「歐米職工の生活如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐米職工の生活如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐米職工の生活如何

本文は米國人メリウヰザー氏が歐米諸國職工生活の實况を取調べん爲め親ら身を職工に窶

し一年間程歐洲諸國を巡歴して歸國の上、更に米國職工の有樣を取調べ起草したるものな

れば其精確なるは固より論を待たず今其中より有用の部分を抄譯して以て社説に代ふと云

米國職工の賃銀は世界中最貴のものにして歐洲諸國の企て及ぶ所にあらずと雖も生活の費

用も亦甚だ多くして之を歐洲諸國に比するに英國より高きこと一割乃至二割、佛國には二

倍、伊太利には三倍するの割合なり然るに歐洲大陸にては生活の費用極めて廉なりと雖も

其賃銀亦甚だ低きが故に生計常に困難にして出入相償はざるもの多し英國の如きも亦その

例中の一に居るものならん故に歐洲の職工は只管節儉を旨とし日常生活の度を低くして以

て今日を送らんとするの外、他意あることなし今歐洲諸國職工の賃銀の所得と日常生活の

有樣とを記せんに先づ伊太利にては一日の勞働十四時間にして其賃金は僅に七仙に過ぎざ

るものあり即ち一時間半仙の割合なりと知るべし尤も二三の優等なる器械手などには一日

一弗の賃銀を得る者なきにあらざれども之は例外の例にして尋常の職工、平均の所得は一

日五十仙に上る能はざるを常とす然るに同國の職工は此低賃銀に安んじて其業に從事する

所以のもの一つには其生活の費用低廉なるが爲めなりとは申しながら重もに同國人が家計

の鹽梅に巧みなると米國などにては乞丐すらも堪へ難き境界に處し晏然これに滿足する一

種幸福の性質を具ふるが故なるべし米國にて五千弗程の歳入ある家なれば麥粉、砂糖、パ

タの類何れも升買大買にするの風なるを以て食品の貯蓄、常に便々たる代りに無駄の立つ

ことも亦隨て多きの常なるが伊太利人は能く此邊に注意し富有の家と雖も勝手元に寸毫も

冗費を許さず夜九時に及び晩餐已に終れば家々の食品全く一掃し去り半粒一滴の殘餘をも

見ざるの習ひにして諸種の食品も麥粉なれば五仙宛、砂糖の類は一斤宛などいふが如く其

日限りの入用を計りて買入るゝ事なれば殘物を庖厨に委積するの憂もなく又家の僕婢等に

掠めらるゝなどの氣遣ひあることなし盖し他の歐洲諸國の富家にては其料理人が庖厨の殘

物を私して之を市に密賣し市にては又これを貧人に賣るの習慣ありて料理人は之が爲め一

個月六十仙乃至八十仙位の所得ある者なりと云ふ又同國職工の家に備へある家具は通例長

椅子一個、椅子二三個、粗末なる木又は石の卓子、及び鐵製の寢臺一個なりとす或は家族

の多き家に至れば往々二三枚の藁蒲團の寢臺の上に重ねあるを見る何の爲めなりやと云ふ

に寢臺の不足なるを以て夜は之を床の上に伸べて其上に寢るの工風にして晝間に至れば寢

室變じて仕事塲となり汚れ燻りたる室の一方に亭主が槌と斧とを振つて椅子、寢臺等の製

作に從事すれば妻は他の片隅にありて食物を調理し其傍を顧みれば二三の小兒が床上に足

打伸べて他愛もなく戯るゝあり其有樣は不潔亂暴の限りなれ共一家の和氣藹然として談突

戯謔、豪も不平の情なきものゝ如し而して店賃を問へば一個年十二弗乃至十五弗なりと云

ふ極貧の勞働者に至ては二人にて五仙を出し一個の寢臺を借受くる者あり甚しきは三十人

組み合ひ十六平方英尺の一室を借受け折重なりて其内に臥すものもあり斯る處に寢起する

職工は毎朝五時に起き二仙の麺包と一仙の野菜とを買ひ仕事塲に至るまでの途中にて朝飯

を終るを常とす之は獨身者の事なれども一家を持てる職工とても朝飯は矢張り右同樣、粗

末なる麺包と一二種の野菜とに過ぎず唯、途上に於てすると家内に於てするとの別あるの

み斯くて朝より六時間勞働し十二時間に至れば獨身の職工は近傍の飲食店に入込み七八仙

の價を以て麺類、麺包及び數盞の粗酒を買ふて心計りの午餐をなす酒は葡萄の最後の搾汁

より釀したるものにして其味の苦澁なる鹽を喫すると一般なり職工の妻兒ある家にては妻

が市に行きてマカロニ(ほしうどんの類)五六封度にて十八九仙のものを買ひ來り之に麺

包五封度十五仙のものを添へ以て一家内の食料に供す即ち一家六七人にて午餐の價僅かに

三十五仙乃至四十仙に過ぎざるなり晩餐も亦朝餐同樣、粗末至極のものにして麺包とマカ

ロニか若しくは麺包と珈琲位を最上となし又彼の飲食店に至れば珈琲一仙、砂糖一仙、麺

包一仙都合三仙にて晩餐を濟す事を得べし是れ伊太利職工生活の常態なり

瑞西にては生活の費用伊太利より少しく高き方なれども賃銀も亦その割合に多きを以て同

國職工の生活は伊太利に比して亦頗る高し同國のセネバは重もに時計及び樂器製造家の住

居する所なるが職工は通例二間か三間ある家を借受け仕事塲と座敷勝手とを區別し時計師

の賃銀は平均一日八十仙乃至一弗にして其家族も亦决して座食する事をなさず妻の手端眼

力の鋭敏なるは敢て男子に讓らず能く亭主を補けて時計の細工に從事し又子女あるの家に

ては娘は裁縫の事を勉め息子は細工の手傳をなすの風なるを以て同國職工の一家内は恰か

も擧て錢儲けの事に勉強するのみならず其家計の始末も亦甚だ巧みなり即ち瑞西が山脊磽

〓(石偏に角)の地に國して人口の非常に稠密なるにも拘らず人民の富庶にして不平の聲

を聞かざる所以ならん又他の歐洲諸國の職工にはなくして瑞西の職工にのみ特有なる今一

つの利益は兵役に服する時日の僅少なる一事なり同國の職工は政府の點呼に應じて軍事の

演習をなすこと一年三周間に過ぎざるが故に職工輩は恰かも之を以て祭日休暇の觀をなし

終年勤勞の辛苦を慰め却て心身の氣力を養ふ事なれども其他の諸國に在ては兵役の爲めに

大切なる三年の歳月を消費するを以て其生活に影響する所實に少小ならざるなり(以下次

號)