「宗教不問(前號の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「宗教不問(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

宗教の世道人事に關係あること一にして足らずと雖も其最も大なるものは死生幽明の境を司る葬祭の一事なり而して佛教には千餘年來既に夫れ夫れ寺院もあり墓地もありて各檀家中祭祀の事は寺院に托し又其遺骸は所屬の墓地に納められて至極便利なりしことなれども偖爰に困難なるは耶蘇教信徒の葬祭にして佛教の寺院に依頼せんか拒まるるは必然にして之が爲めには近來各地方に苦情を生じたることも多しと云ふ元來我輩は獨り佛教に私するにあらずと雖ども佛教寺院が外教信徒の埋葬を拒むの一事は正當の理由ありと認めざるを得ず同じ佛教の中に在ても甲乙各各門派を異にすれば異門者の埋葬を悦ばざるの習慣なるに况んや耶蘇教徒の埋葬に於てをや之を肯ぜざるも决して無理に非ず試に地を換て耶蘇教の禮拜堂に佛教信者の遺骸を持往き讀經供養して其冥福を吊ひたる後これを耶蘇教徒所屬の墓地に葬むらんとしたらば耶蘇教徒は果して快く承諾すべきや日本の佛教信徒が西洋に在て斯る事を耶蘇教の寺院に托したらば斷然拒絶せらるるは明白なると與に共に日本に於て佛教寺院が耶蘇教徒の埋葬を屑とせざるの理も亦併て判然たるべし

社會百般の事は時代の先後を以て輕重を成し所謂新參古參の別より人事に優劣を生ずるは免れざるの數なれば佛教も千餘年前に傳はりたる一種の特色に依頼して教法に其力を添へ今は全國到る處に寺院あらざるなし其信徒の往生するや寺院に遺骸を托して安心を求め生生死死の境に悠悠たり即ち佛教一種の特典なれども之に反して耶蘇教の公然と日本社會に傳はりたるは僅僅十數年來に過ぎず其時代甚だ淺ければ未だ該宗限りの寺院あるにあらず即ち此優劣は時代の相違に依る者にして耶蘇教信徒の不便は其咎を時代に歸する外ある可らず然るに佛教信徒の寺院が耶蘇教信徒の埋葬を拒むは不正なりとして立法者が之に干渉し一朝にして佛教寺院千餘年來の特効を奪はんとすることもあらば我輩は經世の爲めに之を取らざるなり日常諸般の人事に至りては耶蘇信徒なりとて其權利に輕重ある可らざるは無論なりと雖も唯宗教の異同に由來する宗教上の便不便は經世家の一切問ふ可き限りに非ず之を社會の習慣に一任するの外あらざれば耶蘇教に前條の不便あるも全く時代先後の結果なりとして諦らむる外なき者ならん或人の説に日本人が宗教に淡泊にして冥界死後の事を顧みさるは耶蘇教國民の總て甚だ驚く所にして縱へ野蠻の國なりとも必ず宗教はある者なるに日本人の獨り格外なるは不思議なりとて頻に其解釋に苦めども日本の社會には寺院と墓地と古來より一種密接の關係ありて死者の追善供養の道は其菩提所たる本寺に任せて安全なるは西洋に其例なしと稱して可ならん西洋に於ては禮拜堂の設ありと雖も各日曜其他耶蘇祭祀の當日に信徒相會して敬神の誠を表するの外復た他に家人の忌日命日を吊はんとて日本の如く其禮を盡すに非ず即ち西洋の寺參りはゴツドに敬禮を致す爲めの方便なれども日本の寺參りは之に反し一族亡者の利生を圖りて菩提所に詣づる者なれば日本の佛教に墓地と寺院との關係あるは西洋の教法にゴツドと禮拜堂と相離れざるに異ならず佛教の爲めに〓れば寺院は各檀家の菩提所たる資格を備ふるこそ大切なれ若しも異宗門たる耶蘇教徒の遺骸を其寺内に葬むることあるに於ては前條の資格は忽ち破れざるを得ず教法上由由しき大事なれば佛教寺院の墓地には他宗信者の遺體を交へしめずして其區別を正ふすること嚴護法城の大義に於て然らざるを得ざるの理なりと其所論の細目は兎も角も大要日本佛教の墓地は宗派に直接の關係ありて之に他宗信徒の合葬を許す時は教義の本體を傷くべしと云ふの旨趣は我輩の異議なき所なり古來の事迹に就て見るに全國の墓地は一として佛門の所屬たらざるなく八宗の門派區區に別れて寺院の數に限りなけれども寺院あれば必ず附屬の墓地あり或は直に之に屬せざるも習慣に於て其寺院と其墓地との間の密着の關係を生じて其秩序を亂さず以て宗教信心の維持を助けたるものの如し今この秩序を度外視して人事を害したる一例を示さんに徳川の時代に或る地方にて儒教の流行非常にして遂に冠婚葬祭の禮をも殺風景なる儒道の筆法に模寫し甚しきは儒者が自ら棺槨衣衾を司りて僧侶の職を奪ひ之を儒葬式と唱へて佛教を排撃するの一手段となしたる者ありしが隨て其結果を尋ぬれば佛教寺院の外に獨立の墓地を生じ死者の遺骸は歛むるに處あれども其〓を祭るに寺院なくして物換り星移るの間に葬祭の式紊れたるのみならず其墓地は荒頽零落に歸し人の復た吊ふ者なくして永く其始末に苦むは儒教主義の墓地比比皆然らざるはなし寺院と墓地との間は其關係の密接して人事世教に影響するの大なること斯の如し然るに今日耶蘇教を公認するの擧と與に耶蘇教信徒の從前最も苦情を訴へたる埋葬の制限を破り異宗混同の墓地を作ることもあらんには佛教の大本は動搖せざらんと欲するも得べからず故に我輩は宗教不問の大義を賛成すると與に佛教墓地の制を保護し其秩序を失はしめざるを以て經世に大切なりと信ずる者なり           (完)