「公立中學校の廢止」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「公立中學校の廢止」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公立中學校の廢止

去る十九日時事新報の電報に記したる如く愛知縣會は本月十八日最多數にて縣立中學校(或は云ふ中學女子部と)を廢止するに議决したり其理由とする所は中學の如きは地方税を以て支辨すること無用にして私立學校に托して可なりと云ふに在るものの如し抑も同縣會が斯の如き議决を爲したる事實及び其事情の詳細は一報の電文にて分明ならざれども其文中に地方税を以て支辨すること無用なりとある其無用の二字に就て我輩が假に解釋を下だし凡そ中學の如き普通よりも更に高尚なる教育は廣く縣下一般の子弟に適するものに非ず唯有産有志の父兄が國の爲めと云ふよりは寧ろ其一身一家の私を謀り子弟をして高尚の學に就かしむるが爲めに中學の要用も起ることなれば其經費は固より縣内公衆の分擔す可き限りにあらずして有志者の寄附を仰ぐか、然らざれば入學の子弟に授業料を課して以て之を支辨すること至當の數なり且學問の流行既に今日の如く盛なる時に當ては高尚なる學問の教育に公共の金を費すは啻に國家經濟の點に於て不得策たるのみならず假令へ其精神をして學問奬勵の一偏に在らしむるも實際の影響は私立學校の教育を妨碍するの嫌なき能はざれば宜しく之を人民自家の利害に放任す可し云云の意味にして遂に議塲の决に至りしことならんには取りも直さず我輩が嘗て時事新報紙上に掲げたる論旨と其趣を一にするものにして果して然らは我輩は今回の愛知縣會の議决を賛成するのみならず我紙上論の實際に行はれたるを悦ぶものなり

統計年鑑明治十九年十二月三十一日の調査に據れば府縣公私立尋常中學校の數は五十六校にして内府縣立に係るは四十八校、町村立に係るは六校、私立に係るは二校なり又其經費總計は殆んど四十萬圓にして内區町村費より支辨するもの二萬八千四百餘圓、地方税よりするもの二十八萬千八百餘圓なり葢し中學の數五十六校の内私立に係るものは僅に二校にして甚だ寥寥たるが如くなれども各府縣中未だ中學の名を稱へざるも其學課は中學と程度を均する私立學校のあるのみならず尚ほ一層高尚なる學課を設るものさへ乏しからざれば今日にして公立中學を全廢するも公を廢するは私を興すの機會にして恰も私立中學の設立を促すものなれば生徒の就學に差支なきは我輩の竊に保證する所なり又今の中學の經費は總計四十萬圓にして之を各府縣に分つときは左までの巨額にもあらず其支辨法に至り實際に區町村費及び地方税より出るものは僅に三十萬圓の數にして憂るに足らずとの説もあらんなれども近年地方費の全面を見れば學校費を外にしても人民の負擔は漸次に増加し殆んど其極に達したる折柄なれば三十萬の金額多からずとするも苟も無用に屬するの説を得たらば斷然之を省略して猶豫する所ある可らざるなり

天下無數の貧寒子弟を集め之に教ふるに高尚なる學問を以てして其成業を待ち果して如何なる人物を得べきや大數を平均すれば知字は身を懶怠にして心に憂患を〓〓し貧家の少年が虚文を讀み空理を談じて身躬から其身の〓末に窮するは既に今日の事實に徴して掩ふ可らず、小は祖先以來の家業を賤しとして一家の生計を忘れ、大は〓と世事に走せて滿腔の不平を洩らすに處なく、腦の働、正に盛にして未だ胃の腑の養を得ず生力頴敏なるが如くなれども其實は一種の貧血患者たる可きのみ其行く末は如何なる可きや本人の不幸、社會の迷惑この上もある可らず彼の魯西亞の虚無黨日耳曼の社會黨の如きも畢竟貧子弟に教るに高尚なる學問を以てしたるの結果にして教育の弊も此に至て恐る可きものと云ふ可し故に我日本に於ても最下等普通の教育を除き苟も其以上は悉皆これを私立の學校に托し錢を以て教育を買ふの組織にして相當の資産あるもののみをして高等の學に就かしむるの門を開き公立官立の中學も大學も都て廢止せんこと我輩の持論として目下の經濟の爲め又永遠の安寧の爲めに祈る所なり今回幸に愛知縣會が中學を廢したるを聞き其議决を賛成するの筆餘敢て一言を呈して當局者の參考に供するのみ