「條約改正内地雜居の準備」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「條約改正内地雜居の準備」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

條約改正内地雜居の準備

條約[でうやく]改正[かいせい]の談[だん]は一昨年中止の後、近來恰[あたか]も再起して着々[ちやくちやく]歩[ほ]を進[すす]めたるものゝ如し米國政府に於ては疾[と]くに我申出の旨[むね]を承諾[しようだく]して異議[いぎ]なく又近日は獨逸[ドイツ]政府も同樣承諾の意[い]を表[へう]したりと云ふ誠に當然[たうぜん]の次第とは申しながら十數年の其間困難[こんなん]を困難を極[きは]めたる一大事が斯[か]くも首尾[しゆび]能[よ]く參[まゐ]るとは我輩は唯欣喜[きんき]の外なく國民と共に外國政府の公平を嘉[よ]みして我當局者の勞[らう]を謝[しや]するのみ其改正の事項[じこう]は固[もと]より外交の機密[きみつ]にして今日これを知る可らず假令[たと]へ或は之を知ればとて人民の徳義[とくぎ]上に於て言[い]ふ可き限りに非ず竊[ひそか]に我輩の臆測[おくそく]を以てすれば今度の改正[かいせい]談判[だんぱん]は中止前の談判と趣[おもむき]を異[こと]にし我國權の地歩を堅[かた]くして漫[まん]に讓[ゆづ]ることを爲さず其際に或は新法律[しんほふりつ]を編纂[へんさん]し舊法律を改良[かいりやう]することもあらんなれども其編纂[へんさん]改良[かいりやう]は偶ま我内治の便利[べんり]の爲めにするものにして條約改正の爲めに特[とく]に勞[らう]を取[と]るに非ず云ふはゞ日本の法律も習慣[しふかん]も固有[こいう]のまゝに存し主人たる日本國民に適當[てきたう]して都合[つがふ]好[よ]き其法律習慣の中に諸外國人の雜居[ざつきよ]を自由ならしむるに止まり改正前の日本も改正後の日本も正[まさ]しく同一樣にして特[とく]に外國人の爲めに云々するが如きは斷[だん]して無きことならん即ち前後談判の大に樣子を別[べつ]にする所にして前の中止に我國人の失望[しつばう]したる其望[そののぞみ]も今は之を回復[くわいふく]したるものゝごとし唯我輩は一日も早く改正の實際[じつさい]を公けに見聞し果して今日の臆測[おくそく]は違はずして失望[しつばう]を再[ふたゝ]びすることなきを祈[いの]るのみ扨いよいよ條約改正内地を放開[はうかい]して内外國人の雜居[ざつきよ]と定まる上は外國人の日本に來[きた]るは山水を愛[あひ]するのみにあらずして利益[りえき]を愛[あひ]するが爲めなれば其愛利[あいり]の眼[がん]を以て日本國中を見[み]渡[わた]して如何なる説明[せつめい]ある可きや我輩を以て之を察[さつ]するに外國人は其[その]豐[ゆたか]なる資本に依頼[いらい]して利を謀[はか]ることならんと斷定[だんてい]せざるを得ず歐米諸國は兼て富國[ふこく]なる其上に近年は一層増殖[ぞうしよく]の速力[そくりよく]を加へ貧[ひん]に苦[くる]しむ者の多きと同時に富實[ふじつ]に當惑[たうわく]する者も亦甚だ少なからず製造[せいざう]の業[げふ]、運輸[うんゆ]交通[かうつう]の便[べん]、いよいよ興[おこ]りていよいよ規模[きぼ]を大にし此處[ここ]に長き鐵道を敷設[ふせつ]すれば彼處[かしこ]に盛[さか]んなる運河[うんが]を掘[ほ]り猶ほ資本の用法に困却[こんきやく]して時としては專賣[せんばい]の投機[とうき]を案じ世界中の絹絲を一手左右せんとする者あれば銅を買占[かひし]めんとする者ありて其大膽[だいたん]なること往昔の歴山王ナポレオンも思至[おもひいた]らざりし大事を企[くわだ]て成敗常なくして日の耳目[じもく]を驚[おどろ]かすは今日の事績にして畢竟[ひつきやう]資本の過[か]〓〓〓〓する者と云はざるを得ず左れば從前は日本も〓〓の〓〓國[こく]にして僅[わづ]か二三〓地場の外は外人の知る者〓〓〓〓〓〓に置[お]かれたる有樣なりしかども内地の〓〓[ばう〓]もあれば彼の國人の中にも志を起して日本に來る者ある可し既に來りて都鄙[とひ]隨意[ずゐい]の地に住居を占[し]め漸く人に交はり漸く風俗習慣[しふかん]を視察[しさつ]するときは此國亦自から利を謀[はか]るに足[た]るの事情を發明[はつめい]することならん新舊の鑛山には器械[きかい]を利用す可し、原野[げんや]の地價低[ひく]くして開墾[かいこん]の利見る可し、勞働[らうどう]の賃金安くし製造[せいざう]の業起す可し、就中政府の公債證書鐵道郵船等諸會社の株式も利益の割合次第にて之を買[か]ふのみならず漸く買ふて半數に過[すぐ]るときは其社長役員の進退[しんたい]も勝手次第にして全權[ぜんけん]を外國人の手に專にす可し何れも資本を卸[おろ]すに安心ならざるはなし或は外國人が内地に雜居[ざつきよ]するも生來不慣[ふなれ]の地にして假令へ有利の事業[じげふ]あるも不慣の爲めに妨[さまたげ]げられて大運動[だいうんどう]を試[こころ]むることは難[かた]かる可しとの説[せつ]あれども凡そ資本は人間世界に不可思議[ふかしぎ]の力あるものにして資本の豐[ゆたか]なるものさへあれば日本國中到[いた]る處に東道の主人を生じて外國人を導[]き之に教[をし]え之を助[たす]けて共に利を謀[はか]る者多ければ日本の事實を探[さぐ]るは誠に容易[ようい]なるのみか雜居[ざつきよ]僅に數年にして日本人の知らざる所を知り外人却って内人を驚[おどろ]かすの奇談[きだん]もあらんのみ

右の次第なれば條約改正の首尾[しゆび]は誠に喜[よろこ]ぶ可しと雖も勝[かつ]て兜[かぶと]の紐[を]を締[しめ]るの諺[ことわざ]に洩も[]れず其これを喜ぶと同時に我殖産[っしよくさん]の社會には十分の用心なかる可らず今我金利の割合は大凡そ年五六分を標準[]にして公債證書諸株式の値[あたひ]も此標準に依るものゝ如くなれどもいよいよ外國の有力者が日本に來りて日本の金融[きんゆう]市上に外資の運動[うんどう]を見るに至り此標準は動搖[どうよう]す可き否や、金利に變動[へんどう]を生ずるときは地面其他不動産の値も亦これに隨[したが]はざるを得ず今の都鄙[とひ]の地價は今後如何なる可きや云々と凡そ是等の疑問[ぎもん]を計[かぞ]へ來れば枚擧[まいきょ]に遑[いとま]あらず理財家[りざいか]の大に心を勞[ろう]す可き所にして其利害は直に國民の頭上に懸[かゝ]るものなり來年は國會の開設[かいせつ]にて其準備に忙[いそがは]しと云ふ至極尤もなれども國會は内國限りの國會にして内地雜居の影響[えいきやう]は内國人と外國人との間に利害の分かるゝ所なり我輩は國會の準備[じゆんび]よりも寧[むし]ろ條約改正の準備を重[おも]んずる者なり