「政府の占有權」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政府の占有權」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政府の占有權

一國の政府として國の經濟の爲めにするは無論、又治安を慮るの點に於ても民間私信の遞

送を官の手に取揚げ私に驛遞事務を許さざるは正當の手段なりと云はざる可らず今日西洋

諸國に在りても民間私信の遞送は一として其國遞信主務局の管理たらざるなく更に一歩を

進めて政府が必要と認むる塲合には私信を披て點檢(手偏)することあるも人民は之を拒

むことなく公權の爲めに私權を曲ぐるの例は今の文明國民に於て見る所の者なり一説に政

府が私信を披封するは不正當の處置にして人權を犯すの極殆んど之より甚しきはなかる可

し專制武斷の政治を布て抑壓の下に斯民を御せんとするの考ならば兎も角もなれ共苟も然

らずして民治を計るの手段ならば政府に於て披封の權を放棄し、公安を害するの形迹顯は

れざる以上は充分、秘密の自由を與ふるの主義を斷行せざる可らず云々と論ずる者あり固

より至當の議論なれば我輩に於て不服なき所なれども斯る學者論は姑らく爰に云はずして

政府が民間私信の遞送權を自身に収め又隨意に之を披封するも今の社會に在ては如何とも

す可らざるの事相なりと假定して然らば爰に新聞紙なるものあり是れは人民相互の文通に

して私信の一部分に屬す可きや否やと問ふて容易に然りと答るを得ず若しも私信ならずと

すれば政府は何の必要あつて其遞送權を民間より取揚ぐる者なるやの問題は自然の順序に

於て起らざるを得ず即ち我輩が鄙見を陳べんと欲する所のものなり

道路の説く所を以てするに今回郵便條例の改正に於て發行地三里以外に新聞紙私社の配達

を禁すべしとの其旨趣は「總て私信の遞送は政府占有の圍内に屬せざる可らず」と云ふ單

一の格言を基とし新聞紙も亦信書の一部なるが故に今日の如く之を民間の私送に任せて政

府より禁止せざるは取りも直さず政府に屬す可き正當の占有範圍を民間の爲めに犯された

るの次第なれば其被侵の權を恢復するの順序として之を禁ずること已むを得ざる情實なり

と云ふの點に在るが如し左れば我輩も一歩を退き私信の遞送は政府の占有に屬するを當然

の理なるべしと看做して偖新聞紙は私信の一部なるが故に其配達も政府の權内に入る可き

者なりや如何んの論に就ては斷然否と返答すべし抑も新聞紙の事業たる公然、法令の規律

を受けて守る可きの範圍内に自由に運動するも更に私の秘密あるに非ず紙面の記事天下公

衆に示して畏れず憚らざるの事柄なれば之に私信の名を下す可らざるは勿論にして例へば

記者の新聞紙を綴ると學者の書を著はすとは同一の事業なるに若しも強ひて著書は一個の

信書なり播布の方便を民間の自由に放任するは危險なりとして悉く其發賣を政府の手に収

めんとせば人誰れか其誤を笑はざらんや新聞紙の配達に於けるも其趣これに同じき者なれ

ば今回政府に於て三里以外私社の配達を禁ず可しとの説は我輩如何にしても其事實を信ず

る能はざるなり將た夫れのみならず新聞紙が獨立の營業と爲りて今日の社會に一面目を開

きたる其有樣は之を他の商業に比して毫も異なる所あることなし即ち各社は製造の中心に

して製品たる新聞紙の延て全國に普及する溝路には大中小の取次賣捌所より以て小賣店に

至るの順序整々して恰も普通の商業に物品ば仲買問屋卸賣の手順を經て然して後始めて需

要者の手に入るの定則に外るゝことなきものゝ如し然るを政府に於て新聞紙の業に限り仲

買問屋卸賣の手順を盡すこと相叶はずと命令したらば其營業の難澁は素人の考にも明白な

る所にして新聞社は俄に商賣の利益を褫るゝものと云ふ可し元來新聞紙の營業も他の商賣

の如く甚だ艱難多きものにして之を擴張するには幾段幾級の順序を盡し層々階を重ねて購

讀者にあらゆる便利を得せしめ以て自他の利を謀ることなるに一朝にして此便法を封じら

れては他に求む可き手段あるを見ず當局の人に於ても能く此邊に注意して少しく商賣上の

觀察あらんこと我輩の冀望する所なり

西洋に於ても徃時新聞紙檢束の法嚴酷なりし頃に在りては私社の配達を許さざりし事例も

ありたれども今日、人文大に開けて新聞紙は社會の必要具と爲りたる世の中に尚ほ未だ私

社の配達を自由にせしめずして之を政府の手にするの法は獨逸一國を除て他の文明國に見

ざる所なり英國に於ては去る千八百四十年までは政府自ら新聞紙の遞送を司りて私社に配

達の權を與へざりしに同年條例を改正して其禁を解きたるが爲め各新聞社は非常の便利を

得て方今英國が新聞紙事業を以て世界に冠絶する所以の者は此解禁の一令亦與りて力あり

と云へり然るに日本は之に反し四十年前英國の政府に於て廢棄したる配達の占有權を今日

に再蘇せしめんとする如きあらば縱令へ其法は獨逸主義に據るにもせよ我輩は日本の文化

却歩したりとて文明諸國人の見る所を不快に思ふ者なり啻に外に對するの體面のみならず

之を内にして人民に智識開發の不便を増し其商賣營業の利を失はしむるに於てをや新聞紙

の配達を政府の占有權内に収むるの一事は我輩如何にしても其良策たるを看出すこと能は

ざるなり