「繁文省略」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「繁文省略」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

繁文省略

近來は繁文省略の政行はれて或は御の字を省き或は副本を廢し人民の請願に口頭を許し諸

件の伺に往復端書を妨なしと爲し就中下馬下乘の制限に至りては諸官省廳ともに之を廢止

して其出入を自由にしたる等孰れも些少の事に似たれども官民雙方の手數を省いて其便利

を増したるもの少しと云ふ可らず尚ほ右の外にも實際に就て省略の方法を考へたらば樣々

の工風あるは勿論にして時に局外の觀者をして且つ其事の繁雜冗務なるを疑はしむる次第

なきに非ず試に我輩の思附きたる一二の箇條を掲げんに

例へば國道縣道の距離を測量して其里程標を樹るの塲合に何間何尺(時としては何寸)と

迄仔細に寸尺を記すは甚だ精密なるが如くなれども道の凹凸の相違に依り若くは屈折の如

何に應じて僅の距離に忽ち何間何尺の差を生ず可きは無論、延て之を百千里の遠に及すと

きは益々精確を失ふて實數を知る可らず假令へ之を知ればとて人事に差したる利益もなか

る可きに然るに各地道路の標程を見れば一里若くは數里毎に何々縣廳を去る何里何町何間

何尺また郡役所を去る同く云々と微細の測量は實に驚くに堪へたり此何間何尺は如何なる

測量に由て得たるものか經緯の實測に出でたる直徑にもあらず道路の中心線を精密に定め

厘毫も左右に偏することなくして其線の長さを測りたるものにもあらざる可し鐵道線路の

距離の如きは軌條の長短を精測して微細の里程を知ること極めて容易なれども多くは一チ

エーンを以て最低單位と爲し幾哩幾チエーン若くは一チエーンの何分の一とのみ記して何

尺に渉らず然るに茫漠たる道路の里標に仔細に其間尺を測りて誤なきを期せんとするは最

も我輩の解せざる所にしてこれが爲めに今日まで幾何の手間を費したることならん人事に

益なき勞と云ふ可し故に道路の距離の如きは其單位を町以上にするか若くは何十間に止め

て間尺の微細に及ばざるも事に妨なくして亦以て地方雜務の一部分を省略するに足る可し

次は収支豫算の事にして中央政府地方廳若くは郡役所戸長役塲に論なく凡そ事務の官邊に

屬する者は尋常私家の帳簿に較べて其豫算は實に微密を悉すが如し例へば政府が尋常歳入

の項目を擧ぐるに當りても煙草税よりは何百何十何萬圓以下何十何錢厘の収入あり其他酒

造税は此の如し醤油税は云々なり或は作業益金も同く何錢厘にして貸附金は如何又臨時収

入は如何とまでに計算の緻密なるは精確を示すが爲めに必要ならんなれども百項盡く錢厘

の位を存して収入决算と符節を合はしたる手際を占めんとするは實際の許す所に非ざる可

し支出の豫算に至りても亦然り何省何局一ケ年の定額より府縣警察勸業學務の細項節目或

は又郡役所戸長役塲の筆紙墨料、薪炭雜費に至るまで微密に其算を立てんとすれば錢厘の

細に渉るは已むを得ざる所ならんなれども元來豫算は唯その數の大略を見積りたる者なれ

ば决算に符合して厘毫も違ふことなからんとするも人事の許す所にあらず却て其數の異な

るこそ當然なれば豫め之を何萬何千の全數に止むるか或は然らざるも下て圓位を最低單數

と爲して穩當なる可し今の如く錢厘の小數を豫算するは之を評して無益の繁文と云はざる

を得ず英米諸國の歳計収支豫算には多く全數を用ひて微細に渉るものと雖も磅或は弗を最

低單位にするの常にして日本の如く悉く錢厘を存するの計算は我輩の未だ見ざる所なり

决算表は之に反し實地に収支したる金額を有の儘に登配すべき者なれば錢厘毛絲細々ます

ます差支なきが如くなれども一方の弊を擧ぐれば僅に三四厘の數の合はざるが爲めに非常

の手間を費して尚ほいよいよ符節を合はすに至らざる時は其違算の原を質して之を其筋の

上官に申達し指令を待つなどの慣例なれば出納の事に與る者は小心翼々として帳簿面の整

理を圖るに熱心し例へば三厘五厘にても過不足あるは不都合なりとて却て數錢を抛り銀行

爲替にして遙々他の地方に送るなども珍しからずと云ふ東京府下の或る會社にて地方の役

所より一厘の支拂切手を振込まれたるの奇談は我輩の曾て傳聞したる事實にして固より極

端の奇なりと雖ども今の官邊の往復文書の中には唯單に受取證の所用あるが爲めに二錢に

て濟む可き尋常の書簡に六錢の書留料を拂ひ、一音信十五錢限りにては電信局より證を發

せざるが故に餘分に三錢を投じて發送の證左を求むるが如きは珍しからずとぞ若しも其人

の徳義に訴へて疚しき所あらずとすれば支拂報告に一々受取證を附帶せしむるの必要なく

して隨て無用の手間と費用とを省くに足る可しと我輩の竊に堪へ難く思ふ所なり

右は我輩が偶然思附きたるまゝに一二の事實を記したるものなれども官邊の實際に立入り

たらば尚ほ樣々の例證ある可し要するに精密を望んで却て繁雜に流るゝものなれば更に便

宜の法を設けて其手數を減ずるの工風はなきや局に當る人にして銘々虚心に考へたらば必

ず良き分別あるべし我輩の聞かんと欲する所なり