「上海事變」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「上海事變」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

上海事變

昨日のメール電報に見ゆる如く今回上海に於て日本艦隊の水夫兩人上陸し市中を徘徊したる折其體部を露したるの廉を以て支那警察官に咎められ爲めに拘留に逢ひたる處へ艦隊の同勢二百人これを聞附け馳せ來りて放免を求めたる其議論の端より爭を生じたる者か忽ち一塲の騒ぎと爲り特に日本人は刃物まで用ひたりとて紛擾ますます烈しく警察署の方にも加勢の者共馳せ加はりて二百名の日本水夫は遂に追拂はれ一時の騒動丈けは漸く鎮定したれども上海の警察官中支那人歐人各各一名重傷を負い外に一名の歐人監督官輕傷を受けたりとの事なり尚ほ電文に據れば二百名の水夫は群を成して警察署を襲ひたる容子にして其中の重立たる者八名は拘留せられたりとあり若しも此事をして實ならしめなば其騒動は容易なる者に非ずして一時は上海の市中に大混雜を來せしなる可し又最初彼の體部を露したる二名の日本人を拘留したるは支那の警官なる由なるが抑も上海は支那人の市府と外人の居留地と相分れ内郭は支那人の居住にして外郭は洋人の寄留地と定まり其區別判然たれば騒動の起りたる處は多分外郭の居留地にして即ち租界と稱する邊ならんと思はるゝ其次第は重傷を受けたる警官の一名が歐人なりしを以て推量す可し何となれば外郭居留地の警官には支那人并に洋人ありと雖も獨り城内の警官には洋人を交へざればなり是に依りて見れば今回の事件は其關係する所支那人のみに非ずして洋人にも及びたることなれば追て談判の際には隨分面倒なる事もある可し夫は兎も角も日本の開港塲などに在りても外國軍艦の水夫等が時に誤て暴行を働くの例は毎々なれども其騒動の起因は全く一塲の間違ひに外ならずして後に及んで虚心に之を考ふれば咎めたる者も咎められたる者も雙方相共に曩きの交渉を笑ふの奇談少からず今回の上海事件も斯る種類ならんには我輩は早く互に過失の原因を看出して一笑拍手これを不問に附するを冀ふ者なれども或は夫に付き多少入組たる事情ありとせんか我輩は尚ほ左まで之に掛念せざる可し要するに斯る些少の事件より日支兩國民の感情を害して國交際の圓滑を妨げんとは何人も思ひ到らざる所なれば急に事の痕非を辨じて然る後ち舊情熈々今回の爭は拭ふて更に其痕なからんこと我輩の所望なり

然りと雖も我輩爰に後ちの成行を想像するに今回の對手方が支那人ならずして西洋人のみにてありしならば譲る可きは相譲り謝す可きは相謝して其談判の局を見るに一段容易なるや論を竢たずと雖も支那人は之に反し諸事遅緩にして時に往々猜忌の念慮なきにもあらねば我より談判を纏むるの點に於ては多少の面倒なきを期せず回顧すれば一昨年の八月なり丁汝昌が北洋艦隊を率ゐて我長崎に來泊中これも事の間違ひか日本の警官と格闘して死人怪我人の少からざりしは今回の事件の比に非ず而して騒動鎮撫の後ち罪人の審問より談判往復の一事に至り徒に手數を費して終局までに幾時月を要したるは世人の記臆する所ならん今回の事件は恰も長崎事件を反對にして彼は主、我は客の勢なるのみならず常に外人に對して一種の僻心ある支那の諸新聞紙が漫に事を夸大にし非を日本の水兵に歸せんとの考ならば其紀事に必ず訛傳を傳へて支那人を煽動せしむるの恐れなしと云ふ可あらず我輩は今回の事件に關しては支那の諸新聞紙は勿論、當局の人に於ても能くこれに注意し務て偏頗の念を去り雙方有體に事實を打明けて早く圓滑に事局を結ばんことを取敢へず忠告するなり