「歸朝記事 福澤一太郎氏英文の翻譯」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歸朝記事 福澤一太郎氏英文の翻譯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歸朝記事 福澤一太郎氏英文の翻譯

某氏が米國より日本に〓りしとき客あり氏に面會し久々米國の〓留中何事を知り得たるやと尋ねけるに氏の答に左ればなり余は彼の國に〓留中樣々勉強して終に米國の事物は短日月の間に知る可からざるものなりとの事實を知り得たりと述べたるよし氏の言味ありと云う可し從前我國人が西洋諸國に渡航して聞くことを〓り報ずることを〓るもの多き其原因は本人が外國に在て紳士風を装ふ氣前と事物を〓大に吹聽する性質と此二者に在るが如し彼の國、中等以上の〓會に徃來浮沈し人の生活の易きを見聞して其難きを知らず乃ち之を大造に書立てゝ〓里に報じ某國の風俗は斯の如しなどゝと吹聽して却て其風俗は是れ全國の風俗ならで國中一部分の風俗なることを忘るゝが如きは都て間違の種子と云ふ可し例へば五年前余が家を辭して渡米せんとするとき一友人の言に米國にて寺院を參詣するには必ずフロツク コートを着用するとのことに付き旅装中の一具として之を携へたれども當時より今日に至るまで五年の間寺には毎度參詣したれども未だ一度もフロツク コートの必要に逢はず盖し米國の寺院は衆生を入れて拒まずフロツク コートの如きは耶蘇〓に無〓のものなり又目下在米の日本人某氏の言に氏が故郷を去るとシルク ハツト(禮帽)は米國に於て人々の威儀に缺く可からざるものなりとの忠告を受けたれども數年の間彼の〓突帽(禮帽の一名)を冠らずして全國を横行し曾て失策もなかりしとて今は却て前年の忠告を嘲けるものゝ如し〓に案ずるに此大共和政國に於て商賣の洪大なる原因はシルク ハツトに在あらず又フロツク コートに求む可からず其實を問へば圓帽(ボール ハツト)を戴きビジネス コート を着し風雨寒暑を恐れずして市街を奔走する其人々の〓儉活〓こそ立國の本源なれと斷じて可ならんか但し歐米にて所謂交際社會の仲間入は黄金多からざれば叶ひ難きことにして日本の留學生などが毎週宛行はるゝ何弗金の寒嚢を傾けても中々以て追付く可きことに非ず左れば此富國の富豪〓會にてはシルク ハツト、フロツク コートの如き風前の塵に畏らず之を用る者固より多しと雖も尚ほ此富豪に就て注意す可き要〓は彼等が此帽此服を着用しながら其〓〓は則ち日本の金持の如く空ならずして常に實する一事なり米國の富豪は一文錢を計ふる者にして金錢の事に就ては故さらに温顔を装ふて行儀風采を取繕ふが如き見榮坊にあらず假令へ禮帽を戴くも同帽を冠るも謂れなく一文錢を失ふ者は馬鹿の名を免がれず聞く所に據れば米人の所持する金の時計は多くは〓金にして純金のものは稀なりと云ふ然るに日本人が其外觀を眞似せんとして大金を〓ち純金の時計を買ふこそ笑止なれ唯是れ人事未熟と評す可きのみ(因に記す米國の〓金は甚だ巧にして能く永年に堪へ重さの一〓を除けば都て純金に異ならずと云ふ)米國は眞實正銘の金錢國なり生計に不足なき良家の子にして二十五錢の爲めに近隣の牧塲に草を刈る者あり戸外に遊戯する小供に五錢を與ふれば走て町使の用を達す可し、乗合馬車を下りて自宅まで風呂敷包を携ふるを面倒なりと思ふとき路傍の小供の誰れ彼れに論なく之を十錢にて如何と問へば子供等は應と返詞も出來ぬほどに〓び先を爭ふて來る可し故に定まりたる市中配達に者を託するよりも此種の子供を雇う方、便利なることあり市中配達は物の大小に拘らず一品の配達料二十五錢の定めなればなり盖し金儲の一事は恰も國人先天の遺傳に由り小兒の時より腦裡に存在するものならん「是れは割に合はず」「夫れは手間潰しなり」と云ふ二句の語は金を儲け光陰を重んずる意味にして米國の人心國體を表するものなり左れば余は此米國に在ること全五年にして之を思ふ〓も自から日本の次に位するものなれば熟ら熟ら其事〓を〓察するに當國の大開明はシヤンパン瓶の栓を飛ばすが如き〓聲より生じたるには非ずして實して堅固なる正金の上に土臺を据えたるものゝ如し固より今日の有樣にて米國の文明開化は疵なきにあらずと雖も此を以て西洋全體の開明を推測するは大なる〓なる可ければ余は他の開明國を〓て其事〓を米國と比較するまでは此疵の〓に付き暫く言ふことなかる可し、以上は余が〓察斷定にして之を記したりと雖も決して之を中れりとして主張するものにあらず余も亦從前の〓察者の如く〓なきを期す可からず否な必ず〓りたらんと雖も其記載中の中れるものを取て中らざるものは之を捨てゝ可なり斯く爰に一言して余は紐育府より英國へ渡る爲め太西洋定期航海白星會〓の汽船ブリタニツク號に乗込みたり(以下次號)