時是れ資金の諺、果して違ふことなくんば繁文を除くの利は一國の經濟に黄金を得るものと知る可し

又今の府縣治の實際を見るに各自相互に其方向を殊にして往々撞着を生するの事情なきにあらず地方人々の意見次第に任せ或は教育を先にするもあり或は衛生を専にするもあり其外土木警察勸業等おのおの先後輕重の不同を爲すが故に扨日本全國を見るの眼を以て大體上より見渡すときは各府縣の治跡區々にして不都合少なからざるが如し例へば道路の如き此の縣に於ては縣民の全力を竭して見事に成功を告げたれども隣縣は依然として舊道のまゝなるが故に一方の大道砥の如く平にして長しと雖ども縣の境に至りて忽ち窮し恰も袋町の奇觀を呈するものあり又大河の疏水堤防の如きも河に沿ふの各府縣おのおの其利害を殊にして協議の困難なるは我輩の毎度傳聞する所なり之を要するに日本全國四十の地方廰は封建割據にこそあらねども其心は則ち恰も四十樣の別あるものにして土地相接するも尚その施政の方針を一にする能はず遂には知らず識らずの際に地方全體の不便を醸すを免かれざるが故に若しも今日府縣治の制を廢して政府統一の命令を布くの英斷あらば事の大小難易こそあれ自から第二の廢藩にして中央の集權はいよいよ固く同時に地方自治の制度も行はれ易く両樣相對峙して官民一般の利益尋常ならざる可し

本論の旨趣は今の府縣廰を廢止し郡區を用ひて直接に政府人民間の關係を開くべしと云ふに在るものなれ共或は交通の便未だ不充分なる地方もあらんなれば斯る塲合には臨時政府より出張所を設くるか但しは地方廰の規模を變じて暫く其用に供するか此等の實際論に至りては當局者の隨意撰擇に任すべきこと當然にして尚ほ全國を統一し俄に廢止の擧を行ふ能はざる事情もあらば先づ之を實施して差支なき所に始めて逐次全國に及ぼすの工風も亦我輩の異存なき所なり