「政事を以て私に殉する勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政事を以て私に殉する勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

石川幹明草

一國公共の事に奔走して心身を勞する者これを稱して政事家と云ふ是種の人物中には眞實、公の爲めに一身の私を忘れ時としては〓を破り身を危うして顧みざるものもあり即ち政事の爲めに身を役する者にして之に政事家の名稱を付し我輩の異議なき所なれども世間多數の政事家中には政事の爲めに身を投ずる其代に却て政事を以て一身の爲めにする者なきに非ず是輩は元來一國公共の事を假りて一身名利の私に殉ずる者にして之を稱して〓政事家と云ふも可なり古今東西の事例を案ずるに政事家の爲めに其國を利したるの例これなきにあらずと雖も〓々たる浮世には不幸にして政事家の假面を蒙る者も亦甚だ少なからずして國の政事は常に是等の人物に私せらるゝの觀なきにあらず盖し人生名利を好むの念は〓慾中の最も盛なるものにして之が爲めには身を忘るゝ者もある世の〓ひもなれば彼の政事家なる者が國事を以て名利の犠牲に供するも今の人〓世界に免るべからざる弊害にはあれ國事は一人の私計にあらず人民は政事家の玩弄物ならず世の經世家たる者は能く〓に注意して其弊害を防ぎ天下の公コを奬勵すること亦肝要なる可し〓頃世の一問題となりたる米國の國會にて支那人移住禁止絛例を議決したる事の始末を聞くに米人の不法、驚くに堪へたりと云ふべし何故に米國の國會兩院が兩國の國交上に關する大事件を斯くも輕忽に議了したるかと云ふに本年大統領撰擧の爭に合衆共和の兩政黨が支那人を嫌悪する勞働〓會の好意を買ひ其力を借りて勝を制せんとの下心に出でたるものなりと云ふ事の詳細は頃日の時事新報に〓載して讀者の知る所ならん即ち米國の國會議員は國交上の問題を政黨競爭の用に殉したる一例として見るべし佛國が千八百七十年獨逸の爲めに敗られ城下の盟をなしたるは千古の醜辱にして國人の共に憤ふる所なれども爾來十數年今日に至るまで未だ其耻を耻ぐに暇あらざるは何故なりや種々の事〓もあることならんなれども我輩を以て之を見れば佛の政事家が互に相和せず一身自黨の區々たる名利を目的として内に爭ふが爲めなりと云はざるを得ず盖し佛國一般の人心に於ては復讐の念、寸時も懐に忘るゝことなしと雖も如何せん政事家なる者は内の〓〓に忙はしく僅々數年の其間に十數回の内閣更迭〓〓したる程の次第なれば外に對して報復を謀るの暇〓るべからず元來人民が政府を維持して負擔の重きを〓〓せざるは政府をして人民個々の希望する目的を達〓〓〓〓が爲めなるに今の佛國人民の如きは却て政府の爲めに其希望を妨げらるゝものなり迷惑至極と云ふべきのみ又彼のチヤーレヂルク氏の〓罪事件の如きも元來僞似曖昧の事柄にして尋常の人事を以て云へば何も齒牙に掛るに足らざる程の事なれども政事〓會の熱〓は己を揚げんが爲めには他を傷けて顧みず可惜一名士を僞似の罪名中に埋没したるこそ氣の毒なれ政事〓會の弊害も此に至りて極れりと云ふべし但し其境界中に浮沈するものゝ身にては之も自業自得ならめとて自ら觀念することもあらんなれども詰る處その弊害の餘波を被りて迷惑する者は人民にして不平なきを得ざるなり扨我國にて曩に市町村制の發布あり來る明治廿二年四月より實行する都合にて昨今各府縣にては正にその準備に忙はしく從來の數個村を合して獨立の一村となし又は人口の數その資格に不足する塲處に市制を布んとして傍〓の諸村を合併するなど其用意頻りなりと聞く抑も市町村の制度上に於て村が町になり町が市になりたればとて其人民に如何なる利害あるべきや我輩の知らざる所なり例へば今強て數個の町村を合併し市の仲間入したる處にて其舊時の町村に異なる所は何事なりや唯町村には之なき所の市參事會なる者が出來、市長〓に參事會員などいふ政事上の地位を占むる餘計の者を生じ實際の利害は舊に異ならずして却て其負擔の重きを見ることならん夫も元來市たるべき資格を備ふる土地なれば兎も角もなれども〓かに傍近の諸村を合併して漸く市たる資格を備へたる處にて實際の効能は唯政事上の地位を有數の人に與へ之が爲めに自ら負擔を重くするに過ぎずその合併せられたる町名の人々こそ迷惑の至りと云ふべけれ我輩は自治制度の施行を見て之を喜ぶ喜ぶものなれども其實行の實に至りては或は之を名として政事上の地位を作るの爲にするが如き弊なからん事を希望するものなり