「公園地」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「公園地」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公園地

公園地

去る廿日其筋にて告示したる東京府市區改正の設計によれば公園地の數は總計四十九にし

て中には今度新たに定めたるもあれど右は僅々二三に過ぎずして他は皆在來の箇所を以て

之に充てたり本來府下に公園地を設くるは何の爲めなるや文明の花として壯觀を示さんが

爲めか抑も亦細民の陋屋に窮居するを憐み遊樂逍遙の地を與へて其健康を助けんとする實

際上の必要に出でしものか若しも後者にありとすれば今の公園の配置は果して當を得るや

否や少しく疑なき能はず試に見よ上野、淺草、九段坂の公園の如きは可なり公園の目的を

達して樹下水邊に徘徊する者少なからざれども是れさへ中等社會以上の專らにする所とな

り恩澤未だ普く下民に及ばず其他に至ては多くは塲末の隱所に屬するが故に園内常に寂寞

として人の訪ふ者甚だ稀なり廣大なる地所を占領して唯空しく一の壯觀に過ぎずとありて

は我輩は經濟上聊か異論なきこと能はざるなり今事の實際に就いて申さんに車馬にて街路

を通行するの際最も懸念に堪へざるは路傍の小兒にして萬一怪我もやせしめんとて往く往

く配慮に胸を轟かす又その一方には小兒も車馬の來るに狼狽して心安らかに遊戯すること

能はず雙方ともに氣遣はしければ何卒して小兒の厄介を除かんと欲すれども家は固より矮

陋にして身を置くに所なく窮屈なる上に時々親々の仕事を妨害して叱り懲さるゝこともあ

れば是非とも往來の眞中に出でざるを得ず若しも其近傍に公園地の設けあらば小兒は相率

ゐて之に赴き又前の如き恐れを惧るゝに足らざるべし即ち公園の効能にして此等の點より

見るときは塲末に廣く構ふるよりも寧ろ中央雜沓の塲所を撰み面積を狹くして數多きを得

策とすべし况んや火事變災の折柄には逃塲所として効用をなすべきに於てをや此回の改正

設計は斷じて充分なりと云ふ可らず斯く云へば人或は詰る者ありて公園地を中央雜沓の地

に相すべしとは成程その意を得たれども金の出處を奈何せんと問ふ者あるべし是は左程に

苦慮するまでもなく在來の公園地は坪數も甚だ廣く高雅の地所も少なからざれば神社佛閣

の存する所には其周圍を切詰めて區劃を設け他は都て之を賣却すべし或は市内中央の地は

直段割合に高きが爲め公園地を賣却するのみにては猶ほ事足らざるやも知る可らず然らば

東京府にて所有する官有地の幾分を併せて賣拂ふも亦可ならん我輩は唯無用の壯觀を示す

は公園地の本色に非ずとして爰に私案を呈するのみ

芝居の時間

東京の芝居は其開塲の時間を日に八時間と限られたるが爲めに往々脚色の首尾を全うする

こと能はずして見物人の遺憾は申すまでもなく役者共も十分に技倆を伸ばすこと能はずと

て竊に苦情を鳴らす者さへあるよし抑も日本の流儀は古來芝居と云へば終日十餘時間も打

通しにする慣行にて久しく其風を成したるゆゑ今日俄に八時間と限られては色々不都合の

あることならん或る説に仕事に忙しき都下の人に終日芝居など見る暇はなき筈なりと云ふ

者あれども是れは傍より入らざる注文にして芝居も亦是れ賣買の品なれば唯買人の氣に叶

ふを專一にす可きのみ時間の長短は素人の喙を容る可き限りにあらず然らば此制限は多人

數を一處に群居せしめては健康に害ありと云ふ衛生上の注意に出でたるものか、至極尤も

に聞ゆれども人間の群居不養生は必ずしも芝居のみに限らず、否な芝居よりも甚だしきも

のあり例へば汽車の下等客の如きも前年東京橫濱間、神戸大坂間、などに限りたる時には

車中僅に一時間の辛抱なれば一車に數十人を詰込みて何の苦しみをも覺えざりしに今日は

東京より仙臺へ十二時間、長濱へ十五時間、尚ほ進んで京都大坂へ至るには二十何時の其

間恰も澤庵押し同樣の窮屈に堪へざる可らず又東京神戸間其他の汽船の下等客も之に劣ら

ぬ窮屈にして大勢込合ひの時に風波にてもあらんには窮屈の其上に相客が船氣に苦しみて

座中の狼藉、甚だしきは小兒など大小の不始末さへなきにあらず左れども航海の約束何十

時間は此窮屈、不潔、不養生を辛抱することにして其難澁は中々以て芝居群居の比にあら

ず誠に昨日東京に着したる汽車汽船の下等客を誘ふて今日芝居に案内したらば見物の興よ

りも先づ氣分の流暢するを覺ゆることならん左れば衛生の學理一偏より論するときは芝居

見物も不養生なれば汽車汽船の下等客も不養生なれども左ればとて船車の會社に命して下

等客の乘車時間を八時に限る譯にも參らず即是れ人事不如意の處なり廣き社會に意の如く

ならざるものを強て意の如くせんとすれば何處にか無理を施さゞるを得ず斯る無理を作り

て人の渡世に干渉せんよりも寧ろ之を自由自在に任する方經世の得策ならんと我輩は之を

信ずるものなり