「教育過度」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「教育過度」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育の事は我輩の多年論説し來りたる所にして其大切なるは今更申すまでもなく第一に人に工風を授くるの効能あり卑近にこれを例すれば僅に物理學の初歩に入りて物體運動の法則を學び得たるのみにても大工左官は云ふも更なり土方人力車夫までも由て以て種種の工風を運らし夫れ夫れの利便を收めて生活の道に利用するを得べし皆是れ教育の賜にして其功徳は至大至廣涯りある可らずと雖も當局者が唯一概に教育の大切なる部分のみを見て更に其他を顧みるの遑なしと云ふに至ては之を熱心の餘弊として我輩の深く忌む所なり元來日本は無學國にあらず現時より遡りて千有餘年間を平均するときは學術は常に昌盛に傾きたりと申すも差支なき程なれば此上猶も押立て頻に奬勵するまでもなく自然の成行に一任しても學問の趨勢は殆んど留めて駐む可らざるの有樣なるが故に啻に教育の一方に重きを置くが如きは最早や全く不用なるのみか其教育の度に過ぐるに至ては國の經濟に照して誠に容易ならざる事なり思ふに我國にて教育の爲めに消費する所は中中巨額のものにして文部省を始め各府縣の教育費を通計するときは凡そ一千二百萬圓を下らざるべし然り而して世に日本の國脈を維ぐと聞えたる生絲の外國輸出高を見れば二千五百萬圓内外にして則ち其半額は教育費の總額に相當するものなり社會の事務いよいよ多端にして費用の催促ますます頻繁なる今の世の中に教育の爲めに一千餘萬圓を費やすとは日本の世帶に取りては不相應の限りにして酷評すれば教育の目的を棄てて其末に走るものと云ふも可なり右は經濟上の談なれども亦顧みて學生の身體上より我國教育の程度を察すれば今日の如く種種の科目を設け一概に其勉強を促すのみにては到底堪へ得べき所に非ずして假令へ諸種の體操を奬勵して其健康を助くると云ふにもせよ身體に間斷なくして却て目的を達し得ざること喩へば健胃藥を服用しつつ暴飮暴食するものの如く消化を助くるの藥劑は偶偶以て胃腑を害するに足るべきのみ然るに教育の熱は漸次に其度を高むるのみにして未だ容易に冷却するの景色なきは國の爲めに洵に安からぬことと申すべし此に掲げたるは米國ニユーヨーク府にて刊行したるライフ雜誌中の漫畫にして機械の名を公立學校(Public school)と云ひ左の方より此機械の中に入らんとて續續階子を登り來る數多の兒童は即ち生徒となる者にして右の方にて機械の柄を把るは教師なり教師の〓に〓〓しく〓へたるは〓〓官若く〓〓〓〓〓の〓〓るべし

斯て兒童〓機械の中に入らんとす〓〓は何れも〓〓して〓〓〓しく〓〓〓〓〓〓を〓〓〓〓等の〓〓と共に〓〓〓〓〓〓〓りて下に〓す如く五十〓〓〓〓〓次第次第に押遣る其間には顏色痩せ衰へて半死半生の體となるもあれば眼鏡をかけて邊りを見廻はしながら僅に匍匐するもあり追追進みて全■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)(Perfection mark)に至るときはここに絶命するの順序なるを知るべし是は一幅の漫畫に過ぎざれども之によりて推察するときは彼國にても夙に教育の過度なるが爲め其弊害容易ならざるより識者は之を矯めんとして屡屡論説を試みしかども何分にも其効驗を奏し難ければ言盡き意盡きざるよりして止むを得す斯る漫畫の趣向に出でしものならん之を以て我國の實際に照合するときは葢し思半ばに過ぐるものあるべし左れば教育は前陳の如く極めて大切なるに相違なけれども其度に過ぐるの弊は殆んど云ふ可らざるものあるが故に教育の局面に當る人人は經濟上に身體上に心を用ゐて其宜しきに從ふべきは勿論世の父兄も亦能く此邊に注意して其子弟の後年を誤らざる樣深く猛省あらんこと我輩の祈る所なり