「リヴァプールの歳暮」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「リヴァプールの歳暮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

リヴァプールの歳暮

 左の一篇は英國リヴァプール府に在る高橋義雄氏が同府の歳暮に際し所見を記して福澤

先生に贈りたる書面なり書中英國貧富の懸隔甚しきも富人が隨時貧人の心を慰して貧富の

關係を圓滑ならしむるの状を敍するなど世人の參考に供す可きものあれば茲に掲げて讀者

の瀏覽に供す 時事新報記者

 暮れ殘りたる歳の尾も最早兩三寸と相成り文壇定めて御多端の事と奉推察異郷の歳暮は

所感も亦格別に御座候ゆゑ昨今當地見聞の事實に就き一筆清覽に供す可く候其は他に非ず

即ち英國貧富間の關係に御座候抑も歐米諸國にては貧富の懸隔異常にして世襲の貴族、商

界の素封、錦衣玉食する其傍に赤脚蓬頭路頭に迷ふもの甚だ多く特に當英國の如き概して

守舊實着にして人の世襲先有權を褫奪するやうの處分は古來甚だ稀なりしが故に世襲貴族

は今以て鉅大なる封土資産を所有する事に之あり英國貴族の境遇は日本の貴族諸氏に比し

て一層仕合せ好きものなりしやう被存候日本の貴族は王政維新の其後に殊勝にも其封土を

朝廷に奉還して諸候有の山林田野は當時官有地に編入せられたる事なれども當英國の貴族

の如きは先祖傳來其封土を所有するのみならずチユードル家のヘンリー第八世を始め十五

六世紀の國王が何か金子の入用あるに際し或は其封土を賣り或は橋梁船舶等の収税權を讓

與したるを幸ひ彼の世襲貴族中往々之を買ひ入れたる向きも少なからず斯くて近時文明の

進歩するに隨ひ鐵道用地と云ひ築港並に運河開鑿と云ひ或は船渠或は公園の敷地と云ひ貴

族の所有に歸す可らざる土地柄は公共の會社等より其都度代價を貴族に拂ふて之を買ひ受

くるの例にして現に當りリヴアプール府にても徃時入港船舶の収税權はモリニユー卿の所

有なりしかば千六百七十二年當府會が有名なる七英里間の船渠を構造するの初に當り相當

の代金を以て其収税權を買ひ受けたりと云ふ又當府のセフトン公園は今のセフトン伯の所

有地なりしを以て府會は之を買ひ取るが爲めに二十五萬磅の巨額を支出したる由に聞けり

其他愛蘭の如き全嶋殆んど貴族の有にして小作人は唯その土地を借耕するに過ぎず即ち今

日愛蘭論の囂々たる所以にして是れも我王政維新の〓〓に因りて貴族に封土の奉還を求め

斯くて之を小作人に分與すればクラフドストン氏も聲を枯らすに及ばず〓ルネル氏も額に

汗するの必要なけれども〓に社會〓〓〓を守り世襲先有權を重んずる英國にては斯かる處

分の運用す可きやうもなくソールズベリー内閣にては過般の國會に例の愛蘭土地買上案を

持ち出し先づ五百萬磅を以て其買上料に充つることと爲せり即ち此等の金額は愛蘭の地主

たる貴族諸氏のポツケツトに入る可き者にして三朱利附の公債證書が二朱半の整理公債に

變じたる位は固より以て意とするに足らず嚢中春暖にして黄金花の如く優遊歡樂して以て

歳を卒ふべし英國貴族の身分位地何んぞ其れ多幸なるや貧乏社會黨が之を睥睨して不平を

唱へ耶蘇教の坊主がロンドンの西端と東端とを比較して富人が極樂に行くは駱駝が針の孔

を過ぐるよりも六ケしとて時に長大息を發するも一應謂れなき事には之あるまじと奉存候

右は貴族の記事なれども生計の富裕なるは彼の商工の素封家も矢張り同様の事にして其致

富の由來を問へば貴族と同年の談に非ざれども貧乏人の眼より視て其位地身分を羨むの趣

は毫も異なることなかる可し特に當リヴアプールの如きは職工勞役者の巣窟なるが故に府

中貧富の懸隔は他の諸都府に比して一層甚しき由にして自然社會黨心を煽起する筈なる可

きに然るに今日の處にて先づ以て其然るの状あるを見ざるは甚だ不可思議なる次第なれど

も昨今當府歳暮の情況を見るに就き聊か思ひ當りたる事なきに非ず勿論當リヴアプール府

にては貧民救助の一義に關して宗教上より府政上より平常配慮すること大方ならず Work 

House, Boys’ Home, Ragged School, Christian Girl’s Society, Sailor’s Home. 等を始め公

共立の病院學校固より枚擧するに暇あらず此等は平常貧民を救助惠育するの趣向なれども

歳暮クリスマスなどの塲合には又特別の慈恵を施して厚意深情を貧民の心頭に注入するの

工風を怠らざるものゝ如し(以下次號)