「教育の犠牲」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「教育の犠牲」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ドクトル セメンズ の死するや其絶筆なる敎育論の遺稿を病床に得て之れを時事新報の

紙上に譯載せり(去月廿五日の紙上に文明と人間體力の關係と題したるもの)但しその稿

たるドクトルの死を距る月餘の起草に係り纔に筆を其緒論に絶ちたるは遺憾に堪へざる所

なりしに偶ま近着の倫敦發兌十九世紀雜誌を見るに敎育の犠牲と題する一篇あり其論旨た

る專ら英國公共の敎育制度殊に現行試驗法の不完全を極め學生心身の發達を妨ぐるの害を

痛論したるものにて事、英國の敎育制度殊に現行試驗法の不完全を極め學生心身の發達を

妨ぐるの害を痛論したるものにて事、英國の敎育上に關すと雖も之を方今我敎育の現状に

對照して頗る的切なるのみならず心身云々の論點に至てはドクトル平素の持論と符合して

恰もその遺稿の全篇を見るが如し盖し本論は一篇の意見書にして之に署名したる者は英國

の大學敎授、學校敎師、國會議員、貴族僧侶等四百名にして何れも知名の士なれども紙上

餘白なきを以て一々これを記する能はず唯篇尾に附記したるムーレル、フリーマン及びハ

リソン三學士の意見を併せ譯して以て大方の覽に供す獨り悲しむ可きは雜誌の到着僅に十

數日の後に在りてドクトルの生前この知己の言を聞かしめざりし一事のみ

下名の我々は我現行の敎育制度中に行はるゝ危險なる精~上の壓迫及び學生の目的と辨協

力の誤用とに就き敢て我々の意見を陳述せんとする者なり抑も此危害たるや公立小學校を

始として各種各等の學校及び大學校に至るまで到る處として其形を現はさゞるはなし即ち

敎育の當局者、監理者、敎師等は恰も天下の兒童を弄び之に由て自から公共の金を利する

の奇貨となし稍や資力に富める中等社會の子弟を促し之を學校に入れて訓練する其有樣は

猶ほ二才の駒を驅て競馬の稽古をなさしむると同じく曾て其前途發育の如何に心を留るも

のなし斯る氣風よりして大學に學ぶ者は有爲の少年にてありながら敎育の本意は唯金錢の

懸賞を博し若しくは試驗に於て優等なる地位を得せしむるに在ることならんと信ずるに至

れり我々は今茲に大聲疾呼して斯の如き敎育上の誤謬と隨つて必生する所の危害を論斥せ

んとするに當り先づ首として其結果より來る身體上の害に就き世の父兄及び敎師たる者の

注意を喚起すべし抑も心身健康の成長を爲すは兒童並びに少年たる者の一大義務にして其

嫩弱なる骨格筋肉の形成を速にせんが爲めに天、特に兒童に課するに重税を以てし體中有

餘の精力は過半この課税の爲めに吸収せらるゝものなり左れば兒童が初學入門の業に精~

を過勞して其精力を消耗し又は之が爲めに健康を損して猩紅熱其他後日の疾患に堪ふる能

はざるより可惜貴重なる幼者の生命を失ふに至る者年々その數少なからざるは世人の既に

知る所なり而して多數の中には幼少の當時に其危害の兆候を現はさゞるものもあるべしと

雖も幼時に費す所のもの大なれば其結局は後來の氣力能力の損失に歸す可きの理彰々とし

て又疑ふ可らず且又精~を壓迫し腦髓を激衝するの害は他の懶惰無聊の結果に異ならず兒

童の身體に最も激烈なる一種の危害を與ふるの媒介にして世間にては左程に注意せざる所

なれども兒童の群集中には常に免る可らざるものなり我々の所見を以てすれば敎育の本旨

に就て世間一般の誤解と之に加ふるに大試驗の法及び之に附屬する懸賞の方法とは少年の

身體と精~とに及ぼす所の以上の危害の重なる原因なりと云はざるを得ず若しもこの懸賞

の法をして長く敎育の市塲に存在せしめなば世間の兒童少年は只管その賞を博するに專一

にして高尚獨立の氣象を失ひ父兄及び敎師たる者も亦その子弟に許すに競争の弊害を以て

し世上少數の有識者は如何に之を敎誡するも滔々たる其流弊は勢救ふ可らざるに至らんの

み然り而して以上叙述したる危害は獨り身體上に止まらずして智識並に道コ上の危害も亦

これに伴ふものと知る可し即ち

其一、敎育上懸賞の設あるときは同等なる各學校の兒童は同一なる課程に依りて競爭し其

敎授方も亦隨て懸賞を博せんとするの方に傾くが故に國中一般の敎育法は總て同調の姿を

呈するに至る可し學問上の不幸是より大なるはなし如何となれば凡そ敎育學の如き一大科

學の發達進歩は各種の思想論説、錯出して互に經驗競爭相止まざる其中に在るものなれば

なり而して事の畫一とは進歩を妨害し隨て朽敗を招き物の不同とは生活成長及び無限の變

通と同意味なるは今更ら説明するの要なかる可し

其二、試驗に重きを置くこと甚だしきに過ぐれば善良なる敎授法は爲めに殘滅せらる可し

即ち敎師は自動の働を失ひ自から信ずる所に力を致すこと能はずして只管來期の試驗に其

生徒の及第を欲すると同時に一方に於ては生徒も亦全く試驗及第の爲めに其課程を修むる

こととなり滿腔の希望は試驗の報酬は何物なりやと云ふの一事に過ぎずして自由に智識を

愛するより生ずる所の利uは全く之を受くること能はざるに至るべし盖し少壯健康の精~

を有する人に在りて廣く心を開て各種の智識を容れ絶えず新事物の研究に從事することは

大に後來進歩の刺衝となりu々その進取の氣象を奬勵するものにして此生々進歩の活手段

は試驗の爲めに強ひて刻苦するの死法とは到底兩立すべからざる者なり

其三、敎育上に懸賞の仕組あるときは世人は之が爲めに諸種の敎育の眞實なる價値を容易

に測量すること能はざるに至るべし而して金錢上の沙汰の爲めに敎育上及び敎授上の重要

なる問題を等閑に付し去るが如きは最も願はしからぬ所なり      (以下次號)