「支那近状」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那近状」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那近状

我輩の社友中久しく支那に在留して其國の事情に明かなる某氏が此程北京より天津を經て白河氷結前最後の便船に搭し歸朝したるに付き取り敢へず之に就て目下北京政府の内情など種種問質したる其中より二三の談話を摘載し以て諸君と與に支那近状を推察するの料に充てんと欲す

支那鐵道の事は近來日本の新聞紙など大分仰山に書立てたるより早や既に續續開業に至る可き者の如くに其風説日本に於ては熾んなる由なれども百事に緩慢なる支那政府の常として其事業は聊かも捗取らず抑も開平の鐵道は先年來既に開けたる者なれども此れは全く礦山用の輕便鐵道にして貨物旅客の用には適せず今回政府に於て敷設せんとする者は天津太沽及び開平間僅僅數十英里の本鐵道にして更に天津より一線を北京に通ずるの計畫もありと雖も其線路未だ土盛の工事に着手したるにも非ず軌條枕木類は白河の氷結前既に外國より到着して就中日本木材の見本なども來りたれども爰に困難なるは支那人民の頑迷不霊なる一事にして今に地風火水の説を信じ祖先の墓地適適鐵道線路に侵さるることもあらば之を以て不孝の罪大なりとし兎角に苦状を申唱へて容易に土地を賣却せざりしより政府も當惑を極め押問答の末昨今漸く土地買上げ丈け濟ませたるの有樣なれば天津太沽の鐵道も日本人の想像ほどには實際に進歩するを得ず此順序より考ふれば天津鐵道は本年中に落成覺束なく北京太沽の鐵道(即ち日本にて云へば東京横濱間の線路)全通するまでには尚ほ一二年を要することなかる可きやと我輩も餘所ながら掛念に堪へず况んや天津の鐵道を南京若くは上海に延ばして廣東雲南の境まで全帝國に連絡を通ぜんとするの大計畫をや支那の鐵道は向後は知らず先づ今日の處に於ては事業の緩慢實に太甚しと稱す可きのみ

次に支那近來の外交政略を如何にと云ふに唯平穩無事と云ふの外なし彼の東京事件に引續て起りたる雲南東京の境界事件もロベルト ハート 氏の盡力にて佛國政府との折合も就き兩國の委員會同して曩に其交界を議定し爾後今日まで幸に紛議も起らず又英國が緬甸を占領したるに因り支那政府と英國と越南に境界の爭を〓し一時は其議論噪がしかりしも支那英國の間柄は元來至て親密なれば早速爭論も纏まり今は少しも其痕跡を留めざる者の如し然り而して近來意外に面倒なりし葡萄牙との關係も一時は曽紀澤氏が何にか首鼠逡巡の説を持し雙方議論の纏まりに苦み居たる由にも聞きしに此程漸く局を結び改正通商條約の調印も首尾よく相濟みたりと云へり殘る所は澳門境界音事件にして是より先き支那政府は表向き澳門を葡國政府に〓〓するの議を諾し今日までは默許の姿なりし者が英の香港に於けると均しく澳門亦公然たる葡國の領に屬したれども讓與境界の事に關して其談判决着せず加ふるに地方人民は其土地を外國に掠めらるる者なりとして人心大に激昂し一時一揆沙汰にも及ばんとしたりしかば居留の外國人等は大に憂慮し葡國政府は軍艦を其地に碇泊せしめ以て民情の恟悸を鎭めたる等騷動なりしも幸に變に至らず追て兩國より委員を出し其境界を議定するに一决したるは此程の事なり要するに西南一體は昨今無事の姿にして今後西洋諸國に對し容易に大葛藤を起す可き原因外に存せざれども露國北邊の關係に至りては如何に成行く可きや識者の豫め憂ふる所なり但し目下の景况より言ふ時は近來別に境界に事の起らざるのみならず曩に呉太徴氏が會同委員と爲て露國に談判し吉林省北邊の地にして近頃まで露人の無斷に入込み居たる其版圖を露國より取戻し一段外交上に面目を高めたるの次第もあれば方今の有樣にては先づ外國に敵なき者と稱して可ならんサイベリヤの鐵道落成して露國が東洋に羽翼を展ばすに至らば支那の爲めには無上の憂患なる可けれども是れも七八年後に起る可き出來事なれば先づ夫れまでは安眠して只管太平を頌歌しつつある者ならんと思はるるなり

右は支那外交の景状なれども序に内政の模樣を見るに天津の李鴻章氏は波蘭亡國の貴族ミツケウヰツツ伯の手段に乘せられ華美銀行の失敗以來政府の受け宜しからず且つ兎角曽紀澤氏との議論合はずして快快不快の樣子なりと云へり昨今北京の政府内に其勢力の盛んなるは曽氏にして総理衙門の機務は申すに及はず内政百般の事にまで平生參與して言ふ所行はれざるなけれども氏は多年英京に駐在して餘りに其國の空氣を呼吸し過ぎたる者か丸で英人の如くに變化し世界中英人ほど深切にして み甲斐ある國民なしと爾かも厚く信じて疑はざる者に似たり隨て外交上英國との關係こそ一層親密を加へたれども他の一方より顧みれば列國の公使の威光は殆んど光明を蔽はれ暗に不平なきこと能はざる可し外間の説に曽氏は壯年有爲の政治家にして目前の利害を斷定するに極めて鋭敏なりと雖も遠大の規模を懷き百年の長計を决するの見に於ては李氏に及はざる遙に遠しと云へり其人物の優劣は兎も角も方今支那■(まだれ+「苗」)堂の政略は數年前一方に恭親王李鴻章と一方に醇親王左宗棠と互に對峙して改進保守の方向を殊にしたる如き軋轢なく左氏既に死し、醇親王亦其説を豹變したれば政府の主義も一に改進に傾きたるに相違なけれども今は又李氏曽氏の其間に多少意見の反異もあり縱令へ數年前李左兩黨の大軋轢に至らずとも其關係の决して圓滑ならざるは明白の事實なり今後支那■(まだれ+「苗」)堂の方向如何んは李曽間の交渉に就て粗ぼ其趣を知る可きなり