「サイベリヤ鐵道は一種の運河鐵道なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「サイベリヤ鐵道は一種の運河鐵道なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

サイベリヤ鐵道は一種の運河鐵道なり

先頃の時事新報紙上に歐人將に日本に向て行遊列車を發せんとすと題してサイベリヤ鐵道落成の後は巴里の子女にして日本國に來り遊ぶ者も多かるべしとの次第を載せたれども疑はしきは工事竣成の如何にして一方の説に露京より浦鹽斯徳までは距離凡そ七千餘哩、既にこの一點に於て困難少からざるに加ふるに財政不如意の露國なれば鐵道の計畫は到底畫餅に歸するならんと云へり此説たる一應其理由なきに非ず特にサイベリヤは茫茫たる無人迹の荒野なれば七千餘哩の線路を敷くには單に左右の兩端より順を追て進むの外に手段あらざる可し尋常の工事ならば七千哩を數十の區劃に分ち毎區一齊に其工を始むること容易ならんと雖もサイベリヤの鐵道に此法を用ふるを得ざるは起業第一の困難なり隨て其工事覺束なしとの説は較世人の信ずる所なれども然れども熟熟其地理状勢を推察し又露國政府が起工の順序を尋ぬるに鐵道の計畫决して漫然たる漫畫ならず單に露京浦鹽斯徳間の距離を七千餘哩と計算して一直線に軌條を列らね一聲の汽笛に行客を送迎するの企と思へばこそ工事も困難なるが如くなれども實際はサイベリヤの中央を貫流せる數條の河流を利し尚ほ足らざる所には運河を開き河流運河の二つにして其用の未だ全からざる地方を限り一線の鐵道敷て列車を通ぜしむる仕組なれば七千哩中、軌條を要する部分とては僅僅に過ぎず即ち工事の順序は專ら河川の脈に沿ひたる者にしてバイカル湖シータ府間、カンカ湖浦鹽斯徳港間の兩所に取敢へず數百哩の鐵道を敷けば他は水運の便に依て往來自在なるを得べしと云ふ

中央亞細亞の地圖を閲したる人はウラル山の東に於てサイベリヤを横貫する河流にオビ、エニセイ、黒龍江(アムールと云ふ)の三大川あるを知るべしオビはアルタイ山の源流を受けオビ灣に入り北氷洋に合する二千餘哩の長川なれば支流も亦少からず就中トボール河はウラル山の南麓に起り五百哩の流を追ひトボルスク府に於てイルチシ河に合すイルチシはアルタイ山より發する大河にして一千九百哩の長流を下りトボルスク府に於てトボール河を合せ更に流るること一百八十哩にしてオビ川に入る者なり而して露京より來る所の鐵道線は既にエカテリンブルグ府迄開通して將にチーメン府に達せんとする勢なるに幸ひチーメン府はトボールの河岸にあれば此より轉じて水路に移りイルチシ河を下りてイルチシ、オビ兩水合流の處より更に航路を變じオビ川を溯る時は中央サイベリヤの大都會たるトムスク府に到るを得べしトムスク府の北西一百里にしてチユーリムと稱するオビ川の支流あり之に溯る若干にして航路全く絶ゆるが故に此所より東に向ひエニセイ川の間に運河を開鑿せんとするの議は露國政府に於て既に之を可决したるよし其里數は詳ならざれ共エニセイ川と相距る遠くして尚ほ七八百哩を超えざるならんと云へり斯てチユーリム河よりエニセイ川に通ずる運河落成する時はエニセイを下りて轉じてツングスカ河に入るを得べしエニセイは支那領蒙古に源を發し海口まで延長二千五百餘哩の長流にしてツングスカは其支流なりツングスカを溯ればアンガラ河と爲りアンガラ河を登り詰むれば有名なるバイカルに達すバイカルは亞細亞第一の大湖にして延長三百九十七哩その幅平均四十五哩を占め殆んどサイベリヤの中心に位すれども海面を拔く僅僅一千三百尺其地勢の卑くして平坦なる想ふべきなり又バイカル湖の東三百哩にしてシータと稱する一府あり東サイベリヤの中央貿易市塲にして露京より浦鹽斯徳に通ずるには此地を以て要衝とすることなればバイカル湖畔より同府まで凡そ三百哩の鐵道を布設すればシータ府以東は水運の便に依て浦鹽斯徳に達すること難からず其水理はインゴンダ河に沿ひ下てネルチンスク府に達しネルチンスク府より更にシルカ河に航路を轉じ下ること數百哩にして黒龍江に通するが故に直射千里の流に乘じて黒龍江とウスリー河と合湊の處に到り轉じてウスリーを溯ればカンカ湖に入ること容易なりインゴンダ、シルカ若くはウスリーの諸河は都て黒龍江の支流なればシータ府以南カンカ湖に入る間は航路頗る自由なれども浦鹽斯徳よりウスリーの河岸までは水路不便にして運河の見込に乏しければ其間に二三百哩の鐵道を布設せざる可らず即ち浦鹽斯徳とハンカ湖、バイカル湖とシータ府との間に孰れも三百哩内外の鐵道を布き又エニセイ川とオビ河との間に七八百哩の運河を穿つ時は露京より浦鹽斯徳まで汽船鐵道を互に利して來往を通ずること至て無造作なるが故に露國政府の設計は先づこれに出でたりと云へり人跡の絶したる原頭に七千餘哩の一直線を描て片端より土工に着手し落成を期年に求めんとする事業は到底覺束なしとしたる論者も他年一日謂ゆるサイベリヤ鐵道の全通に會して却て案外の變に驚くことある可し何となれば名は鐵道と稱すと雖も實は天然の河流を利して汽船の來往を開く傍ら間間水利の通せざる所あるを以てこれに鐵道を布て水陸の運輸を全うせんとする者即ちサイベリヤ鐵道の本色なればなり