「郵便法の改革に由て生ずる收入は見るに足らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「郵便法の改革に由て生ずる收入は見るに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

郵便法の改革に由て生ずる收入は見るに足らず

近來道路に風聞する郵便法の改革に日本國中都鄙發行の新聞紙配達を郵便局の一手に引受け發行所より三里以内の配達を發行者に許すのみにて他は必ず局に依頼するの法を設く可しと云ふ盖し其理由たる最初の程は取締云々の説を耳にしたることもありしかども是れは本來謂れもなき空論にして郵便局に新聞紙三里外の配達を引受けたればとて取締の實際に益するなきは辨ずるにも及ばず今日は既に之を喋々する者もなき由なれども尚ほ此改革法の贊成者が専ら主張する所は利益の一點にして從來新聞社が私の工風を以て樣々に配達したる其配達を局の専權に歸するときは一年に二三十萬圓の收入を增す可しとて目的とする所は單に局の會計に在りと云ふ此説決して非難す可らず總て事業の公私を問はず最第一の要は會計の當否に在るが故に郵便局にて毎年の出納を調査し苟も支出を減じて收入を增す可き方案を得たらば之を實施するこそ會計の巧なるものなれば我輩は毫も之を非難せざるのみか却て大に贊成する所なりと雖も凡そ何等の事業にても其支出收入を增減するの議に當り注意す可きは釣合の一事にして出納の各部分に偏重偏輕の病なき限りは大抵の處までは滑に事の行はるゝものなり例へば家道不如意にして儉約を行はんとするときも父母を始め兄弟姉妹同一樣に衣食すれば其衣食は假令へ粗末にても苦情を聞くことなしと雖も儉約の中に在りながら子供の孰れに厚くして孰れに薄しなどありては忽ち其家に風波の起らざるはなし今人事の此邊より立言して郵便局が其收入を增すが爲めに新聞紙の配達權を専有せんとするは果して其會計の各部分に偏重偏輕の病なきやと尋るときは我輩は然り無病なりと答るを得ず世人は之を知るや知らずや我輩は彼の郵便船の保護を見て之を斷ずる者なり抑も我政府は運輸交通の要を重んずるものにして前年三菱會社が郵便汽船の業を營み居りしかども之を足らずとして更に共同運輸會社に保護を授けて航海を奬勵せしに圖らずも兩社の大競爭と爲りしかば是れは以ての外の事なりとて乃ち仲裁を謀り三菱會社は所有の船舶その他の資産を五百萬圓に共同は同じく六百萬圓に評價して雙方より持出し合して一の新汽船會社を生じたるは即ち今の日本郵船會社是れなり、是れより先き政府は郵便公用の報酬として三菱會社へ毎年金二十五萬圓ほ保護を與へて用を辨じたりしが日本郵船會社の起るに及んで航路は三菱の時代に比して大に變化することなきにも拘はらず補給金は二十五萬を三倍半にして八十八萬圓に增したるこそ政府の英斷なれ、政府の保護いよいよ厚ければ會社の利益もいよいよ固くして其株式の價は次第に騰貴し正價一株五十圓のものが七八十圓の間を上下して今日に於ても七十二三圓を下りたることなし故に初め三菱共同が自家の資産を評價して五百萬圓と云ひ六百萬圓と云ひしも隨分よき價にてありしに今は其よき價の上に尚ほ大數四割を增し五百萬圓に付ては二百萬圓を加へて七百萬圓の價を生し六百萬圓には二百四十萬圓を附して八百四十萬圓と爲りたり本來政府が郵船會社に特別の保護を授るは會社の營業損益相償はずして迚も自立にては郵便の公用を辨ずること能はず、左りとは公共の便利を〓で不都合なりと云ふ所より遞信省支出の一部分として右の補給金を渡すことならんに會社營業の眞面目は必ずしも夫れほどの難澁にあらず其明證は株の價の正價に超過するを見て知る可し正價五十圓の株式が五十圓に止まるは營業の損益相償ふて株主に至當の利益ある印にして其價が是れより以上に上るときは其上る丈けは則ち營業上期する所の外に餘計の利益あるを示すものなり左れば今の日本郵船會社の營業は最初期したる所よりも利を得ること多くして其徴候は株式の價に現はれ正に四割餘に上りたるものなれば斯る盛運なる會社に尚ほも補給を厚くするは富めるに次ぐの嫌なきにあらざるが如し

等しく遞信省中の會計にして一方の郵船會社に向ては其保護の厚きこと斯の如くにして他の一方の新聞社に臨んでは僅々二三十萬圓(此計算も固より未定にして實際は必ず少數なる可しと臆測す)の收入を增すが爲めに其配達法を〓束せんとするの風聞あり若し此風聞をして實ならしめんには我輩は同省の支出收入に偏重偏輕の病を生することはなかる可きやと聊か掛念なきに非ず故に鄙見を以てすれば遞信省の會計に事實の困難を催ほしたらば新に收入を工風するよりも先づ其支出を減ずるの策を施さんと欲するものなり今試に郵船會社の補給金八十八萬圓を減して七十萬圓と爲したらば株式の價は必ず之に應じて少しく下落することならん假に七十三圓のものが六十圓にまで下るとせんか尚ほ正價に比して十圓の差あるが故に補給金を減ずること又十萬圓又五萬圓と次第に之を試みて可なり詰り其方法は如何やうにても苦しからず政府が會社に對する恩惠は冨めるに次ぐにあらず唯株主をして郵便公用の爲めに損害を被らしむることなければ夫れにて不義理なしと覺悟を定め五十圓の株を五十圓に在らしむるまでに補給を減じたらば毎年二三十萬圓の餘財を見るは甚だ易きことにして會社の株主に於ても一言の苦情ある可らず然るを些々たる新聞紙配達の事などに着手して新聞社の難澁は勿論、全國各地方にある取次賣捌人等の衣食を失はしめ以て實際に覺束なき收入を期するが如き我輩は竊に其得策ならざるを恐るゝものなり或は云ふ遞信省と郵政會社との間には既に條約の存するものあれば之を改ること難しとの説あれども會社創立の際に成りたる命令書即ち條約は昨年中兩度も變換したることなれば事の要用に迫れば改む可らざるの性質を備へたるものに非ざるや明なり故に我輩の議論は必ずしも今月今日郵船會社の補給金を減ず可しと迫るにあらず且政府の保護を被るものは獨り郵船會社のみならず他に同樣の種類多しと雖も今回新聞配達の事は遞信省に關して郵船會社の事と恰も其處を共にするの状あるが故にたまたま之に論及し若しも同様の會計に切迫の事情あらば先づ其支出中の大なる郵船會社の補給金に着手して然る後に他の部分に及ぼし樣々新收入の策を講ずるも亦妙ならんと事の前後緩急に就て一言を呈するのみ