「鐵道工事緩慢の理由は如何ん(昨日の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「鐵道工事緩慢の理由は如何ん(昨日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道の目的に全長營業、部分營業の相違あり全長營業とは鐵道線路の起■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)より終■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)に至るまで首尾悉く連絡せざれば其營業の目的を達せざるものにして部分營業は之に反し線路の通じたる其地方地方を限り運輸交通を主眼とするものなり隨て其線路を定むるにも全長營業の鐵道なれば起終兩■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)の其間成るべく直線の方向を取り距離の懸隔を少なくするの手段等大切なる可しと雖も部分營業の工事に於ては全線の連絡は先づ兎も角も物産豊にして旅客往來の頻繁なる地方ならば故さらに其線路を迂廻せしめて專ら運送の利を利するにより距離に多少の遠隔あるも之を意とせざるが如し今日我國鐵道事業の目的とする所如何に至りても各地其情實を殊にして或は部分營業を主眼とする者もあらんと雖も目今起工中なる中仙道及び東海道の両鐵道に至りては全線悉く連絡せざれば寧ろ其實用を缺くを免る可らず一線は直江津より上田に通じ一線は東京より横川に達するの線路なれども碓氷の工事落成せざる其間は中仙道の鐵道(此線は信越間に通ずる者にして寧ろ中仙道鐵道の支線なれども其本線は今日既に東海道鐵道と變じたるを以て對照の便を計り假りに爰に之を中仙道鐵道と稱す)は未だ其用を全ふしたりと云ふ可らず東海道の鐵道と雖も之に均しく一方は横濱國府津の線路一方は名古屋以東の線路互に駿遠に到りて一致連絡せざる限りは其交通の便利功徳未だ全からざるものにして謂ゆる山を築く九仭、功一簣を缺くの憾なきを得ざるならんなれば我輩の甚だ取らざる所なり是に依て之を視れば碓氷の峠は險ならんと雖も駿遠の川は激ならんと雖も其造化天工に避易して人爲の力初めより之に〓んとするの覺悟なきは甚だ故なきの次第にして若し日本の天險は萬國無比、山に攀ぢ川を渉るの困難は到底鐵道工事を許さざる者なりとすれば我輩に於ても茫然自失の外ある可ずと雖も聞く所又見る所を以てするに西洋諸國の鐵道工事にそて其困難獨り日本に讓らざるのみならず人爲起業の大膽なる却て我輩をして喫驚せしむる者少なからず試に見る可し米國紐育、桑港間三千四百哩の鐵道工事は起業の困難如何なりしか、山脈起伏高岳巍然たる其間を紆餘曲折してロツキー山の頂上に到れば鐵道線路水面を拔くの高さ一萬三千餘呎にして日本第一の高山富岳より高きこと更に一百餘呎なり其勾配弧曲の急にして險なる可きは論を俟たざる所なれども兎に角に斯る絶頂をも事なげに横過して米國兩岸の連絡を續けたるは誠に文明の妙力にして只管感服に堪へざるなり紐育桑港間の鐵道は乃ち前記全長營業の種類に屬す可き者にして全線悉く通ぜざれば其用を爲さざるは規模の大小こそ殊なれども恰も我中仙道若くは東海道鐵道と其趣を同ふするに非すや米人の膽力至小にして若しも初めよりロツキー山上一萬三千餘呎の難工事を恐れたらんには縱令へ桑港紐育両岸の平地鐵道は全く落成したりとするも中途に一■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)の隔壁を存する限りは此鐵道も何の利益を爲す可きや疑はざるを得ず中仙道東海道両鐵道の工事と雖も全線開通の後に非ざれば其用を全ふする能はざるは豫てより明白の事實にして今に及んで俄に驚くに足らざるは世人亦我輩と同感なる可し

本來我輩は鐵道工事の速成に熱心なる論者にして絶えず之を世人に促すの精神も早く全國に運輸交通の便利を開て富の増殖を計らんと欲するの旨に外ならざれば人事事物の何たるに論なく凡そ鐵道事業の進歩に妨害を與ふるの恐ある者ならば我輩は之に抗して爭ふ所なかる可らず例へば近時鐵道速成を非なりとする論者の一説に曰く近來は如何なる故か銀貨追追外出して其形状暫時間に止まざる者の如し此際若し鐵道工事を急にして軌條汽關車等を買入るるが爲めに外國に出るの金額一時に膨張することともならば左なきだに濫出の傾きある今日に倍倍其氣焔を助けて幣制紊亂を來すの危險なきにも非ず現今起りつつある全國各所の鐵道會社が同時に悉く其工事を起して續續材料を外國に注文するの曉には何千萬圓と云ふ大金の忽ち〓國市塲に吸取るるは勢ひ免れ難きの結果にして遂に〓〓に差を生じ五七年前の顯象を今日に再映せしむるの災なかる可きや容易ならざる時節なれば成丈外國に銀貨を出さざるの工風を爲すは要用の次第にして其方便の一には鐵道工事を延引するに若く可ず云云と盖し銀貨の外出は昨今經濟社會の一疑問とする所にして其原因如何も論者の所謂交交一ならず又後來の成行に關しても實は懸念す可きの至りなれば早く其原因に溯りて濫出を防ぐの策を講ずるは素より我輩に於て異存なき所なれども去迚豫防手段の一として鐵道の工事までも延引せしむ可しと云ふが如きは首尾本末の關係を誤まること實に甚しき議論にして我輩に於ては大に不服なき能はず今日銀貨の頻に外出して已まざるは何故なるやとの問題に至りては聊か鄙見もありと雖も其事たる全く鐵道事業には無縁なる可き者にして全國の鐵道を落成せしむるまでには早晩何時か幾千萬の金を外國に出すは日本國に免れ難き運命なれば今日少しく其工事を差控へたりとて銀貨外出の源を塞ぎたるにあらず其本源を問はずして一時の小運動を恐れ、九仭の工事に費したる資本を一簣の足らざるが爲めに空ふして利益の全きものを失ふは之を評して經濟の得策と云ふ可らず我輩は世論を恐れず唯工事の速成を冀望して止まざるものなり(完)