「僧侶の餘業に醫を兼るの説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「僧侶の餘業に醫を兼るの説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

僧侶の餘業に醫を兼るの説

日本今日の有樣にては小學校の維持も人民に取りて重荷なり之れを輕くするの工夫樣樣なる中に就ても僧侶をして教師の事を執らしむるは差當りの便利なるべし僧侶の身に取りても讀經吊祭の傍らに少年の子女を教育するときは自から佛縁を結ぶの方便となりて自家の不利に非らず、又佛者は法を説て衆生を濟度するの本務なれども佛道結縁の方便としては俗間産業の事にも盡力せざる可らず

僧侶は宜しく養蠶事業の奬勵者たる可しとは曾て本紙上に開陳して讀者の高評を仰ぎ僧侶の注意を望みたる所なるが今又ここに我輩は僧侶中の俊英なる者をして醫業に從事せしむるの利益を勸告するものなり、第六統計年鑑に依れば日本の開業醫は三萬八千九百零九人にして人口一千人に付き醫者一人と零六厘の勘定に當り之れを米國の人口千人に醫者一人六分六厘、英國の七分六厘、佛國の七分一厘等に比するときは割合に少なからずと雖も(三萬八千九百餘人の九分以上は彼の各府縣の舊免許醫にして内務省免許の開業醫にあらず故に其大概は和洋折衷若しくは純然たる漢法醫と知る可し)今日地方の實際を見れば人民の病に罹りて醫師の治療を受くるものとては甚だ少なく大概は彼の賣藥に依頼するの常なるが如し(明治二十年度の豫算に據れば賣藥税の總額四十一萬五千二百十六圓とあり内一と方劑二圓宛の營業税大數一萬五千餘圓を引き去りても賣藥印紙税の金額四十萬圓あり今賣藥の税率に從ひ印紙税金に十倍したるものを賣藥代としれば合計四百萬圓なり之れを同年の人口二千八百五十萬七千百七十七人に割合す時は男女老幼とも日本人は一年一人にて十錢四厘程宛の賣藥を飮用するものなり莫大なりと云ふ可し)地方の人民必ずしも賣藥を好んで醫藥を忌むにはあらざれども斯くも賣藥の盛んなるは自から止むを得ざるの事情あるを知る可し鄙見を以てするに此事情に迫るの主因は醫師の分配宜しからざるもの即ち是れにして副因を醫師を招くの費用多きが爲めなりと斷定せざる可らず三府五港若しくは各府縣中にて小都會を爲せる塲所には到る處開業醫の多きを見れども少しく市邑を離れて村里に入れば人民皆醫師の少なきを訴へざるはなし或は數村に一醫、數落に三醫あるの地方なきにあらずと雖も山を超え川を渡りて之れを聘する次第なれば藥代、診察料の上に車代、使賃等其費用の輕からざるを恐れて無據斷念するもの多きは地方一般の事實にして醫師の方より云へば病人は多くして得意の病家少なき譯けなれば斯る淋しき地方に永く開業する者とてはある可らず是即ち日本國中に開業醫の數の多きにも拘はらず山村水落に醫業の不自由を訴る所以なり左れば今日の要は第一開業醫の分配を都鄙に平均ならしめ第二藥品診察の料を成る可く手輕にするに在りて此目的を達するには僧侶を醫事に利用するも亦自から一策なる可しと信ず明治十八年の調べに據れば日本全國寺院の數は七萬二千百六十四、僧侶の數は十萬千零廿一人とあり此寺院なるものは素と布教の爲め人民の參詣を目的として建立したるものなれば一村に一寺、一落に三院、野の末、山の奧、人里のある處には必ず存して僧侶の之れに伴はざるなく分配方の宜しき、注文し得て妙なりと云ふ可し而して十餘萬の僧侶は素より富まずと雖ども衣食の資なきにあらざれば寺務法用の餘業に醫を營むに於て實費外に多きを求むるを要せず所謂仁術の名に負かずして最と手輕に民の疾苦を濟ふに足る可し左れば醫師分配の上よりするも貧民生計の有樣よりするも共に都合宜しきを以て僧侶の醫師と爲ること公私の便利、疑なしとして茲に議論は僧侶の之れに適するや否やにあれども是れ亦决して心配す可きにあらず、僧侶は元來文學の人にして常に推理講説を勤め精神の發達自から高尚なれば其醫學に入るも决して難からず只印度佛學の形を改めて西洋の醫學に變ずるまでのことにして其趣は恰も撃劍師を槍術家と爲し漢學者を洋學者と爲すに異ならず况して我輩が僧侶に醫を勸るは醫學奧妙の理を究はめて堂々たる醫士たらんことを期するに非ず尋常普通の速成醫にて可なるべければ俊英の少年僧侶が四五年の勉強以て其目的を達す可きは疑を容れざる所なり

世の論者或は謂らく僧侶は説法諭教して信者の精神を支配し生死流轉の此岸を離れ不生不滅の彼岸に達せしむるを本務とするが故に其動作も高尚肅潔にして自然の威徳を養はざる可らず然るに若し醫者となりて近く俗人の支體に接し神聖の格位を損するあらば自然に人の信仰を失ふの恐ある可しと言ふ者もあらんか盖し論者の如きは一を知りて二を知らざる者なり我輩これを佛者に聞く彌陀の本願、釋迦の眞意は甚だ廣くして窮窟ならず上品に上法、下品に下法、貴賤智愚只其品に應じて布教の手順を異にし巧みに人心を收攬して教義に導くは所謂善巧方便なり古來我國の名僧智識と稱せられし者が此善巧方便に依頼し鄙事に多能にして民業の殖産に盡力し益益民人の信仰を増したるの事實は歴史に於ても明に見る可し又今日西洋の宣教師中には醫術を知る者甚だ少なからずバイブルを講義するの傍らに窮民の病苦を醫療するが如き布教の好方便と云ふ可し故に我僧侶の醫道に入るは啻に窮民社會の爲めに功徳のみならず佛運或は傾かんとする今の衰勢を輓回する爲めにも其功著しきものある可し我輩は僧侶の斷然决行して疑はざるを祈るものなり