「心の保養」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「心の保養」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

心の保養

福澤一太郎 立案

一室に長く正坐すれば足に痺を生ずるのみならず假令へ平臥箕踞するも朝より夕に至るま

で戸外に出てざるは難澁なり左れば一日十里の遠足、隨分疲るゝならんと雖ども其疲勞の

難澁は一日閉居の難澁に伯仲するものと云て可なり盖し人の筋肉は本來靜止と運動との變

化を要し又その靜止運動の方法に就ても變化なかる可らず此變化を名けて身體の保養と云

顔の筋肉も亦同樣の變化を要するものにして時に或は目を瞋らし口を尖らして爭論喧嘩す

るも保養なれば或は回也愚なるが如く默して動かざるも亦保養なり義太夫に泣き落語に笑

ひ花を觀て樂しみ芝居を見物して喜ぶも皆是れ時に取ての保養ならざるはなし但し此顔の

筋肉の塲合に於ては獨り筋肉のみ保養するに非ずして心も亦保養を與にするが故に其大切

なるは手足運動の比に非ざることゝ知る可し左れば人生の要は能く靜止し能く運動し能く

笑ひ能く泣き能く喜び能く怒り能く哀しみ能く樂しましむるに在り終身樂しまさる者は愚

なり哀しまざる者は無情なり而して彼の怒ることを知らざるが如きは己れの位(ジダニチ

ー)を忘れたる者と云ふ可きのみ

右は身體と心との間に在る保養の法なれども尚ほ此外に純然たる心の保養なるものあり抑

も人の心は無爲に安んずるを得ずして常に能く運動し、人間世界の苦樂を共にして之に干

渉するの性質あるが如し而して其運動や至極面倒なるが如く亦至極面白きが如く人々の天

賦又習慣に從ひ如何樣にも解釋を下たす可きものにして若しも之を面倒なりと思へば唯世

の中の苦樂を餘處に見て無頓着なる可けれども之に反して人事を面白しとして之を樂しむ

の境界に至るときは他人の觀て苦なりと思ふ事柄も本人の爲めには樂事と爲り次第次第に

深入りして返るを忘れ遂には人事の一局部に心身を奪はれて自から奴隷と爲るもの多し例

へば政治家が宿昔青雲の大望に思を焦し身を盡して果ては失望に終るが如き是れなり左れ

ば人事を面倒なりとして無頓着に附するも心の病氣なれば之に熱して焦思盡身するも亦病

氣なるが故に何れにしても保養の工風なきを得ず頃日余が交詢社の隨意談會に出席したる

とき某先生の話に

 〓〓〓智識が風船に乘て天外に登り遙に此下界〓〓〓〓は如何なる〓〓〓る可きや圓き

天地運轉の〓〓〓〓〓〓機械〓〓〓〓〓〓可き類に非ず其〓の〓〓〓〓〓〓〓の〓〓〓〓

〓〓の帶と見ゆるならん又〓〓〓〓〓〓に在〓〓帶は常に緑ならずして或は灰色を呈する

ことならん、夫れより球の兩軸に近き寒帶は氷のみにして銀器の運轉するが如くなる可し

是れは肉眼の見る所なれども又船中兼て用意の望遠鏡と聽遠器を取出し篤と下々の樣子を

〓(なが・目+永)めて其物音を聽けば何か惷爾として動く物の中に人間と申す動物あり

此動物は至極姦しく又喧しき種族にして同類相互に勝つことを好み、物を授受しては多き

を貪り、約束しては信を守らず、或は商賣の悶着或は宗旨の正邪或は政黨の主義など云ふ

喧嘩口論の絶間なき其混雜の樣に風船中の人は且つ悲しみ且つ驚きて果ては思はず失笑す

ることならん古人の句に云ふ何ぞ異らん諸天、下界を見れば一微塵裏雌雄を爭ふとは正し

く此有樣にして左れば今日の實際に何處の政談演説と云ひ何士人の政論と云ふも竊に其塲

所に行き指の端を甞めて障子の紙に穴を明け内の樣子を窺ふて先生達が額に青筋を出し口

に泡沫を吹て辨論問答するを見たらば是亦失笑の外なかる可し云々

右一席の談話は專ら政談論者の心の病を説きたるものゝ如くなれども世人の病は獨り政談

のみに止まらず學者も僧侶も文人も武人も滔々たる天下我れ人共に病人のみにして銘々の

重んずる所に偏し曾て變化することなくして益々重き容體に陥ることは誠に氣の毒なる次

第ならずや依て今こゝに其病み疲れたる心の保養法如何を案するに余が見る所にては病心

に轉地療法を勸めて旅行せしむるの一法あるのみ政談論者も終年政事のみを談する勿れ、

商人も常に錢のみを語る勿れ、政談の心は時に保養の爲めに商賣の區域に旅行し、錢を求

るの心は暫く詩歌の邊に遊歩するが如き隨分一興にして快樂少なからず又或は前に記した

る某先生の談の如く心を人事の外に放て非常なる旅行を企て大は虚空(スペース)の果て

より小は原子(アトム)の間に至るまで縱橫無盡に徃來して理論と想像と暗合する邊を考

ふるが如きは一入の保養なる可し火雲(チビュラ)の古を想ひ、珊瑚の組織を察し、櫻花

爛漫を觀て君が世の盛なるを祝するも保養なれば江山流水を〓(なが・目+永)めて人生

の無常を感ずるも亦保養なり世人既に病身なるが爲めにとて身を温泉塲などへ運搬して保

養する者あり然らば即ち何故に病心なる者共が其心を粗略にして之を一室即ち一事の中に

幽閉するや保養を怠る者と云ふ可し盖し理學哲學詩歌文學等の用は此邊に在て存するもの

なり宇宙廣し何ぞ必ずしも此小地球の小國小政談に熱して心を傷ふに足らんや何ぞ必ずし

も畢生錢を算へて徃生の用意するに及ばんや時々は心を政外錢外に旅行せしめて轉地の保

養然る可きなり但し人生の保養は保養なり義務は義務なり粗暴哲學(ワイルド フヰロソ

フヰー)の論を以て人間世界の義務を蔑視するが如きは余が服せざる所にして此義務と保

養との間に無限の變通あらんことこそ願はしけれ