「政權と貴族(前號の續き)」

last updated: 2019-10-28

このページについて

時事新報に掲載された「政權と貴族(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國の貴族が上院出席の特典を世襲にして今に尚ほ不同の公權を弄するは不都合の至なりとし其改革を促すは獨り自由主義の政治家のみに非ずして保守黨中有力者のこれを唱へて盡力するものも少からず即ち上院組織改正の議論は二十年來同國政治界の一問題にして去る千八百六十九年ロード ラツセル の提出したる原案は一代貴族に上院の席を與へ外より新元素を輸入せしめんとの考なりしも貴族の大多數は己れの政權を殺がるるを不利なりとして斷然これに抗したるより右の議案は議院に於て全廢を取り以來今日まで上院の改革談は政治社會の私評には紛紛たるも公然議題と爲りて國會に出でたることなかりしに今の總理大臣ソールズベリー侯は今回上院の改革に着手せんとて取敢へず爰に一代貴族の制を設け上院に新空氣を充して豫て舊來の腐敗分子を除くの計畫を上院に披露し其案を衆議に附したるに第一第二の兩議會ともに難なく原案に可决したるが故に此上、第三議會に多數の異議起らざるに於ては侯の考案は遠からず實行に至る可し何となれば最も改革に反對す可き上院自身が既に異存を唱へざる以上は下院に於ては固より之に抗することなく貴族不同の公權を剥き立法の權を均一にするは悦ばしき次第なりとて賛成を表するは理の視易き者なればなり且つ英國國會の實状を伺ふに下院の組織は昔より時勢の必要に迫られて變化改良を重ねたる其中にも近代に在りては千八百三十二年グレーの改革議案を始めとし同六十八年デルビーが英蘇二國撰擧區畫の改革同八十四年五年グラツドストーンの人民代議條例議席配賦條例と共に前後三回の變更を經て今日に至りたれば下院の政權はこれが爲めに漸く平等均一の方に赴きたれども之に反して上院は往時より一回も其組織を改めざるのみならず現世紀に至り貴族の數の増加したるより院の議席は俄に膨張して今は其處置に苦むの趣なきに非ず即ち現在の議員五百六十名の中にて皇族僧侶七八名を除き他の三分の二は既往七八十年來新受爵の貴族なりと云ふ、其組織の下院に較べて不完全なる由縁なれども左りとて今日迄上院改革説の絶て行はれざりしは抑も亦その由縁なきに非ず盖し自由黨が國會の仕組を變更して政權の均一を謀らんとするに熱心なるは論を俟たざる所なれども徒に上院を改革して貴族の政權を剥がんとするに於ては既に下院中の保守黨に敵しながら又その上に上院の全體に反するの危險あるが故に唯自黨の領地たる下院を弄して時に其組織を改革するのみに止まり他人の畑には一切手を出さずとの覺悟にてありしならんか而して一方に貴族自身が改革の案を唱へ躬から求めて己れの特權を放棄するの謂もなければ上院はこれが爲めに今日まで改革の變に逢はざりしことなれども近來漸く世論の喧しきを催ほし上院の成分は腐敗して實用を爲さずとの攻撃盛なるよりしてソールズベリーが其機を察して今回の議案を上院に提出したるは全く時勢の變遷に外ならざる可し

ソールズベリーの上院改革案は五十名の一代貴族を作り從來の世襲貴族と與に上院に列座せしむるの考なれども斯く一時に多數の議員を加へたらば舊貴族の利害に關する少からざる可しとて一箇年に多くも五名以上の貴族を作らずして十年の後に五十名を滿員ならしむる方法なり而して毎年新受爵の貴族五名を甲乙の兩部に分ち甲部は二年以上高等裁判所の判事、陸海軍に在りては少將以上、カナダ其他海外各領地の太守を勤めたる者より取り乙部は右の外何人にても特別の功勞ある者を撰び女皇の特選を以て孰れも貴族に列したる上にて上院に出席せしむるの案なり又從前の世襲議員に對しては爵の高下を論ぜず其職務を悉す能はざる者あると認るときは上院全體の評議を以て其事由を陛下に奏し召集状を差止めて出席權を剥奪するの法と爲し一方には外より新規の分子を入れ一方には内の腐敗の成分を除て與に院の行動を有力ならしめんとの針路を取りたるはソールズベリーの政略中最も時勢の必要に應じたる手段なる可し然りと雖も爰に其改革に就て我輩の所見を陳れば現在英國の上院議員五百六十名の多數の中に年年僅か五名の新議員を交ふるが如きは固より緩慢の策にして縱へ一時に五十名の新入者を加へたればとて以て上院の空氣を全新ならしむるの實効を奏す可きや疑なきを得ず且つソールズベリーの改革案は我輩の議論の如く人爵と政權との區別を嚴にし彼の世襲貴族たるの故を以て併て立法の權を世世にするの弊を矯むるの段に於て未だ盡ざる所あるものなれば局外公平の眼を以て之を評するときは其案の果して英國政治界の時論を滿足せしむるに足る可きや否や容易に明言す可らざる所のものなり

右は英國に於ての談なれども飜て日本の國状を考ふるに既に紙上に述べたる如く今後國會の開設と與に上院組織の要用あるに當りては人爵と政權との別を明にす可きは勿論、縱へ英國の議院制度を美なりとして之に傚はんとする者あるにもせよ世襲貴族を以て上院の世襲議員と爲すの法は我輩に於て斷して其非を言ふ者なり尚ほ上院の組織に就ては更に鄙見なきにあらざれば他日を期し追て再論する所あるべし   (完)