「佛國共和政治の運命」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「佛國共和政治の運命」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國共和政治の運命

歐洲列國の中に於て凡そ内閣變更の速かなる佛國に如く者ある可からず去る千八百七十一

年に今の第三共和國其基礎を固めてより以來今日に至る迄出入十八年の其間に内閣の更迭

今回を以て都合廿三度目なりとす抑もチラール氏の前内閣が憲法改正の議に附き敗を議院

に取りたるは去る三月三十一日の事にして其敗北の原因は嘗て時事新報の紙上にも記した

る通りブーランジエー將軍の一味なるラゲール氏より憲法改正の議に關し他の議案は暫く

後に廻はし翌四月一日より其第一會議を開くべしと動議を起したるに内閣員は斯く唐突に

重大の事を議するを非なりと爲し之を後日に延ばさんと主唱し漸く决を取るに及んで政府

は二百六十八に對する二百三十四の少数にて敗北し是に於てチラール氏は即日閣員を率ひ

職を辭しフロツケー氏之に代はりたる者即ち今の現内閣なり

爰に佛國現内閣の政略を知らんとするには先づ第一に内閣議長たるフロツケー氏を始め其

他諸閣員の人物若くは主義の如何んを探ること肝要なる可しフロツケー氏は少にして非帝

政黨の新聞記者となり激論を唱へ時の帝國政府より譴責を受けたる共和黨十三名の其一人

にしてナポレオン第三世其勢力を振ふの際に在りては氏は始終反對の地に立ちたりしに千

八百七十一年に至り始めてセーヌ州の知事に撰ばれ其後巴里市會の議長となり千八百七十

六年下議院に出席して極左黨に加はり專ら過激の論を主張せしが千八百八十二年ガンベツ

タ氏に擧げられて又セーヌ州の知事と爲り間もなく職を辭して國會議員と爲りブリソン氏

が内閣議長たるに及び氏は其後任に撰ばれて下院の議長と爲り昨年十二月グレビー氏が辭

職の後、新に大統領を撰擧する時にも氏は候補者の一人に加へられ多數の希望を繋ぎし人

なり其今日に執る所の主義は徃昔の如く過激ならざるべしと雖も尚ほ左黨の一人にして其

擧動の活溌果斷なる可きや論を俟たず平生の持論に唱ふる所は法王の法權を抑へて政教の

別を明にし又累進歳入税の制を定めて租税の平均を計り將た巴里に獨立の市廳を設けて中

央政府の干渉を離れしめんとする等の趣旨なる由なれば是を前内閣議長チラール氏に較べ

て過激の政治家なるは言はずして明なり然り而して斯る内閣議長の旨を承け專ら外務を攝

する者は彼のゴブレー氏なれども氏は曩きに自ら内閣を組織したる時既に世に知られし如

く激烈なる非日耳曼論者なれば其復讐に熱心なること决してブーランジエー將軍に讓らざ

るのみならず當時ゴブレー氏の内閣が常に將軍の意に依て動きたるは人の能く知る所なり

又次に恐るべきは陸軍卿フレシネー氏にして氏は自ら稱して温和黨の政治家なりと明言す

れども今日まで氏が屡々組織したる内閣施政の迹に就て考ふれば事を爲す果斷にして其主

義も寧ろ急激なりと云はざる可あらず又大藏卿ペトラール氏は元と馬耳塞の藥種商人にし

て甞て社會黨の議員に擧げられたる事もあり謂ゆる純然たる極左黨員なるが故に其抱く所

の意見は他の諸氏に較べて一層過激なるを免れざる可し加ふるに内務の事はフロツケー氏

自ら之を攝すと云へば内閣の坐席中有力の地位は皆過激黨の占有に歸したるや明かなり即

ち内閣員に就きて黨派の區別を爲せば

   極左黨    大蔵卿    ペトラール

   急激左黨   内閣議長   フロツケー

          外務卿    ゴブレ―

          陸軍卿    フレシネー

          文部卿    ロクロエー

          農務卿    ピーツト

   温和黨    商務卿    ラグラン

          司法卿    フエルーラ

          工部卿    ドランモントー

          海軍卿    クランツ

即ち閣員十人の中にて過激黨六人の多數を占め殊にフロツケー氏が其首領なれば今後の施

政も之れをチラール氏の前内閣に比して大相違あるべきは論を俟たず之に加ふるに前任外

務卿フローラン氏は平和主義を以て聞えたる政治家にして此人が外交の衝に立つ間は歐洲

の平和も望み得べしとて世人の具膽を受けたりし次第なれども之れに反して今のゴブレー

氏は非日耳曼の主義を抱き更に民間に其志を同ふして日耳曼に反對なるブーランジエー將

軍の之を聲援するありとすれば今後日耳曼に對する政略も前内閣の如く圓滑ならざるは鏡

に掛けて見るが如し而して其内國の施政を如何にと云ふにフロツケー氏が上下兩院に披露

したる政治の綱領を見れば憲法の改正を圓滑ならしめ又政府と寺院との關係を定め次ぎに

財政に至りては酒税並びに繼嗣税を變更するの旨を約し最後に國防組織を改正し以て外國

の侮を防ぐべきの旨を告げたり現内閣が是等の政治綱領を實地に施行し得るまで能く政府

に立ち得べき否やは爰に明言す可らざれども第一に憲法改正の疑問たる現内閣は如何なる

手段に依りて之に當るの覺悟なりや又政府と寺院との關係に至りても佛國は古來舊教を信

ずる國なれば羅馬法王が佛國人民に對するの權力も他邦に比して自から強かる可きは當然

なるにフロツケー氏は之に反し政治宗教の區別を明にし法王の權力を抑へんとするの考な

る由なれば此疑問にも亦反對者の起ること必定ならん其他酒税繼嗣税或は兵備擴張の事の

如き孰れも之れを斷行して人民に苦情なからしめんとするは容易の業に非ざれば現政府の

前途實に多事なりと評す可きなり(未完)