「大坂の繁昌を謀る」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「大坂の繁昌を謀る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大坂の繁昌を謀る

大坂は關西第一の都會にして其繁昌は東京に比して難兄難弟の名を得たるも畢竟その地に豪商の多くして關西商賣の集點と爲り又その風俗の優美にして快樂の多きが故ならん世人が大坂を以て日本〓藝の淵業と評するも亦〓言に非ざるなり然るに此頃聞く所に據れば其藝人の仲間に籍を〓縣に移し或は營業を癈する者少なからずして其由〓を尋ぬれば相撲俳優等の諸藝人に課すべき税率の甚だ重きが故なりと云う依て今それを東京の税率に比して其相〓を見るに

相撲  俳優  藝〓  諸藝人 玉突塲

東京 十二圓 六十圓 十八圓 十八圓 十二圓

大坂 廿五圓 百 圓 四十圓 廿五圓 六十圓

右は〓藝に關するものに就き僅かに數種の比較を示したるのみ此外演劇なり諸興行なり〓技塲或は〓覧所などの税率を較ぶれば一として彼に重くして此に輕からざるはなし其〓藝を教える師匠の如き東京にては無税なれども大坂に在ては年に六圓の税を納めざるべからず大坂の藝人は負擔輕からずと云う可し左なきだに藝を以て身を立つる者は其収入に常なくして資産ある者とては少なく且その〓〓も極めて容易なる習慣なれば課税の重きに〓うときは去て他方に居を移すも謂れなきに非ず我輩は藝人を咎るに非ずして却て大坂繁昌の爲めに此事を氣の毒に思うものなり

〓樂は財を散じ商賣は財を集む、集むると散ずるとは全く反對の〓にして殆んど兩立す可らざるが如しと雖ども畢竟之を以て快樂を買わんが爲めのみ、樂を買うには散財を要し其財は商賣に由て得らるべきものなりとすれば大坂に樂事の多きは即ち商賣繁盛の都會に相應して當さに然る可き緊要事なり若しも然らずして此大〓〓をして無味無〓の君子國たらしめんか即ち都下繁盛の一半を棄たるものと云う可し例えば四國九州等より來集する商人又は歳時に六條本願寺伊勢太神宮へ參拜の男女も殺風景なる大坂に〓留の要はある可らず商用を辨じ参拜を終れば直に歸郷の〓に就くか又は京都〓〓奈良〓等に行樂を試みて大坂の市中は恰も素〓りの〓中たる可きのみ左れば其市中に相撲あり芝居あり其他種々樣々の樂事の賑うは取りも直さず出入徃來の關西人を抑留して都下の繁昌を致す方便にして緒藝人は其器械とも名く可きものなるに之に課するに〓々の税を以てして〓に大都會の景色を直々たらしめんとするが如きは〓の得たるものには非ざるが如し

大坂の日本に在るは〓〓〓〓〓の歐洲諸國〓〓〓るが如し巴里の繁昌は歐洲第一と稱し殖産工藝の事固より盛なりと雖ども就中その市中の賑は諸國の人民が巴里の榮華を慕い其樂事を試みんとて來て財を散する者多きが爲めなりとは西洋の事〓に〓ずる人の善く知る所ならん故に巴里府中に於て俳優等の如き諸藝人は社會に大切なる地位を占めて世人一般に優待せらるゝも偶然にあらず課税の故を以て藝人が巴里を去るなどの談は會て聞かざるのみならず他の諸國にて優等の技倆ある者は一度び巴里の樂園に出でて其名を成さんとて此に來集しますます都會の聲色を添えてますます繁榮を致し時としては慈善の爲めに芝居を興行し餓飢の惨〓を演じて同時に貧民救助の義捐を募るなど直接に人を利することさえ少なからずして其効力は港を築き川を〓ゆる事業にも優るものありと云う左れば大坂府にて川口〓〓の事は多年聞く所にして同府商賣の實利上に〓く可からざる事業たるは勿論我輩の常に賛成して其成功を祈る所のものなれども眼を轉じて人生の〓樂世界を觀れば人〓に依頼して一都府の利を謀るも亦〓して無稽にあらず歌舞管絃に時を消するは大坂府民の〓弊など議論する人あれども木石の君子活世界の大勢を知らざる言のみ此日本の巴里をして無聲無色の木石國に變じ白眼相視て唯商賣の利益を利するのみの利と和氣悠々たる樂園と爲し商賣の事は商人の手に執りて〓〓を爭い行樂の事は諸藝人の〓意に任して地方人の足を留め以て一般の繁榮を助る利と何れか得失なる可きや大坂府人をして果して損益の思想あらしめなば必ず自から發明する所のものある可し