「支那に關する西洋人の意見」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「支那に關する西洋人の意見」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那に關する西洋人の意見

支那は世界の邦國中最も驚くべく又最も畏るへき一大帝國なりとは西洋人が常に口に言ひ

心に信する所なり何故に彼等は此の言を發し此の感を起すに至りしやを知らんと欲せば先

づ他の邦國と比較して支那帝國が領する版圖は如何に廣大なるや支那帝國が支配する人口

は如何に衆多なるや其富は如何に殷盛なるや其河は如何に長流なるや將又其帝國の國壽は

如何に長く今日まで繼續し來りたるやを思考したらんには誰人も成程なりと首肯すべき道

理の存するを見出すことは甚だ容易なるべし即ち其領土の廣大なることは殆んど全歐洲の

一半に等くして日本國を十倍したるものに過ぎたり其領民の衆多なることは歐米文明諸國

總人口を合算したるものと等くして遙に三億の上に達せり今其人口稠密の一例を擧れば支

那内地を貫流する幾條の河上舟筏を以て家となし舟に生れ舟に住み舟に死して終世陸を履

まざるの人民相集りて幾多の市街を成せり聞く所に據れば廣東の一河に於てすら舟居の人

民殆ど二十五萬にして日本三大府の一なる京都の人口に髣髴たりと云ふ又其國内を貫流す

る大川長河甚だ多くして到處運輸の便を助け楊子江の如きは舟楫の通する所、猶日本北端

の箱舘港より西極の鹿兒嶋灣に至るの長流なり加之其國民豐富の點に至ては歐米文明諸邦

中如何なる邦國に比するも敢て一歩を讓らざる程にして其市民に陶朱猗頓の徒多く米國第

一流の豪商ウアンダービルト氏の如きも無比の金満家ならずして黄白大王の稱を專にする

を得ざるへし支那國壽の長久なることも又西洋人を驚訝せしむる一原素なり今の西洋諸文

明國が草を逐ひ穴に棲む野蠻の民族たりし時に當て支那は業に已に稍文化の域に達したり

而して當時其國と共に富榮を競ふたる古國(希臘、羅馬、印度、埃及等を云ふ)は皆絶望

の凋落に沈み見る影もなき衰頽に陥りしに獨り支那は今猶昔に異ならざるのみか次第に其

境域を廣め其國力を強くし其富盛を増したることは歴史上誣ゆ可らざる事實にして西洋人

が如何にも不可思議に感ずる所なり

扨支那の政府は世人の普く知る如く世界の邦國中最も舊組織を有する最舊政治にして今日

に至ては其流弊餘害甚だ厭惡すべき部分多しとす然れども深く其大體の主義を探れば組織

の材料必ずしも不良ならずして其中には一種の妙機を含有するものと見え其人民に相當の

〓變を與へ以て比較的に平和靜寧の間に國壽を維持したり亦以て一國の版圖内に幾億の人

民を支配する支那の如き廣大なる國柄には最も適切なる政府の組成なるそ知る可し左れば

にや獨逸聯邦の首相ビスマーク公の如きは支那駐剳の獨逸公使に命して支那國壽の長久に

して其人民の比較的に靜穩なる所以は果して政治の如何なる機關に存するや其源因を究索

したりと云ふ其意蓋し支那政治機内特殊の妙處を探知し得て之を自家の政略に適用し以て

獨逸聯邦の國壽を萬々歳に保續せんと欲するものならん余の考を以てすれば其一部分の源

因は支那官吏の撰澤法なりと信ず支那は往古より其官吏を採用するに上は宰相大臣より下

は刀筆吏に至るまで凡て試驗及第生より拔擢するの法あり故に自ら才學多能の士は擧げら

れて其位置を得、愚鈍無藝の徒が其間に僥倖するの機會少なかりしと云ふ近時西洋諸國も

一般に下等官吏を採用するには此試驗法に習へり素より支那は今日歐米諸國の如く改進發

明の途上にあらずと雖も猶西洋文明の五元素と稱する火藥、印刷、羅針盤、蒸氣、電氣の

中に就て火藥、印刷、羅針盤の三者は支那人が早く工風製造したる所にあらずや唯夫れの

みならず支那の人民は又商業に巧にして取引に鋭く百折撓まず千難屈せずして利益を収む

るに汲々たるのみならず其大賈巨商と稱せらるゝ輩に至らば賣買上甚だ正實廉直を重んじ

毫厘も其約束を食まず其品物を違へざる如きは西洋人が通商以來實際其衝に當りて驚賞措

かざる所なり

上來述たる如く支那は廣大なる版圖を領し勤勉なる人民を有する實に驚畏すべき國柄なる

其上に近時の有樣は西洋文明の功徳そ知り其學問の實利を悟り大に之を誘導奬勵して陸海

軍制を改良し電線を架し汽船を泛べ更に進で鐵道築設の議を容れ内國の氣脈を通じ交通の

途を開き内政の流弊を〓革して國勢を振張せんとするを以て西洋人は注目凝視此大國將來

の富強は果して如何なる點に達するやを想像して窃かに寒心せざるものなし

斯の如く近時支那が長夜の眠を醒して漸く改進的の運動を始めたる所以のものは日本國が

鋭意熱心西洋文明の利器を採用して二十年一日の如く遂に能く一個の新文明國を東洋に現

出したる其實例に覺醒されたるものなり支那の李宰相が曾て西洋學術學校を其國に設立せ

んことを皇帝陛下に奏請するの上書に日本近時長大進歩の有樣を論して云へらく日本は國

小にして民鮮く將又充分殷富なりと云ふを得ずと雖も其國民の活溌にして進取の氣象に富

み西洋文學を喜んで改良に熱心なる如きは我中華の遠く及ばざる所なり今の時に當り須く

西洋の文學を採用し實用の人材を養成す可し决して時勢に背き流潮に逆ひ東隣新文明國の

笑ふ所となるなかれど李氏は清朝第一流の人物なり能く日本人の性質を説き其有樣を穿ち

得たり日本國が文明の魁を東洋に爲して善例を四隣に示し其風を見て興起せしめたるもの

は實に誇稱すべき名與なりと云はざる可らず(未完)

 ドクトル シモンズ原文伊吹雷太翻譯